目次

  1. 日本酒から梅酒へと拡大
  2. 商社の総務部門から酒蔵へ
  3. 「社長になりたい」と直訴するも…
  4. 業界のヒエラルキーに挑む
  5. 33歳で社長交代を打診され
  6. 「家業から企業」を目指す改革
  7. 杜氏制をやめて工程をデータ化
  8. 社員数は1.4倍に成長

 梅乃宿酒造は「梅乃宿」という自社銘柄の日本酒が長く人気を博してきました。高度成長期は全国的に日本酒の消費量が伸びるなか、造った酒を大手酒造メーカーに売る「桶売り」に軸足を移し、売り上げも大きくなりました。

 ただ、1974年をピークに日本酒の消費量が減り始めると、徐々に桶売りによる売り上げも下降します。その頃に社長に就任した吉田さんの父で4代目の暁さんは、再び自社銘柄の吟醸酒の醸造と販売に注力。吟醸酒ブームも後押しとなって、日本酒の専門誌から「新進気鋭の吟醸蔵」と評されたこともありました。

 さらに暁さんはリキュールや焼酎の製造免許を取得し、2002年から日本酒で仕込んだ梅酒の販売を始めたのです。これが大ヒットし、当初は2年連続で完売するほどでした。その後、日本酒仕込みのゆずや桃などのリキュール、微発泡酒なども商品化し、人気を博します。現在、国内で45アイテムの日本酒やリキュール類を展開しています。

長年人気の自社ブランド「梅乃宿」シリーズ
長年人気の自社ブランド「梅乃宿」シリーズ

 吉田さんにとって、自宅に隣接していた梅乃宿酒造の蔵は、遊び場、学びの場でした。

 蔵で働く従業員にもかわいがられ、吉田さんはいずれ家業に入りたいと願っていたそうです。ただ、7歳下の弟が生まれた際に親類らが「後継ぎが生まれた」と喜ぶのを見て、経営はいずれ弟が継ぐものと考えていました。

 帝塚山大学(奈良市)の経営情報学部を卒業後、医療関係の商社に入社しました。希望は営業部門でしたが、配属は総務部門。内心、落ち込んでいた吉田さんを、当時の上司は「総務は社内向けの営業ともいえる、重要な仕事なんや」と励ましました。

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