【ケース】

 「将来お父さんの代わりをするのはあなたなのよ」。Aさん(37)は機械部品メーカーを創業した父の1人息子として、母からそう言われて育ってきました。東京の大学を卒業した後も、家業を継いだ時に役に立つように大手メーカーに就職しました。それから15年。父は60半ばを迎えましたが、家族の中で一番元気な様子で、社長の座を譲る気配は少しもありません。
 悩んだAさんが検索エンジンに「事業承継 マニュアル」と打ち込むと、中小企業庁の「経営者のための事業承継マニュアル(PDF:4.5MB)」 が目に入りました。クリックすると「事業承継には5年から10年はかかる」「後継者の育成期間を踏まえると60歳ごろには事業承継の準備をスタートしたい」とのアドバイスを目にしました。焦りを深めたAさんでしたが、「事業承継」が具体的に何を指すのか、すぐには思い浮かびません。

目次

 「経営者のための事業承継マニュアル」では、事業承継(親族内・従業員承継)を以下の5ステップ に分けています。

  1. 事業承継に向けた準備の必要性の認識
  2. 経営状況・経営課題等の把握(見える化)
  3. 事業承継に向けた経営改善(磨き上げ)
  4. 事業承継計画策定
  5. 事業承継の実行

 各ステップにおいて何が必要なのでしょうか。今回、大宅達郎弁護士(東京双和法律事務所)にお話を伺いました。大宅弁護士は日本弁護士連合会の中小企業法律支援センターの委員・事務局次長で、中小企業の支援を目的とした全国の弁護士ネットワークのジャパン・リーガル・アライアンス代表幹事も務めるなど、事業承継のスペシャリストとして知られています。

――中小企業庁の事業承継ガイドラインには「事業承継は『株式の承継』+『代表者の交代』ではなく、『人(経営)』、『資産』、『知的資産』の承継」と書いています。それぞれについて、留意しておくべき点は何でしょうか。

 まずは「人」の承継についてです。人の承継とは経営者としての知見や経営理念、経営の承継を指します。段階としては「いつどういう形で継ぐのかを話せていない」、「話はできているが承継の準備が具体化していない」、「具体的に事業承継を実行しているが、課題が出てきて進まない」という3つに分かれると思います。

 最初の段階が、経営者と後継者の「対話」です。この対話が思いのほか難しい場合も多く、事業承継の話し合いを始めるにあたり、後継者と先代社長(現経営者)との目線が合わないという話をよく聞きます。

 事業承継は、これからの20年、30年を考える未来志向の話である一方、現経営者の交代というセンシティブな話題なので、後継者や周りの方からは切り出しにくい側面があります。そのため、現経営者から後継者に話を切り出すのがベストだとは思います。しかし、何と言っても「息子は息子」「娘は娘」なので、経営者として対等に見ることが難しく、なかなか具体的な話にならないことも多いと思います。

――還暦を迎えても元気な経営者もたくさんいらっしゃいますね。

 60歳くらいだと非常に元気な方が多く、70歳を過ぎても元気という方も多くいらっしゃいます。承継のことは考えながらも、具体的な行動に移すのは、まだ早いと考えている方も多いように思います。

 ところが何かあった時のことや、時代の変化に対応できる体制を構築しようと考えれば、経営者の体や気持ちは元気でも、早めに後継者と現経営者が対話することや、事業や承継の具体的な計画づくりが非常に重要になります。

――大宅さんが事業承継問題に力を入れ始めた理由をお聞かせください。

 私は、もともと事業再生の案件に注力して取り組んでいたのですが、そこで、事業承継が遅れると企業自体が衰退してしまう傾向があることに気が付きました。

 例えば、製造業の会社で、こういうケースがありました。 息子さんは本社とは別の工場の工場長で、取引先の評判も良かったのですが、現経営者であるお父さんが彼の取引先からの評判を知らず、親子間で十分な対話もできていなかったために、事業承継が進んでいませんでした。

 そうこうしているうちに、外部環境が大きく変化していき、会社の収益力が徐々に下がって赤字に転落してしまいました。最終的に他社に売却する形で事業や雇用は残ったのですが、もう少し早く対話ができ、現経営者と後継者が互いの強みを持ち寄って経営に取り組んでいれば、違った結果になったのではないかと思いました。このように事業再生の事案を通じて、収益力の低下を阻止して、事業を維持・発展させるためには、円滑な事業承継が必要だと感じ、重点的に取り組むようになりました。

――話し合いの開始時期はいつ頃がベストなのでしょうか。

 お子さんが承継を意識したら、入社しているかどうかにかかわらず、話し合いを始めていいと思います。

 というのも、事業承継に必要なステップの4番目に「事業承継計画策定」がありますが、計画策定のためには、まず事業計画を立てることが必要です。後継ぎに株や債権をいつ引き継ぐか、得意先にどうやって紹介するか、いつ代表者を変更するかというテクニカルなことに目がいきがちですが、承継計画の前に、中長期の事業計画を立てることが必要だと思っています。

