目次

  1. 色鮮やかな生麩を武器に
  2. 創業家外から後継者に
  3. 働き方改革で健康経営優良法人に
  4. コロナ禍で売り上げが8割減
  5. 「生麩のみたらし」を開発
  6. BtoC商品の開発を加速
  7. ヒットの陰に社員の行動力
  8. BtoC商品の成果と課題
  9. 作業効率のさらなる改善へ
  10. 24時間体制や店舗改装も視野に

 麩は小麦粉を水で練るとできるグルテンを主原料とした加工食品で、田楽やお吸い物などに使われます。江戸末期に庶民に広がり、明治初期に麩の製造業者が増えたといいます。麩柳商店もその一つで、初代・三輪柳助さんが1877(明治10)年に創業しました。3代目の三輪誠一郎さんが1960年代前半、本格的に生麩を製造し、問屋に出荷しはじめました。

社屋前で現社長の三輪健一さんを抱く3代目の誠一郎さん(麩柳商店提供)
社屋前で現社長の三輪健一さんを抱く3代目の誠一郎さん(麩柳商店提供)

 4代目で現社長の三輪健一さんは、生麩に美しい色彩やグラデーションを入れる技術を開発し、売り上げを伸ばしました。しかし、他社も同様の技術を身につけ、徐々に新規顧客の獲得が難しくなります。

花麩に色のグラデーションを入れる工程(上)と、手まり麩に糸をまく工程(下)(麩柳商店提供)
花麩に色のグラデーションを入れる工程(上)と、手まり麩に糸をまく工程(下)(麩柳商店提供)

 麩柳商店がある「那古野」(なごの)という地域は、かつて「なごや」と呼ばれ、織田信長ゆかりの地として知られています。一方、生麩は弱火でコトコト煮る京料理に合わせて発展し、そのままではグツグツ煮込む名古屋料理には合いません。麩柳商店は30年以上前、煮込んでも荷崩れしない生麩を開発し、後に「那古野麩」(なごやふ)と名づけました。

 「色鮮やかで煮崩れしにくい」という強みを説明すると、また少しずつ料亭や仕出屋などの顧客を獲得できるようになりました。

麩柳商店の生麩商品。左上から時計回りに「花麩」「相良生麩」「生麩まんじゅう」「てまり麩」(麩柳商店提供)
麩柳商店の生麩商品。左上から時計回りに「花麩」「相良生麩」「生麩まんじゅう」「てまり麩」(麩柳商店提供)

 現専務で5代目の新井さんは就職氷河期世代です。20年以上前、麩柳商店にアルバイトで入り、その3年後に社員になりました。ものづくりが好きで、クラフト系の専門学校で学んだ新井さんは「小麦粉を練り上げて麩の形を作る工程が、陶芸に似ていて魅了されました」。

3代目・三輪誠一郎さんの時代の社屋(1987年撮影、麩柳商店提供)
3代目・三輪誠一郎さんの時代の社屋(1987年撮影、麩柳商店提供)

 麩柳商店は現社長の三輪健一さんまで、創業家が経営を担いました。しかし、三輪さんの長男は事業を継がず就職したため、後継者として新井さんに白羽の矢が立ちます。新井さんは「那古野麩の技術は後世に残すべきだ」と考えて引き受けました。

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