目次

  1. CM制作から予備校経営へ
  2. 明るみに出た赤字と負債
  3. DXで3千万円を削減
  4. 教育の質を高める施策も
  5. 人事考課と賃金制度にメス
  6. 「フラット経営」で進めた情報公開
  7. オンラインで実技指導を実現
  8. 常設スタジオでクリエーター支援
  9. 通信制高校も企業研修も
  10. 年商は入社時の1.5倍に

 金沢アトリエは1972年、尾竹さんの養父・由己さんが創業しました。運営する湘南美術学院は鎌倉市の本校のほか、横浜市に2校を展開、スタッフは160人(正社員30人)です。

 2024年の合格実績は、東京芸術大学が29人、多摩美術大学が356人、武蔵野美術大学が174人となりました。少子化でも合格者数は増え続けています。

湘南美術学院は「ショナビ」の愛称で親しまれています
湘南美術学院は「ショナビ」の愛称で親しまれています

 尾竹さんは小学生のころ、母親の再婚がきっかけで創業者の由己さんが義父になります。米国の高校を経て慶應義塾大学に進学後、ホームレスを題材にしたドキュメンタリー映像制作に取り組み、卒業後は大手企業系の広告制作会社に就職しました。

 テレビCMのプロデュースにやりがいを感じましたが、次第に壁にぶつかります。「面白いと思った企画が採用されず、CMがどれも同じに見えてしまうようになりました」

 母から「金沢アトリエを手伝わないか」と誘われたのは、このころです。後継者がおらず、会社の売却や譲渡を考えざるを得ない状況でした。

 尾竹さんは「人口減少社会で経済を成長させるには、教育で文化を変えることが必要だと考えました。芸術的な感性を持つ学生を育て、社会に送り出すことにやりがいを見い出したのです」。

 2015年、金沢アトリエに入社します。当時は正社員8人で、現在の3分の1以下でした。

湘南美術学院の授業風景
湘南美術学院の授業風景

 尾竹さんは営業などを一通り経験し、2016年に横浜校開校プロジェクトの責任者を務めながら経営企画部長に就きます。前職のテレビCMのプロデュースで予算、スケジュール、品質管理などを経験しており、これ以降、実質的に経営を取り仕切ることになります。

 しかし、財務状況をチェックすると、単年の赤字が複数年続いている状況にあり、金融機関の融資を取り付けるにも、黒字決算が不可欠でした。

 「人口減少で、校舎を増やしても生徒が集まらない未来もそこまで迫る中、このままでは会社が潰れるというのが正直な感想でした」

 財務悪化の理由は、大きく二つでした。

 一つは人件費率が7割強という高水準だったことです。講師の仕事をサポートする助手を多く抱え、授業時間外でも相談に乗るという丁寧な指導も、財務的には裏目でした。

 二つ目は業務効率化の遅れです。一般的な会社であればDXが進んでいる業務の多くが手作業でした。

 例えば、校舎間がオンラインで連携しておらず、顧客情報は印刷してファイリングし、生徒が校舎を移る場合もあらためて情報を入力していました。講師の勤怠管理も紙で経理部門に報告していました。

 このため、予算が適切に管理されているか確認できず、人件費が膨らんだのです。

尾竹さんは矢継ぎ早の社内改革を進めました
尾竹さんは矢継ぎ早の社内改革を進めました

 尾竹さんは、開校プロジェクトと業務改善を同時に進め、広告看板の廃止や助手の配置転換で経費を切り詰めました。

 遅れていたDXでも、顧客管理や勤怠管理などの新システムを一気に導入。業務効率化で採算が取れると判断し、費用は自己資金で賄いました。

 校舎間をオンラインでつなぎ、顧客が情報を入力する仕組みにして、効率化とミス軽減の両方を実現しました。スタッフの勤怠も全社で共有することで、人件費の管理が楽に。各部署の適正人員を見直し、不要な業務も廃止しました。

 この結果、経費を3千万円を削減し、黒字化を達成しました。DXはもちろん、会社の支出を正確に把握し予算内に収められるようになったのが大きいと、尾竹さんは考えています。

 教育の質という点でも、DXは効果を発揮します。それまで生徒の状況は講師ごとに判断していましたが、面談や制作物の記録、指導内容を講師間で情報共有して、指導の連続性を確保しました。

 コアなしフレックスタイム制を導入し、正社員にはノートPCを貸与して在宅ワークができるようにしました。仕事以外の時間を作品制作に使えるようにして、クリエーターとしての活動を広めるのが狙いでした。

 講師自身の創作意欲をかきたて、生徒指導に還元してもらい、経営力を高めたのです。

 尾竹さんは従業員の待遇改善も進めます。その代表が退職金制度の整備です。就業規則を改定し、退職金のための積み立てを行いました。

 払ったり払わなかったりだった賞与も年2回支給するようにしたほか、会社負担で生命保険積み立ても始めました。

 尾竹さんは労使交渉で「何が評価されているのかわからない」といった悩みがあることを知ります。講師とそれ以外との給与格差も大きく、人事考課と賃金制度にメスを入れました。

 年功給から職能給に改め、人事考課のやり方も見直しました。評価項目を計50項目とし、部課長と尾竹さんが評価する多面評価を実施。被評価者が自分の設定した目標を振り返り、その結果も反映しました。

従業員が働きやすい環境づくりにも取り組んでいます
従業員が働きやすい環境づくりにも取り組んでいます

 ほぼ美術大学出身者が占める金沢アトリエで、一般大学出身の尾竹さんはマイノリティーでした。当初、門外漢による社内改革に反発は大きく、社長の父ともぶつかってばかりだったといいます。他社の先行事例や経費削減効果などを示し、決算で結果を出すことを確約して、実行に移しました。

