目次

  1. ヒップホップ青年がアメリカで“屏風屋”を継ぐ決意
  2. 伝統的な商材が生き残るには 積極的な発信と変化
  3. 需要減少から値下げ 職人はやめ廃業が増える悪循環
  4. 海外に屏風を知ってもらうための挑戦

 都内唯一の専門店・片岡屏風店は、スカイツリー至近の個人商店や古い家がひしめく一帯にあります。犬を連れた高齢者が立ち話し、どこかの家からカレーの匂いが漂う、“いかにも下町”という風情が残っています。ショールームの扉を開くと、英語での商談が耳に飛び込んできました。

 「今日はカナダからのお客様でした。葛飾北斎『富嶽三十六景 神奈川沖浪裏』(1万5000円・税別)の小型の屏風を3点、お買い上げくださいました」と片岡さん。アメリカ留学経験がある片岡さんの英語の説明に、海外客は聞き入っています。

 片岡さんが生まれ育ったのは下町・墨田区ではなく、山手・杉並区です。幼い頃から家業に触れる機会は少なく、進学したのは国際色豊かな中高一貫の男子校。和の文化とは縁が薄い環境で育ってきました。

 「父も自宅から墨田の工房に通勤しており、家業への意識は低かったです」と言う片岡さん。父の方針もあり、自由な学生時代を送ります。10代はヒップホップにのめり込み、アメリカの文化に魅了され、高校時代にアメリカ・ボストンへの短期留学も経験。

 そこで出会ったのは、自国の文化に誇りを持つ、世界各国から集まった高校生たち。彼らは日本の文化に深い関心を寄せ、“枯山水とは?”“日本画の特徴は何か”など矢継ぎ早に質問してきました。

 誰もが自らのアイデンティティに誇りを持ち、積極的に語っていますが、片岡さんにそれができませんでした。「家業が屏風屋だと言うと、質問攻めに遭いましたが、でも、何ひとつ答えられなかったんです。屏風の歴史、節句人形の意味など、全くわからない。それが恥ずかしくて、悔しかった」

 そのとき、片岡さんの中に、「父と祖父は、日本人のアイデンティティに関わることを仕事にしてきた。自分が後継者になりたい」という意識が芽生えます。この頃から屏風の歴史や構造について、父に質問するようになったのです。

 「大学2年生の時に、家業を継ぎたいと父に伝えました。今後の人生を屏風にかけると腹を決めたときに、時代に合わせて変えなくてはと心のどこかで思ったのです。そのために、外から日本を見ることが必要だろうと」

 さらに、屏風のことを広く伝えるには、話者の人口が多い英語が必須だと確信します。そこで、片岡さんは大学卒業後に1年間、アメリカに留学します。これには、父の“広い世界を見て、多くの人に会った方がいい”という応援もありました。

 家業と日本文化の伝達を背負った留学は、英語を身につけるため、猛勉強の毎日でした。

 1年間のプログラムを終えてから、片岡さんと友人は、アメリカ大陸を横断する車の旅に出ます。その道中で積極的に現地の人と交流し、屏風についてヒアリング。屏風は日本では伝統的に風よけや間仕切りとしての役割を果たしてきました。

大学卒業後、1年間の米国留学のカリキュラムを終えた後、アメリカ横断の車の旅に出かける。滞在先のホテルやレストランで親しくなった人に屏風について説明。多くの人が興味を持った。
大学卒業後、1年間の米国留学のカリキュラムを終えた後、アメリカ横断の車の旅に出かける。滞在先のホテルやレストランで親しくなった人に屏風について説明。多くの人が興味を持った。

 「屏風は紙と木でできたパーテーションであり、アートです。この実用とアートを両立した存在が、海外では珍しがられました」

 また、木と紙でできており、1枚にもなるのに、折れば直立する。「つなぎ目がある構造や、好きな絵や布を屏風に仕立てられることに興味を持つ人が多い。潜在的な需要があることを感じました」

 帰国後は父の指示で1年半の職人修行へ。経営者でありながら、優れた職人でもある父は、“製作を経験しなければ、伝統工芸品を扱えない”という信念の持ち主。片岡さんは、取引先の新潟の工房に入り、ゼロから技術を叩き込まれ、毎日、屏風を作り続けます。

 屏風は木枠を組み立て、和紙で繋ぎ、表面を張って完成します。素材の木や紙を加工する人、表装する人など分業制が取られており、多くの人の手が入っている。祖父の代は節句人形用を、父からは結婚式や発表会用の金屏風なども手掛けるようになりました。

