目次

  1. 鞄製造で半世紀 令和に初の自社ブランド
  2. 強みは革物の縫製ができること
  3. 大学がリモート授業へ 鞄に達成感
  4. 自社ブランドを立ち上げ 山積みの課題に直面
  5. ブランド立ち上げで家業に変化

 三重県伊賀市にあるアイズの鞄工場を訪ねると、そこには家族4人が各々ミシンへ向かい、鞄を作る姿がありました。ひときわ目を引くのがシンプルで頑丈そうな革の鞄。4代目が手掛けた自社ブランド「MUNECHIKA」です。ここに至るまでは紆余曲折がありました。

 アイズは曽我さんの祖父、長谷川昇さんが1972年に伊賀市で「長谷川商店」として開業。祖父が京都の縫製メーカーに通い、縫製技術を学び、ミシンで仕立てた袋物を問屋に卸して生計を立てていました。80年代、バブル期にはOEM製造を中心に、全国の百貨店に並ぶような商品を手掛けるまでに成長し、従業員は15人、年商は2500万円ほどになりました。現在の地に自社工場を建設し、87年には母の栄津子さんも入社しました。

 しかし、バブル崩壊とともに業績が悪化。さらに祖父が脳梗塞で倒れ、3年間の闘病の末に亡くなり、廃業の危機にさらされました。

 事業を縮小し、家族経営で再スタートを決め、2005年に祖母の二三さんが2代目として事業を継承し、社名を現在の「アイズ」へと変更しました。家業を守ることを目標に、祖母と母は取引先の注文をこなし、父の康弘さんは会社員として家計を支え、事業を継続したのです。

祖父の時代に建てた三重県伊賀市にあるアイズの工場。社名の由来は、創業者の昇さんが福島県の「会津」出身だったこと、「愛がいっぱい」、「広い視野を持つ、世の中の流れを見る=eyes」など複数の意味が込められています

 いまやアイズの強みとなっている革物縫製は初代の死後、窮地に立ったアイズに取引先の製造部から「仕事の幅を広げるために革物縫製をしてみないか?」との提案がきっかけで開始。

 革物は扱いが難しく、針を一度落とすと縫い直しができない、専用の設備が必要になるなど技術と設備の面で難易度が高いものでしたが「必死で学び、設備投資もしました」と、当時を振り返る栄津子さん。その甲斐あって、徐々に業績は回復しました。

 2015年には会社を定年退職した康弘さんが高齢の祖母に代わり3代目に就きました。このころからコンピューターミシンや特殊な縫製を行うハイポストミシン、皮革を薄く削る漉機などを導入。伊賀市商工会の補助金なども利用し、計1千万円ほどの設備投資をしました。革物の商品は単価が高いため、売上向上につながりました。

 2021年には姉の沙央(さちか)さん、2022年に宗央さんが加わり、現在の4人体制になりました。

立体縫製に便利なポストミシンのなかでも高さのあるハイポストミシン。補助金を活用し導入したもので、これにより製造できる鞄の幅が広がりました
立体縫製に便利なポストミシンのなかでも高さのあるハイポストミシン。補助金を活用し導入したもので、これにより製造できる鞄の幅が広がりました

 売上の8割以上を占める大手メーカーからのOEM製造が好調で「おかげさまで、請け切れないほどのご注文をいただいております」と話すのは、初代の時代から長く家業に携わり、OEM先との折衝を担当している栄津子さん。

 トート、ショルダー、リュックなどあらゆるデザインの製作を請け負っていますが、「メーカーからのオーダーは縫い目ひとつにも厳しい品質基準があって、高い技術力を求められます。その要求に長年応える続ける中で、私達の縫製技術も着実に向上してきました」

工場内に並ぶ生地のストック。帆布、ナイロン、革などさまざま素材と色があります
工場内に並ぶ生地のストック。帆布、ナイロン、革などさまざま素材と色があります

 鞄製造の国内工場は、職人の高齢化や後継ぎ不足、安価な海外製品の増加などにより年々減少しており、確かな技術と設備を持ち、若い人材がいるアイズのような会社は貴重な存在です。さらにアイズでは革物縫製が出来ることから、ミシンメーカーや取引先からの新規紹介も多いと言います。