 尾竹さんが目指したのは、経営者と社員の垣根を払った「フラット経営」です。

 「目まぐるしく変わる時代に、意思決定をするのが社長一人だと、正しい選択肢を選び続けるのは難しくなります。一緒に経営を考えられる人材を育てようとしました」

 尾竹さんは、予算の執行・管理などの決裁権限を現場に委譲することにしました。しかし、これまで社長の指示で動くことに慣れた従業員に、いきなり委譲してもうまくいきません。

 2017年ごろから取り組んだのは、社内への情報公開です。経営情報を部署長に公開し、経営者との議論で会社の方針を見直すようにしました。

 現在は決算報告会で、各部署の正社員や役職付きパートタイマーにも経営情報を公開しています。

 「ビジネスはスポーツと違い、正しい情報をインプットしていれば、正しい方向で議論が進み、どんな相手とも勝負できます」

 経営情報の公開範囲を広げたことで、組織内での役割と重要性が明確になったといいます。以前は受動的だったスタッフにも、経営について積極的に提案する機運が生まれました。

 2020年、コロナ禍による緊急事態宣言で、対面授業ができなくなりました。オンライン授業に切り替えるため、iPadなどを急いで用意しつつ、授業の進め方を講師に徹底させました。

 芸大や美大の受験は実技試験対策が必須です。誰もがオンライン指導は無理と思いましたが、生徒の作品の画像データに講師が直接、アドバイスを書き込むことで実現しました。直感的でわかりやすく、生徒の実技レベルが上がったといいます。

 尾竹さんは「従業員全員が危機を乗り切る対策の必要性を認識し、部署長は私とともに現場への説得に尽力してくれました。意識改革を通じて協力しあう体制が整っていたことが大きかったと考えています」と話します。

湘南美術学院のオンライン授業。作品のデータに直接書き込めるようにすることで、直感的でわかりやすい授業を実現しました
湘南美術学院のオンライン授業。作品のデータに直接書き込めるようにすることで、直感的でわかりやすい授業を実現しました

 2021年からはオンラインによる通信教育もスタート。通学が難しい地方の生徒も指導を受けられるようになりました。

 尾竹さんは予備校経営以外の事業も展開しています。その代表例が、クリエーターに活躍の場を提供する「VALLOON(バルーン)プロジェクト」です。

 予備校の卒業生が大学を出ても、創作活動の継続が難しかったり、就職してデザイナーになっても作りたいものが作れなかったりする現実があります。そんな問題意識から始まったプロジェクトです。

 「美術教育は、保守的で活力のない日本経済をアートの視点で活性化するため、絶対なくしてはいけません。しかし、高倍率を突破して芸大や美大に進学した人材が、正しく評価されていない現状を変えたかったのです」

東京・渋谷に常設した「VALOON STUDIO」
東京・渋谷に常設した「VALLOON STUDIO」

 2017年から準備をスタート。コロナ禍で一時ストップしましたが、2023年、東京・渋谷に常設スタジオ「VALLOON STUDIO」をオープンしました。

 スタジオ内ではクリエーターが一定期間、作品を展示し、アート関連のイベントやワークショップの運営・実施、作品の販売などを行っています。

 社内に設けたVALLOON事業部が、展示やイベント、ワークショップの運営を担っています。収益化には至っていませんが、将来的には作品販売料の一部や、ワークショップや研修の参加料などによるビジネスを考えています。

 尾竹さんは2024年、正式に2代目社長に就任しました。同年に開校したのが、通信制サポート校「VALLOON高等学院」です。通信制の鹿島山北高校(神奈川県山北町)と提携し、美術教育に特化。10人以上が入学し、問い合わせも着実に増えています。

 開校の背景には、少子化で受験倍率が下がり、大学浪人の減少が見込まれることがありました。

 「浪人生が減ると日中は教室に空きができます。新しい生徒を予備校に迎え入れるアイデアが、通信制サポート校の開学でした。通学コースを選択すれば、現役生が学校に通っている間は予備校に来てもらえます」

アート教育を企業研修のプログラムとして提供しています
アート教育を企業研修のプログラムとして提供しています

 また、尾竹さんは企業に向けて、アート思考で課題解決につなげる研修プログラムを提案。これまで六つの企業・団体で実施したほか、大手保険会社など多くの引き合いがあるといます。

 新規事業の売り上げは今のところ、全体の1割ほどですが、今後はさらに広げる意向です。

 金沢アトリエの年商は、入社時の1.5倍の6億2千万円に伸びました。湘南美術学院の生徒数も2015年の645人から、全校で約千人に達しています。

 横浜校の開校に加え、「VALLOON STUDIO」、VALLOON高等学院の開校、企業研修などによる認知拡大やサービスの充実が大きな要因となりました。

尾竹さんは美術教育の事業化を進め、美術を志す人材のさらなる育成を目指しています
尾竹さんは美術教育の事業化を進め、美術を志す人材のさらなる育成を目指しています

 その土台となったのは、尾竹さんらが進めた業務効率化やDX、給与や人事の改革による組織強化です。

 「従業員の待遇改善が、業務や提供サービスの品質向上につながりました。支出を減らして財務体質を改善したことで、新規事業の展開も可能にしました」

 「生徒が社会に出て活躍するため、予備校以外の事業も育てようとしています。マネタイズできれば、美術教育への投資が加速し、授業料の引き下げも可能です。美術を志す人を増やし、支える活動を地道に続けていきます」