 「いずれも、何度も買い直すものではありません。職人として手を動かしながら、今後、私は屏風をどのような切り口で作り、売っていけばいいのか常に考えていました」

 大学卒業から、留学と修行の2年半、もう一つ考えていたことは、発信力を強化することでした。「いいものを作っていれば選ばれると悠長に構えていると、忘れられるだけでなく、変化から取り残される。焦燥感と危機感は常にありました」

 2012年、家業に入って手掛けたのは、公式Webサイトのリニューアル。海外の人が見てもわかりやすいことを念頭に、東京都から助成金を得て、スタイリッシュなサイトに変えました。

 「屏風の歴史の深さを写真で紹介し、オーダーメイド屏風の事例を多く掲載。外国人に人気がある葛飾北斎の屏風の英語サイトも作成したのです」。また訪日外国人向けの媒体の取材を受けたり、海外の展示会やイベントにも参加。「屏風を見れば良さがわかる」と広報活動を行います。

 さらに、SNSも積極的に運用。「米国留学で、海外からの潜在的な需要があることを肌で感じました。そのため、アニメやアートなどとコラボレーションした魅力的な屏風作りの実績を重ね、それを発信することが不可欠だと感じました」

現代アーティストとコラボした、グラフィティ屏風が人気。これは、アーティスト・SOLID BLACKLINEのイラストを屏風に仕立てる。墨田区の商業施設『東京ミズマチ』にあるレストラン『Shake Tree Diner』の依頼を受け制作する。
現代アーティストとコラボした、グラフィティ屏風が人気。これは、アーティスト・SOLID BLACKLINEのイラストを屏風に仕立てる。墨田区の商業施設『東京ミズマチ』にあるレストラン『Shake Tree Diner』の依頼を受け制作する。

 片岡さんの父も変化の対応に敏感です。「人に会い、変化に対応する、という姿勢は父から学びました。父の大きな決断は、1991年、少子高齢化が遠い未来の問題だと思われていた時代に、将来を見越して、工房の1階をショールームにリフォームしました」

 片岡屏風店の販路は、創業からほぼ99%を節句人形の卸問屋に納めていました。長くBtoBのビジネスを続けていましたが、父は1990年代にBtoC(個人向け)の販路を新たに作ったのです。

 その背景には節句人形の需要減への危機感がありました。1991年の日本の出生数は122万人でしたが、そこから減少の一途を辿り、2023年は72万人と減り続けます。

 人口全体の子どもの数も少なくなりました。2025年5月5日、総務省統計局は「こどもの日」にちなんで、現在日本にいるこども(15歳未満・推計値)の数を発表。昨年より35万人少ない1366万人で、44年続けて減少という結果でした。

 片岡さんは父が始めた個人向け事業に軸足を据え、さらには海外へと広げようと、各国の大使館や、外資系ホテルのコンシェルジュへの営業などに奔走します。それには、留学時代の友人たちもアドバイスをくれたそうです。

 「伝統工芸品を広めるには、とにかく人に会い、魅力を知っていただくのみでした」

 家業に入って数年が経過し、業界の構造が肌でわかるようになりました。節句人形部分は主に父が担当し、個人向け部門は片岡さんが中心となり、販路の維持と拡大を行いました。

 手応えを感じた2015年ごろ、片岡さんはBtoB事業の原価計算を行います。すると、思った以上に利益が薄い。

 「かつてのように薄利多売時代ならまだしも、ビジネスとして成立しない数字でした」

 節句人形業界は、需要減にあえいでおり、下に行くほど値下げが強いられる構造になっていたのです。

 片岡さんは、個人向け事業が広がりつつある状況もあり、値上げに踏み切ることにしました。「低価格での販売を続ければ、いずれ技術と文化の継承ができなり、職人の転職、廃業が増える悪循環に陥る。負の連鎖は私が切らなければいけないと思ったのです」

 当時の代表だった父に相談した上で、全国の取引先に、値上げの交渉に行きます。「値上げを打診した段階で、取引が打ち切りになることもありました」。売上がごっそり抜けてしまい、眠れない夜を過ごしたこともありました。

 片岡さんを支えたのは、「持続可能にするには値上げしかない」という信念です。「家業に入ってから、若い人を採用し職人として育ててきました。彼らが幸せに生き、文化を継承する未来を作りたかったのです」