 会社の主役は事業です。なので、5年後に事業がどうなっているかというところから逆算をして承継計画を立てるべきだと思います。現経営者の方が、どのような想いで経営に取り組んでいるのか、先代から受け継いでいる場合にはその際の話、創業者であれば創業の苦労、そして10年、20年先の展望や課題などを、後継者の方も把握して、ご自身でも考えを持っておくべきだと思います。

 そのためには、なるべく早く承継を意識して準備しておくことが必要です。話し合いを始めるのは、先代が55歳、後継ぎが20歳の時でもいいと思います。親御さんの方が積極的でなければお子さんから話し合いを持ちかけてもいいと思います。良い承継ができているところほど、早く動いているという印象がありますね。

――資産の承継についてはいかがでしょうか。

 まず、資産の承継ですが、会社の株式の承継が挙げられます。生前贈与なのか、売買なのか、後継者の保有比率などを検討する必要があります。また、株式だけでなく、会社の事業に不可欠な資産、工場の土地・建物が会社の所有なのか個人の所有なのか、峻別することも重要です。

 そして、資産だけでなく、負債の承継も意識する必要がありますが、具体的には、個人保証が挙げられます。後継ぎの負担を考えると個人保証を取らせないことが一番重要です。この点については、昨年12月に「経営者保証に関するガイドライン」の特則が策定され、現経営者と後継者で二重となる個人保証の原則禁止や、個人保証を回避するための具体的な指針などが定められています。また、今年に入って、ある一定の基準を満たした会社については、後継の経営者の個人保証なしで融資を実施する新たな信用保証制度(事業承継特別保証制度)が導入されています。

 事業用資産の承継に際しては、まず事業用の資産が会社の所有になっているかを確認することが大切です。それから、自社所有の不動産を賃貸している場合には、賃料が適正水準なのかなどもチェックする必要があるでしょう。

 一般的にM&Aをする時は、デューデリジェンスといって財務や法務、税務面での詳細な調査を行って(買収先の)状況を調査することが求められ、このプロセスを通じて会社の見える化が起こります。親族内承継は、M&Aではありませんが、後継者の目線に立てば、これから自身が経営をしていくため、会社の資産・負債の状況を正確に把握しておく重要性は同じだと思います。もちろん、知らない会社を買収するM&Aの場合と同じ手間をかける必要はないと思いますが、会社の健康診断という趣旨も含めて、公認会計士・税理士1人、弁護士が1人程度でも良いと思いますので、会社の現状を把握し、見える化することをおすすめします。

――知的資産の承継についてはいかがでしょうか。

 まず、知的資産が人に依存しているかどうかの確認が必要だと思います。 例えば、会社の主力商品が特定の職人さんなくして作れないのであれば、特定の人の能力に依存しているので、承継を難しくさせる要因になります。後継者を育てるのに時間が掛かるからです。

 一方、会社が所有する特許や蓄積のあるコンテンツのように、人に依存しない知的資産 を持っている場合は強いと思います。他には、レストランであれば、地域コミュニティーに受け入れられて人気を博していれば、料理人の交代で味が多少変わったとしても、直ちに顧客が流出するということはないかもしれません。

 ただ、中小企業だと、知的資産が人に紐づいている場合が多いと感じます。例えば、今相談に乗っている会社の社長さんたちも、技術者でもあり経営者でもある方が多いです。その人が培ってきたノウハウがあるから、会社に価値が生まれている部分があるんですね。いわゆるものづくり系の会社に多いケースだと思います。

――簡単に蓄積できるノウハウではなさそうですね。

 高度な技術を要する製品を作りながら、コストも下げられるようにするのは、簡単に真似できることではありません。まず、数年では難しいと思います。特定の人が有する高度な技術で商品を作っている会社の後継者は、早めの対応が必要です。例えば後継者が技術者ではなく、財務や営業等でキャリアを積んだ人なら、技術を持っている会社を買収するという方法も考えられると思います。

大宅達郎弁護士は事業承継のスペシャリストとして知られている(写真は大宅弁護士提供)
大宅達郎弁護士は事業承継のスペシャリストとして知られている(写真は大宅弁護士提供)

――事業承継の各ステップについて具体的にお伺いします。1番目の「事業承継に向けた準備の必要性の認識」で、後継ぎ候補がやっておくべきことをお聞かせください。

 現経営者が悩むのは「この会社を本当に子どもに受け継がせていいのか」ということです。特に、業界全体が低迷している場合や、自社の財務状態や収益力が良くなくて、将来の経営に不安がある場合です。