 曽我さんは子どものころから工場に通い、家族が働く姿を当たり前の風景として見てきました。「小さなころから絵を描いたり、何かを作ったりするのが好きでした。物づくりの仕事も楽しそうに見えました。でも納期が近くなると遅くまで作業したり、家に持ち帰っても仕事をしていたり、大変そうだなとも思っており、自分の仕事にするつもりはまったくありませんでした」

 自分で何か事業を興したいという夢があり、長崎の大学で経営学を専攻しました。しかし、大学3年(2020年)の時にコロナ禍で対面授業は無くなり、伊賀に戻ってのリモート授業が中心に。家での時間が増えたことで、自然と家業を手伝う機会が増え、母親に教わって鞄を作るようになりました。

 「鞄が出来上がったときの達成感がうれしく、楽しかったんです」

 コロナ禍で思うように就職活動ができないなか、将来の選択肢に「家業もいいかも」という気持ちが芽生えたと言います。

工場内では家族4人がミシンに向かい、それぞれの役割をはたします
工場内では家族4人がミシンに向かい、それぞれの役割をはたします

 その気持ちを家族に伝えると、父は「一度社会に出た方がいい」と反対し、母は「涙が出るほど嬉しかった」と大喜び、一年先に家業に入った姉の沙央さんは「別にいいんじゃない」という反応だったそう。

 「いろいろ悩みましたが、自分でゼロから事業を立ち上げるよりも、家業のなかでできることを見い出そう」という結論に至り、4代目を継ぐ覚悟で大学卒業と同時に家業へ入りました。

 曽我さんは、大阪の取引先の職人や母から縫製技術の基礎を学ぶなかで「自分のブランドを立ち上げたい」という思いが膨らんできたと言います。

 「OEM製造は収入の柱ですが、相手先のニーズに合ったものを作る仕事。せっかく設備もあるので、自由に自分の好きな鞄を作って販売したい、兼ねてからの夢だった事業を興したい」

 それからは休工日も工場へ行き、技術を磨き、使う素材も帆布生地から合皮、革へとステップアップ。「覚えが早く、我が息子ながらセンスがあると思います」とうれしそうに話す栄津子さん。曽我さんの頑張りは家族にも認められ、OEMの仕事を優先することを条件に、若い感性を生かした商品づくりへの挑戦を快く応援してくれました。

 しかし、実際に着手すると、コンセプトは?ターゲットは?生地の選定や仕入れ、デザイン、販路など考えることは山積みでした。「口で言うのは簡単ですが、今思えば何も考えてなかったです」。

 ネットやショップなどを見て流行やデザインのリサーチをしたり、実際に帆布、ナイロン、革物などで鞄をいくつか作成し、イベントやマルシェに出店して顧客の声を聴き、アンケートを取るなど、独自に情報を集め、自分なりにブランドの方向性を模索していきました。

 鞄購入の決め手になるのはデザインという回答がいちばん多く、次に機能性に関する声も多かったそうで「第一印象、まずは手にとってみたいと思える見た目、そしてこの道50年の歴史を持つアイズだからできる技術力が伝わる」ことが大事だと気づいた曽我さん。そこに「自由」というテーマをプラスして、自らの名前をつけた「MUNECHIKA」という自社ブランドを立ち上げました。

MUNECHIKAブランドで使用する栃木レザー。型にあわせて革を切り出し、ひとつひとつ丁寧に仕上げていきます
MUNECHIKAブランドで使用する栃木レザー。型にあわせて革を切り出し、ひとつひとつ丁寧に仕上げていきます

 また、マルシェへ出店したときに一番高い革を使った鞄を気に入って購入してくれたお客様が「この革がいい!」と褒めてくれた言葉が印象に残り、自社の強みである革物をメインにし、シンプルで長く使える、しっかりとしたつくりの高級ラインのブランドにしたいと考えました。

 革の鞄は高品質な栃木レザーを使い、鞄の立体縫製ができるハイポストミシンを使って、細部までこだわった縫製で仕上げます。「市場ではレザーを扱っているブランドやmade in Japanで高品質を売りにしているブランドはたくさんありますが、レザー、縫製技術(made in Japan)、デザインの三要素を掛け算することで唯一無二の強みができると思っています」。