 2022年7月、経済産業省の製造産業局・伝統的工芸品産業室が発表した説明資料によると、2020年時点での伝統工芸の市場規模は870億円、従事者数は5.4万人。これを単純計算すると、1人あたりの生産額は、年間161万円です。これでは、生活すらままなりません。

 「うちの職人さんに限らず、多くの職人さんは素晴らしい技術を持っている。人の力を超えた技術には魂が入ります。私は屏風もその他の工芸品も、消費される“製品”ではなく、生活に共存する“存在”だと感じています」

 これは片岡さんが、大量生産品を大量消費するアメリカのライフスタイルから、感じたことだといいます。

 そこでフルオーダーの屏風にさらに力を入れました。個人・法人からの需要があると感じても、現代の生活様式にない「屏風」がどんな風に受け入れられるのか正解があるわけではありません。そこで、アート寄りの屏風の他にも、漫画やアニメをあしらった屏風、企業用のオリジナルの屏風、ファッションブランドの店内装飾用屏風などの製作も始めました。これらは全て、安定した受注を受け主力商品として成長しています。

片岡屏風店オリジナルの雛飾り『扇 -SENN-』。“扇 (せん)”とは屏風の一面を数える単位のこと。男雛・女雛・三人官女・五人囃子がマグネットになっており、自由にレイアウトでき、写真や絵なども飾れる
片岡屏風店オリジナルの雛飾り『扇 -SENN-』。“扇 (せん)”とは屏風の一面を数える単位のこと。男雛・女雛・三人官女・五人囃子がマグネットになっており、自由にレイアウトでき、写真や絵なども飾れる。

 「片岡屏風店の原点は、やはり節句人形です。なかでもひな人形への思いは強い。そこで、2024年、ひな人形を模したマグネットを屏風に貼れる、『扇-SENN(せん)』を発表。オンラインストアで展開しています」

 海外のアーティストとのコラボレーションも積極的に行なっています。片岡屏風店のInstagramを見たアーティストから連絡があり、2021年に、スウェーデンのストックホルムで現地のアーティスト5人とコラボレーションした『UNFOLDING IMAGE』を開催。

 片岡さんは現地に素材と道具を持って飛び、穴がくり抜かれた屏風、墓のような形の屏風などを製作します。この、屏風の西洋的解釈は、現地のファッション誌『Vogue Scandinavia』の編集者の目に止まり、情報発信が行われました。以降、フランス、ベルギー、スイスなど欧州から個人向けの受注が舞い込むようになります。

 「翌年、東京のスウェーデン大使館でもこの展示を行い、国内でも屏風という存在そのものが注目されました。この頃から、企業からの依頼、ショールームに来る海外のお客様が急増しました」。それは、地道に営業活動を続けてきた成果が実ったとも言えます。

 今、片岡屏風店の売り上げ比率は、海外からの受注が全体の3割、節句用とオーダーメイドがそれぞれ4割ほどだそうです。「英語ができるのが私しかいないので、常にメッセンジャーとメールをチェックしています」

2021年スウェーデンのストックホルムで開催されたアート展『Unfolding Image』の制作風景。スウェーデンのアーティストと同時制作で屏風に仕上げていく様子。5人分の屏風制作を一人で行ったため、片岡さんは滞在中の7日間、ほぼ外出せず制作に没頭。
2021年スウェーデンのストックホルムで開催されたアート展『Unfolding Image』の制作風景。スウェーデンのアーティストと同時制作で屏風に仕上げていく様子。5人分の屏風制作を一人で行ったため、片岡さんは滞在中の7日間、ほぼ外出せず制作に没頭。

 変化や需要に敏感な片岡さんは、今後も伝統と時代のニーズを融合させることを追求しています。「例えば、アニメやアイドルなど“推し”を屏風にすること、またフィギュアや“祭壇(推しのグッズを飾る棚)”を引き立てる屏風など、アイディアは尽きません」

 また屏風は、空間を完全に仕切らずに、ゾーニングをしつつ、プライバシーを確保します。「この、人と繋がっているのに、相手の姿は見えないという安心感は、屏風の文化。今後、ルームシェアや介護などで、実用面も注目されると感じています」

 屏風は奈良時代に日本に伝わり、独自の発展を遂げてきました。生活用品でありながら、装飾品であり、国宝級の美術品も存在します。この、実用と芸術の共存も、屏風も魅力。ここをさらに深めて、今後も発展させると片岡さんは語っていました。