どら焼きの生産量は1日約4千個。市内の直営5店のほか、県内のサービスエリアや駅、空港など約40カ所で販売しています。従業員数は約35人で、うち半分は正社員。毎年新卒を採用しています。
京都の大学を卒業後、そのまま京都で金融業界に就職。ところが5年ほど経ったころ、興さんが体調を崩します。「長男の私が継がなければ、もはや廃業という状況でした。そうなったら、自分が死ぬ時に後悔すると思ったんです」
児玉さんを突き動かしたのは「お客さまの声」でした。仙台から遠く離れた京都でも、「『こだまのどら焼』を食べた」と聞く機会が何度もありました。
興さんや家業への感謝や敬意がわいた児玉さん。製菓専門学校で1年間勉強して製菓衛生師の資格を取った後、こだまに入社します。2007年、30歳の時でした。
コミュニケーション強化で業務改善
入社後は順風満帆とは言えませんでした。学校で学んだとはいえ、現場ではわからないことだらけ。師匠と呼べる人もおらず、懇意の取引先に教わりながら菓子製造や販売を学びました。
次第に、組織体制の課題がいくつも浮き彫りになりました。
例えば、製造過程の記録が不十分で、トレーサビリティーが徹底されず、製造から販売までの工程などが不透明でした。職人の技術が品質を左右するなか、業務も属人化しがちだったといいます。
入社後しばらくは、こうしたブラックボックスの「見える化」に注力。製造に関する記録をしっかりと付けるようにして、老朽化した機械を入れ替えました。
また、社員間のコミュニケーションを強め、情報共有しやすい環境を整備します。
製造と販売の合同ミーティングを定期的に行い、各現場で起きていることを共有し、より良い一手を打てるようアイデアを出しあいました。最近では、チャットツールを導入し、本社以外のスタッフとリアルタイムで連携しています。
以前のオフィスは各自の席がパーティションで仕切られ、壁に向かって仕事をしていました。児玉さんは仕切りを取り払い、社員同士の顔が見えるようにもしました。
商品ラインアップを半分以下に
こだまの売り上げはピーク時で8億円、直営店は12店舗ありましたが、2013年に経営を引き継いだ時には5店舗まで減り、売り上げも1億円を下回っていたそうです。
近年の菓子業界は、多くの大手企業が参入しているうえ、コンビニエンスストア発のスイーツもヒットし、地域の菓子メーカーはより差別化を迫られています。
児玉さんは、自社商品をおやつより「ギフト」としての立ち位置にするべく、商品の選択と集中を進めました。
まずは商品点数の削減です。先代のころはどら焼きだけで15種類ほどあり、ほかにもカステラやアップルパイなど50種類弱が並んでいました。
しかし、児玉さんは思い切って、ラインアップを半分以下まで厳選。アイテムの8~9割をどら焼きにして、専門店としての性格を強めました。
さらにどら焼きをギフトとして購入してもらえるよう、他社商品を研究してパッケージを変更。ビニールで包むだけだった商品を、筒状のフィルムで包んで脱酸素剤を入れることで、どら焼きの原料や作り方は変えずに、それまで1~2日だった賞味期限を8日まで伸ばしたのです。
足で稼いで卸売りを拡大
児玉さんの改革は店舗戦略にも及びました。当時は卸売りをせず、販路は直営店に集中していました。ただ、要となる直営店も戦略的な出店ではなく、「家賃が安い」などの場当たり的な理由で、店を増やしては売れずにつぶすことを繰り返していたといいます。
利便性が悪い、駐車場が無いなど、マーケティング戦略の乏しさが原因と、児玉さんは分析していました。
「良いものを作れば路地裏ででも売れる」というのが興さんのモットーで、店舗展開や接客、ブランディングなどは後回しになっていたそうです。児玉さんはそこを「合わない」と感じ、よく意見がぶつかったといいます。
児玉さんは自ら営業を強化し、卸販売を始めました。賞味期限を大幅に伸ばしたギフト用のどら焼きを強みに、ひたすら足で稼いで営業し、百貨店や高速道路のサービスエリアなどに販路を拡大しました。
制服一新で直営店も強化
同時に直営店の強化も進めます。2015年、JR長町駅前(仙台市太白区)に「tekuteながまち店」を出店したのを機に、制服を一新しました。
それまでエプロンと三角巾のみでしたが、創業からのイメージカラーである黄色と茶色で統一した制服にしました。
直営店の存在感を高めるため、接客マニュアルを新たに作成。制服の着方、声のかけかた、お辞儀の角度などを明文化することで、全店舗で同じクオリティーのサービスを提供できるようにしました。
