麩は小麦粉を水で練るとできるグルテンを主原料とした加工食品で、田楽やお吸い物などに使われます。江戸末期に庶民に広がり、明治初期に麩の製造業者が増えたといいます。麩柳商店もその一つで、初代・三輪柳助さんが1877(明治10)年に創業しました。3代目の三輪誠一郎さんが1960年代前半、本格的に生麩を製造し、問屋に出荷しはじめました。
4代目で現社長の三輪健一さんは、生麩に美しい色彩やグラデーションを入れる技術を開発し、売り上げを伸ばしました。しかし、他社も同様の技術を身につけ、徐々に新規顧客の獲得が難しくなります。
麩柳商店がある「那古野」(なごの)という地域は、かつて「なごや」と呼ばれ、織田信長ゆかりの地として知られています。一方、生麩は弱火でコトコト煮る京料理に合わせて発展し、そのままではグツグツ煮込む名古屋料理には合いません。麩柳商店は30年以上前、煮込んでも荷崩れしない生麩を開発し、後に「那古野麩」(なごやふ)と名づけました。
現専務で5代目の新井さんは就職氷河期世代です。20年以上前、麩柳商店にアルバイトで入り、その3年後に社員になりました。ものづくりが好きで、クラフト系の専門学校で学んだ新井さんは「小麦粉を練り上げて麩の形を作る工程が、陶芸に似ていて魅了されました」。
麩柳商店は現社長の三輪健一さんまで、創業家が経営を担いました。しかし、三輪さんの長男は事業を継がず就職したため、後継者として新井さんに白羽の矢が立ちます。新井さんは「那古野麩の技術は後世に残すべきだ」と考えて引き受けました。
従業員数は13人(うち社員7人)。ほかに同世代の職人もいる中で後継者に選ばれたのは、「物事を俯瞰して見られる視点」を買われたのではないか、と新井さんは考えています。
新井さんが入社したころ、生麩づくりの技術伝承はすべて職人の感覚だったといいます。麩づくりはその日の温度や湿度で、餅粉に含まれる水分や麩の重さまで変わる繊細な世界です。指でつまんで「これくらい」と教えられても、毎日加減が異なるため、習得には膨大な時間がかかります。
新井さんは「これでは若手が育たない」と、スケール(はかり)を導入。品質やグルテンの管理を徹底的に数値化しました。麩の1日の生産量は約2千本に及びます。社長の三輪さんは早朝から夜遅くまですべての作業を一人で担ってきましたが、現在は社員3~4人で管理しています。
働き方改革で健康経営優良法人に
三輪さんが掲げる「人は宝」というモットーを、新井さんは大切にしています。職人の世界で働き方改革にも着手しました。
長時間勤務にならないよう、2部制の勤務(早朝から午後の早い時間までと、午後から深夜まで)を導入。製造現場の残業はほぼ無くなり、新規雇用や離職率の低下にもつながっています。
イベントの際は、搬入・設営作業が深夜に及んだら翌日は午後出勤にするなど、残業を避け、1日8時間以上勤務しないように調整しています。
新井さんの入社当時から人材不足が課題で、特にアルバイトやパート従業員の確保に苦労しました。そんなとき、新井さんは近所の喫茶店の店主から、近隣の学校に通うベトナム人留学生を紹介されました。最初は悩んだものの、試しに来てもらうことに。言葉はほとんど通じませんが、簡単な言葉ならスマートフォンですぐに翻訳ができます。
ベトナム人は真面目で手先が器用な人が多く、ラッピングなどはお手の物。会話の感覚も日本人と近かったといいます。「卒業すると国に帰りますが、新しい学生に継続してきてもらっています」
勤務体制の改善や健康診断の受診率を90%に高めたことなどが評価され、麩柳商店は健康経営優良法人(2020年)や、名古屋市の「ワーク・ライフ・バランス推進企業」(2019年)に認定されました。
コロナ禍で売り上げが8割減
麩柳商店はコロナ禍前は上り調子で、2019年は過去最高の年商を記録しました。それでも、京料理につきものの生麩は、関東での知名度が低く、全く売れなかったこともありました。
そんな矢先にコロナ禍となり、麩柳商店の売り上げは2019年と比べて8割も減りました。生麩を扱う旅館や料亭、仕出屋などからの注文が軒並みストップ。問屋も売る先がなく、自分たちで開拓もできない。八方塞がりの状況でした。
それでもコロナ禍で新井さんにアイデアを練る時間が生まれ、一般消費者への生麩商品の販売を思いつきました。
「生麩のみたらし」を開発
生麩は中高年層の女性には人気が高いものの、若い世代にはほとんど知られていません。生麩が好きな人でも「店で食べるもの」という声は多く、料理の仕方は広がっていないといいます。それならばと、新井さんは若者向けのおしゃれなスイーツを思いつきました。
最初は相良生麩にバターと砂糖とあんこを乗せて焼きました。試食では好評でしたが、そのスイーツには「名前がない」という問題がありました。