 その場合、先程も述べたように、個人保証の問題が発生します。息子さんや娘さんに個人保証をさせなくてよければ、「継いで欲しい」「継がせたい」という経営者はたくさんいると思います。まずは、税理士・公認会計士や弁護士などの第三者支援機関を利用して、現状の課題を整理して、解決の方向性を把握し、具体的に取り組む決意を新たにすることが大切だと思います。

――では、ステップ2番目の「経営状況・経営課題等の把握(見える化)」では、どのような点に留意することが必要でしょうか。中小企業庁のガイドラインには、①会社の経営の見える化(事業の将来性の分析など)、②事業承継課題の見える化(相続財産の把握など)が挙げられています。親族内承継の場合に必要なことを教えて下さい。

 ②を検討する上では①の分析が不可欠という関係にあります。例えば、事業承継課題の一つに、相続の問題がありますが、会社株式の相続税評価だけでなく、会社が抱えている借入金の把握も必要です。個人保証の問題がありますし、会社の収益力に対して借入金が適正な額になっているのかも非常に重要です。端的に言うと「借入金の返済計画がありますか」という話です。皆さん日々借入金の返済はしていますが、いつまでに返済できるかという計画がない会社は少なくありません。

――返せているので必要がない、という認識なのかもしれませんね。

 そうです。返済をするためにどれだけの利益が必要かについては、把握してない人が多いのです。今の収益力を維持すればいいのか、それとももっと上げなくてはいけないのか。本来は、それを意識しなくてはなりません。必要であれば借換えをして返済期間を延ばすことも検討に入れる必要があります。計画がきちんとできていれば、事業の将来的な分析も前向きにできます。

 承継の際にも、既存の借入金を会社の収益力で十分に返済できる会社と判断されれば、個人保証を付けないで事業承継が可能となります。 借入金の返済計画を考えるにあたり、「貸借対照表が云々」と言われてもすぐにはピンとこないと思います。役員からの借入金などが多額にあるために債務超過の会社もありますし、事業に使用されている資産が個人の資産になっていて、貸借対照表に反映されていない場合もあります。問題は今の収益力で借金を返し切れるかどうか。そう考えると、事業計画・収益計画が大切になってきます。

――会社経営の見える化と、事業計画は連動していますね。収益力も含めた会社の財務状態を見える化するには、何が必要なのでしょうか。

 まず、資産や負債の見える化については、自社ビルなどの不動産や工場設備などの動産、株式など有価証券の時価がいくらなのか、正確に把握することが必要です。そして、収益力については、何が売れて、どれだけコストがかかっているかという原価、粗利を正確に把握すべきでしょう。原価率、粗利率を正確に把握するのは大変ですが、実行できれば何をどれだけ売れば黒字になるか、損益分岐点がわかります。

 また、価格交渉に際しても、当該商品を売るにあたって必要な粗利額がわかりますので、値上げ交渉や原価低減にもつながります。中小企業の経営者の方は、ずっとこの額でやっているから、という理由で商品や仕入れの価格について交渉しない人も多いですが、採算が合わないこともありますので、積極的に見直す意識を持っていただければと思います。

――相続税についても気になります。

 まず、自社の株を、誰がどのくらい持っているのか、そしてその株式の評価額や、株の保有者の意向も重要になります。これらの事情があいまって売買取引をするのか、それとも相続や贈与を選ぶかで、取得方法が決まります。また、事業承継税制を使うのか否かによって、相続のプランも異なります。特に相続税や贈与税は負担が大きくなりがちであるため、後継者が把握しておきたいポイントとなります。また、後継者に株を集中させようとするとき、兄弟間で株を保有している場合は、後継者以外の兄弟が株の譲渡を嫌がる場合もあります。トラブルを避けるには丁寧な準備が必要です。

――事前の準備といっても税や事業計画など、現経営者や後継者にとっては難しい話ですし、本業もある中なので大変だと思いますが、先代の経営者が課題を明確に認識していない場合は、どうすれば良いのでしょうか。

 税務や会計分野は専門性が高く、経営者や後継者の方が生の財務資料を見ても、どこに着目していいかはすぐに分からない面も多いので、専門家を利用することをすすめます。例えば、会社の実態としての財産状況や、原価率などの収益力の分析は、試算表や決算表だけでは分からない領域ですので、管理会計に強い公認会計士や税理士の方に相談すると良いでしょう。また、会社の支配権の状況や、事業遂行上でコンプライアンスの問題がないか、個人保証の状況などの権利義務について確認・分析するのであれば、弁護士を活用することになると思います。

 他には、商工会議所や自治体の相談窓口、中小企業再生支援協議会、事業引継ぎ支援センターなど中小企業を支援するネットワークがあります。 これらの機関にアクセスすれば必要に応じて弁護士や、公認会計士、税理士、中小企業診断士など、関連士業の紹介を受けることができます。

*後編では、3番目のステップ「事業承継に向けた会社の磨き上げ」以降の留意点や事業承継に必要なマインドなどについて伺います。