アメリカ帰国後に進めた業務効率化 I.S.Tの10年先を支える素材開発

滋賀県大津市のI.S.Tは、OA機器などの高機能素材を製造するメーカーで、販路を世界に広げています。I.S.Tアメリカ法人を経て父の後を継いだ2代目社長の阪根利子さんは、当時の業務の非効率さに驚き、デジタル化を推進して業務負担を3割削減しました。現在も社員に仕事の「時間割」作成を促すなど効率化を進め、10年先の市場を見据えた新素材開発の基盤を整えています。
滋賀県大津市のI.S.Tは、OA機器などの高機能素材を製造するメーカーで、販路を世界に広げています。I.S.Tアメリカ法人を経て父の後を継いだ2代目社長の阪根利子さんは、当時の業務の非効率さに驚き、デジタル化を推進して業務負担を3割削減しました。現在も社員に仕事の「時間割」作成を促すなど効率化を進め、10年先の市場を見据えた新素材開発の基盤を整えています。
I.S.Tは、1983年に阪根さんの父が創業しました。当時の従業員は、技術者3人を含めた計4人。操業を開始し、まずはガラスとフッ素樹脂の機能性複合繊維の開発に着手します。
「提供していただいた資材置き場が滋賀県にあったため、家族で兵庫県の芦屋市から引っ越したんです。創業前の父は会社員で、何もないところからのスタートでした。当時中学生だった私も、会社に置く靴箱や机を運んだり、掃除を手伝ったり。忘年会は家族会のようなものでしたし、創業当時は本当に『家族で作った会社』という感じだったんです」と、阪根さんは振り返ります。
設立以降は、電機電子機器などに使用されるポリイミド樹脂、また現在世界シェア70%以上(技術供与分を含む)となっているプリンターの中核部材であるトナー定着チューブなどの高機能素材を、次々に開発していきます。さらに1994年、ポリイミド樹脂の皮膜成形用ワニスの製造・販売権をアメリカのデュポン社から譲り受け、I.S.Tの現地法人をニュージャージー州に設立。国内拠点も滋賀県のほか、兵庫県、岐阜県、東京と拡大していきました。
大学を卒業した阪根さんは、まずは議員秘書として働き始めます。
「秘書の仕事は楽しみつつもしっかりやっているつもりでしたが、父からすると遊んでいるように見えたのかもしれません。『アメリカに会社を作るから行ってこいや』と背中を押され、1995年にI.S.Tに入社し、渡米しました」
突然の話で、当時英語が堪能だったわけでもなかったという阪根さん。現地で語学学校に通いながら会社の業務も行う日々が始まりましたが、「アメリカへ行くことに、あまり不安はありませんでした。それよりも、『面白そう!』と思う気持ちが勝っていたんです」と語ります。
アメリカで最初に担当したのは経理業務です。通訳を交えた現地の従業員とのコミュニケーションに苦労しながらも、仕事は充実していて、当初は2年ほどで帰国する予定でしたが、期間を延長します。当時の阪根さんは、アメリカに骨を埋める気で、ほとんど永住するつもりだったといいます。
原料事業を展開する中、「アメリカでもプリンターパーツを⽣産してほしい」という顧客企業からの要望を受け、アメリカの⼯場でもプリンターパーツの⽣産を開始。阪根さんはI.S.Tアメリカ法人の社長に就任し、現地の⼈材採⽤、仕⼊れ、製造、販売、アメリカの税法に則った会計処理などを手掛けていきます。
転機となったのは、父のあとを継ぐと思っていた弟の独立だったといいます。
「日本の会社は弟が継ぐものだと思っていたんです。私自身はずっとアメリカでやっていくつもりだったので、父から『お前に日本の社長をやってほしい』といわれたときは、正直戸惑いました」
入社してすぐの渡米には抵抗を感じなかった阪根さんでしたが、日本の本社の後継ぎに指名されたときは、受け入れることに覚悟が必要だったといいます。しかし、「せっかくやってきたチャンスだから、挑戦してみよう」と心に決め、2016年にI.S.Tの代表取締役社長に就任します。
「日本のI.S.Tを継ぐことが決まってからは、まず『今のI.S.T、父のI.S.T』を知る必要があると思いました。そのため、最初の3年ほどは父のかばん持ちをしたんです。できるだけアメリカから日本に戻るようにし、父の会議や顧客訪問などについて回りながら、オフィスやラボ、工場などの現場でも、従業員とたくさん世間話をしました」
阪根さんはそこで、I.S.Tの従業員がとても真面目で優秀であり、何より楽しく仕事をしていることを知ったといいます。
「私の仕事は父が作ってきた土台を変えることではなく、アップデートすることだと考えました。そこで最初に手をつけたのが、経理処理や在庫管理、品質管理などのデジタル化です」
阪根さんが社長就任と前後して本社に戻ってみると、アメリカと異なり、日本では経理と営業がシステム上でほとんど連携していない状況でした。納品書や輸出書類、請求書も、営業と経理で紙のものを個別に発行していたそうです。阪根さんは現場を見て、「なぜ、こんなに非効率なのか」と驚いたといいます。
「最初に触れたのが既に効率化されたアメリカの経理システムだったので、日本とのギャップがすごく大きかったんです。『父のI.S.T』をアップデートするため、社長就任後にまず経理に関するアナログな業務をデジタル化していきました」
それまでは、各国の拠点工場へ繰り返し連絡し、トランシップ(積み替え)や在庫などを人の手で管理していました。阪根さんはこれらの管理をデジタルで完結できるようにします。