そこで、新井さんは親しみやすく手軽に食べられる「みたらしはどうか?」とアイデアを出します。そして常務の長谷川大悟さん(47)が開発したのが「生麩のみたらし」でした。
従来は温めて食べる生麩ですが、スイーツ用に冷めても固くならない生麩の配合を見つけ、商品化につなげました。
長谷川さんのこだわりは、白く透明なたれです。「みたらし」は茶色のイメージがありますが、それでは生麩が見えないため透明にしました。たれには、高価な愛知県産の「白たまり醤油」を使いました。
2021年、「生麩のみたらし」の発売を始めると、SNSの口コミで大ヒットし、累計で3万カップほど売れました。
新井さんは「特に10代〜20代に生麩を知ってもらうことを目指し、SNSでアプローチしました。ヒットした要因は、今までにないスイーツであったこと、カップに入れることで食べ歩きやテイクアウトしやすくなり、SNSで写真を投稿する人が増えたことだと思います」。
BtoC商品の開発を加速
生麩の新たな可能性を感じた新井さんは、ほかにも生麩のBtoC商品の開発を進めました。
味噌田楽にする相良生麩は「包丁を使いたくない」という声を受け、カットして串に刺したものを販売。「次は『焼きたくない』というお客さんのために、焼き色を付けてレンジで温めるだけのものも販売します」
「お麩のらすく」は、バターたっぷりでキャラメリゼした一品です。年配の女性に人気でリピート率が高く、友達の分もまとめ買いをする人が多いといいます。
生麩のBtoC商品は、オンライン販売や近隣のホテルなどにも販路が広がっています。
ヒットの陰に社員の行動力
ヒットの陰には、長谷川さんをはじめ、30代の社員たちの働きが大きいといいます。
麩柳商店のインスタグラムの運営は、個人アカウントで多くのフォロワーを持つ社員が一手に引き受けています。新井さんは「私の下手な写真も彼がうまく加工して載せてくれるのでありがたいです」
フードフォトグラファーに撮影を依頼するなど、カラフルな商品写真の数々で、ファンを増やしています。
また、別の若手社員は百貨店に営業をかけて、催事への出店を増やしました。現在、売り上げの多くを催事販売が占めています。商品のファンとなった人から「社員になりたい」という問い合わせもあり、実際に採用につながったケースもあります。
BtoC商品の成果と課題
2023年度の麩柳商店は、過去最高の売り上げを記録しました。「特に催事やマルシェでの売り上げが伸び、BtoC商品を通じて名前が広まったことで、BtoBの新規獲得にも好影響がありました」
それでも「生麩のみたらし」単体での利益率は高くないといいます。
三輪さんは「コロナ禍での急な開発だったため、利益率をしっかりと考えずに販売に踏み切ってしまった」といいます。
たれに高級な「白たまり醤油」を使うなど、品質に対するこだわりがコスト高につながる面もあります。値上げを助言されることもありますが、新井さんは「親しみやすさから庶民的な『みたらし』にしたために、価格を上げることが難しくなってしまったんです」と話します。
小売りは好調ですが、現在も業務用の売り上げは戻りません。接待や会議がコロナ前の水準に戻らず、料亭や仕出屋が廃業に追い込まれていることも、新井さんの表情を曇らせます。
作業効率のさらなる改善へ
「生麩のみたらし」のコストがかさむもう一つの要因は、作業効率にあります。元々は業務用の麩(花麩や相良生麩など)を製造するために最適化された工房ですが、そこで小売り用も製造すると、準備と片付けに倍の時間がかかるのです。
小売り用は業務用と比べて梱包などの工程が多くなります。「生麩みたらしのパッケージの文字は最初ラベルプリンターで作って一枚一枚貼っていましたが、約2万枚出力して機械が2回壊れたため、シールを外注しました。それでも貼る作業は同じなので、カップ本体に名前を入れるよう変更を検討しています」
梱包はアルバイトの担当ですが、手が回らずに社員が麩づくり以外の仕事に追われる状況です。今後は設備投資を行い、業務用と小売り用で作業の場を分け、梱包はアルバイトに任せて生産性を上げたいと考えています。
24時間体制や店舗改装も視野に
新井さんはいずれ24時間体制にして、柔軟性のある勤務スタイルに変えていきたいと考えています。
「生麩の伝統的製法を守りながら、若い人にも広く生麩の魅力を知ってほしい。いずれは店舗部分を改装し、イートインスペースも作りたいです」
最近では近隣の円頓寺商店街にある人気施設「カブキカフェ ナゴヤ座」のお客さんや、麩柳商店を取材で訪れたアイドルのファンが来てくれるなど、若い人にも少しずつ認知が広がっています。
新井さんの目標までは、あと一歩、というところでしょうか。