社長自ら「キャラ」になりきる
こだまは一時期、県外への拡大路線をとっていましたが、コロナ禍を機に地元回帰に転換します。東京に月1回、売り込みに行っていた児玉さんも、商工会議所青年部など地元のコミュニティーに積極的に顔を出すように変えました。
ちょうど創業70周年のタイミングとも重なり、復興庁の専門家派遣集中支援事業を活用しながら、リブランディングを実施しました。長年、仙台市民に親しまれた歴史を踏まえ、「大切な方に親しみを込めて贈る懐かしい味」というキャッチコピーを付けました。
パッケージデザインの変更も検討しましたが、「昔から親しまれてきたデザインを生かそう」と、おなじみのロゴや黄色い法被を押し出す「懐かしみ路線」を打ち出します。
児玉さん自身、人前では茶色くて丸い眼鏡と黄色い法被の着用を徹底。社長自ら「こだまのキャラクター」になりきることで、よりブランディングを強化しました。
新卒採用専門のインスタも運営
こうして築き上げたブランド力を支えに、こだまは人材採用にも注力しています。30人規模の企業ながら、専用の採用サイトを設け、会社のヒストリーや仕事内容の紹介、先輩社員のインタビューといったコンテンツを充実させました。
新卒採用専門のインスタグラムアカウントを運用し、担当者が店舗や会議、イベントの様子を発信し、会社の顔が見えるようにしました。
こだまは「想い出販売業」をモットーに掲げ、単なる菓子の製造販売に留まらず、どら焼きを通した人や地域とのつながりを大切にしています。
採用基準もその理念にマッチするかを重視し、新卒の場合はインターンシップや「地域とこだまと私」というテーマでのプレゼンを必須としました。中途採用の場合も必ず会社見学を実施します。
現社員は20~30代が中心です。人数は承継前と同水準ながら、年齢構成は大幅に若返りました。その分、管理職世代の中堅が手薄なため、外部の専門家やコンサルタントを積極的に活用し、組織力強化を進めています。
観光農園「こだまランド」の狙い
2022年には、仙台市郊外に、農業法人「こだまランド」を立ち上げました。2カ所計60アールの敷地で、枝豆などを栽培しています。管理は枝豆専門農家に委託し、2023年度は約1トンの枝豆を収穫しました。枝豆をすりつぶしたずんだ餡や商品開発に使ったり、菓子店などに卸したりしています。
児玉さんは元々、工場の移転先を探していた過程で耕作放棄地を見つけ、観光農園事業を思い立ちました。
「こだまランド」の狙いはファン作りです。畑に集って栽培を楽しむイベントを開くことで、こだまのブランドを醸成する。「ギフトとして選ばれるためには、そういう戦略が重要」という考えです。
2024年度は7~9月で3回のイベントを開く予定で、合わせて約90人の参加を見込んでいます。今後はイベントの回数を増やすことも考えています。
2024年には、尚絅学院大学(宮城県名取市)と「こだまランド」を活用した産学連携プロジェクトも始めました。学生や一般客と一緒に枝豆の種をまいて収穫し、枝豆をすりつぶした「ずんだ」を作ったり、バーベキューを楽しんだりしています。
産学連携は、人材獲得の種まきでもあります。大手就職サイトでは給与などの条件面が前に出がちですが、児玉さんは「こだまの志に共感してくれる人を採用したい。産学連携で一緒にワークをすることで、時間はかかっても、5年後の採用の状況を変えるためにやっています」と言います。
仙台市民になじみ深い「ずんだ」がどのように作られるのかを知ってもらう、食文化の啓蒙という面もあるそうです。将来的には、さらに人と人とつなぐための新たな拠点を築く構想も描いています。
売り上げは低迷期の倍以上に
現在の売り上げは、児玉さんが経営を引き継いだ時の倍以上にまで回復しました。
「『こだまのどら焼』を見て、仙台の街を連想してもらえるような存在になりたいです。そのためには、ただ物を売るだけでなく、街の魅力づくりに関わる必要があります」
その最たるものが「こだまランド」で、今後も様々な地域活動を展開するつもりです。「どら焼きスタンド」やキッチンカー、学生が考えたメニューの提供など、児玉さんはアイデアを次々と巡らせています。
「『こだまのどら焼』は児玉家だけのものではありません。ここまで愛してくださった地元のお客さまがあってこそです。ご縁をつなぎ、地域を活性化する仙台名物を目指します」