「当時日本ではまだアナログな業務が普通だったため、以前のやり方でも、従業員が困っていたわけではありませんでした。システムの導入には相応の費用がかかりますし、一連の改革に抵抗を感じた従業員もいたでしょう。でも、長期的な視点に立ったとき、ここで投資をしておく必要があると思ったんです」と、阪根さんは振り返ります。
デジタル化を進める際に、例えばたくさんの上長の承認ハンコのように、これまでは習慣だからやっていた必要のない仕事を全て取り払い、作業をシンプルにした上でシステムを構築しました。導入後は、3割程度の業務負担を減らすことができたといいます。
阪根さんは社内のシステムや制度を改革するとき、それを「何のためにするのか」を考えるといいます。昨今はデジタル化を進める企業も珍しくなくなりましたが、「デジタル化は目的ではなく手段。デジタル化することが目的になってしまい、逆に工数を増やすことになってしまっていないかは、振り返って考える必要があります」と語ります。
I.S.Tでは、社員が就業時間に行う仕事の「濃度」を高めることで、無駄な時間を減らす取り組みも始めました。
「1日の時間をどう使っているか、ときどき社員に時間割を書いてもらっています。時間割を書いたら、自分で考えたり調べたりする能動的な仕事は青、会議や誰かに頼まれた受動的な仕事は赤、と色分けしてもらいます。もちろん受動的な仕事にも必要なものはありますが、なるべく青、能動的な仕事を増やすよう意識してもらっています」
この「時間の見える化」によって、社員自身が業務を振り返る機会を作るとともに、組織全体の効率性も向上させる狙いです。
「部下の時間割を見ることで、上司は『曖昧な指示を出してしまっていないか』『仕事内容が明確になっていないせいで無駄な時間を過ごさせてしまっていないか』などを振り返ることができます。また、これまでは見えにくかった部下の頑張りに気づくきっかけにもなると思っています」
阪根さんは、「まだ始めたばかりの取り組みですが、上司と部下、また部署内のギャップを埋め、全体で足並みをそろえる機会になると考えています」と話します。
I.S.Tは、従業員の3分の1が開発に関わる研究型企業です。担当部署では、5~10年先を見据えた新素材の開発を行っていることも珍しくありません。
「今、現会⻑である⽗が育ててきた新技術が芽を出し始めています。その中の1つがTORMED(トーメッド)。衛星のボディーやソーラーパネル、スマートグラス、LEDビジョンなどの用途に適したフィルム素材で、ようやく量産体制が構築できました」
長期的な展望に立った体制を築くには、開発現場でも「効率化」を考える必要があると阪根さんはいいます。
「何を開発するかというテーマを検討するとき、既存の技術に『ちょい足し』するのではなく、今はまだ世の中にないもの、他にないものを一から開発することを考えます。唯一無二であることが重要です。既に市場にある同種の製品を作れば価格競争に陥り、長期的には無駄な開発になってしまうことがあります。独自性がなければ、価格の引っ張り合いになってしまうんです。アメリカの企業は、自分から価格競争を作り出すような市場には開発投資は行わない。自らが常に唯一無二であるために開発は続けるものだと学びました」
開発のテーマ選びに関する考え方は、先代から引き継いだもの。「父の理念は引き継ぎながら、今どきの形に進化させていくことが大切」と阪根さんは語ります。
製品開発のヒントは、取引先との対話からも得ています。
「お客さまは、『こんなものがあったらいい』という直接的な言い方はしません。なので、こちらから今使っておられる製品の問題点を聞き出すようにしています。例えば、『ポリイミドが黄色いから使えない』『高温オーブンを持っていないから使えない』といった不満から、開発のヒントを得ます。黄色いことが問題であれば何色ならいいのか?なぜその色が必要なのか?を聞くことで問題点を具体化し、市場のニーズを見極める。市場があるとわかれば、どの色(市場のどんなニーズ)にでも対応できるよう透明にすれば後で何色にでも着色できるよね?と考えを広げていくんです」
製品の価格を下げるのではなく、高くても欲しいと思ってもらうためには何が必要か。取引先と対話を重ねながら、製品の魅力や価値を高める方法を考え、営業力でそれを実現しています。「一度つかんだ取引先との接点は絶対に手放さない」という徹底したフォローアップ体制も、同社の強みです。
I.S.Tは近年CSR活動として、地域の高齢者の積極採用にも力を入れています。
「兵庫県にある主要生産拠点であるI.S.T.加美で、働く意欲がある地域の高齢者を採用し、生活の充足につながるようにしています。この活動に伴い、高齢者が困らずに働けるよう、生産に付随するさまざまな作業をマニュアル化しました」
高齢者の積極採用を始めた理由は、地域に貢献するためです。しかし高齢者の採用を行うにあたり、ジョブディスクリプションやマニュアルを改善したことは、会社にとっても大きなメリットがあったと阪根さんは語ります。
「その人にしかできない『匠』のような仕事は、担当者が辞めてしまうと続けられなくなってしまいます。高齢者でも迷わずできるようになるまで作業を細分化し、マニュアル化しておくことで、持続可能な生産体制や品質保証にもつなげられたと考えています。これも効率化の一つです」
経理業務のデジタル化に始まり、「効率化とは何か」を考える阪根さんの改革は続きます。
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