 ターゲットは「良いものを長く使いたい30代~50代」。曽我さん自ら革選び、デザイン、裁断、縫製、検品、販売までをすべてをこなします。

 そして最大の課題は販路です。OEMはいわば買い取り先が決まっている商品を作るのに対し、自社ブランドは自分で販路を開拓する必要があります。曽我さんはまずホームページをリニューアルしました。

 「アイズには店舗がなかったので、直売の方法はイベント出店しかなかった。ホームページに通販機能をつけ、一気に窓口が広がりました。お客様にもホームページから購入できますとご案内もできるようになりました」

 さらにアイズの歴史、MUNECHIKAのコンセプト、スタッフ紹介も掲載。ネット上の常設店舗で鞄づくりへのこだわりや思い、これまでのストーリーをしっかりと伝えたのです。その説明文は曽我さんが全部書きました。

 50年以上、鞄を作っていてもOEM製造品では「アイズ」の名前が表に出ることはなかったため、地元の人も知らなかった伊賀市の小さな鞄工場の存在が世に知られる入口が出来たのです。

MUNECHIKAのサイト画面。ネット販売もしています
MUNECHIKAのサイト画面。ネット販売もしています

 ネットを見て遠方から工場まで直接買いに来る人も出現しました。「年々、MUNECHIKAの販売数は増えていますが、売上としては全体の1割程度。マルシェやイベントにも積極的に参加して直売を増やしたい。ハンドメイドのセレクトショップなどにも扱ってもらえるようになったらうれしい。最終目標は直営の実店舗を持つことです」と、曽我さん。

 さらに母の栄津子さんと、曽我さんがそれぞれにインスタグラムでの発信も開始。鞄工場の日常動画を中心にアップしている栄津子さんのinstagramは今や9000人越えのフォロワーがついています(2025年5月現在)。

 自社ブランドの立ち上げにより、家業にも変化がありました。今までになかった直売をすることで「消費者との接点ができ、顧客の声が直接届くこと」、「取材などメディアに出る機会が増えたこと」で、作り手と買い手の姿がはっきりと見えるようになったのす。

 「自分が作った商品が認められ、購入にまでつながったときはとても達成感があり、自信につながりますし、創作のモチベーションがあがります。やはり商品が認められるとうれしいです」と曽我さん。

 家族全体のモチベーションもあがり、栄津子さんや、姉の沙央さんもオリジナル商品をつくるようになりました。これらは家族それぞれの名前の頭文字からとった「Yes-m」という別ブランドで販売しています。

高校時代から家業を手伝い10年以上の縫製キャリアがある姉の沙央さん作のキーケース
高校時代から家業を手伝い10年以上の縫製キャリアがある姉の沙央さん作のキーケース

 そして自宅のそばに直営ショップと新工場を併設するという、アイズの新たな目標ができました。

 「今は父が代表で、母が製造の中心を担い、姉も僕もお給料をもらう立場ですが、少しずつ自分のできることを増やしていきたい。事業が安定している今だからこそ新しいことに挑戦をしたい」と曽我さん。4月からは姉の沙央さんが経理業務も担い、少しずつ次の世代にバトンタッチの準備がすすんでいます。

 「軸となっているOEM製造をしながら、自分のブランドの商品をつくるのは大変で、休みの日を利用して作っていますが、自分のやりたいことなので楽しく、やりがいを感じています。もっと自社ブランド品の販売比率が増えるように、積極的に発信していきます。企画から仕入れ、販売まで自分ですることで、お金の流れも分かり経営面での練習にもなっています。いつかは、アイズを家族経営から会社としての環境が整うようにしていきたいです」

 曽我さんは家業の技術を継承しながら、自分の夢を叶え、それが会社の夢となるように日々奮闘中です。

家族4人で妥協ない製品を手掛けています。父の康弘さんも定年までオーディオメーカーのデザインに従事していた経歴を持ちます
家族4人で妥協ない製品を手掛けています。父の康弘さんも定年までオーディオメーカーのデザインに従事していた経歴を持ちます