「夢を持てない会社」が溶接テーマパークに 社員を倍増させた2代目
若手人材の獲得が課題だった家業の鉄工場を、生まれ変わらせた2代目がいます。一般にはなじみの薄い工場を、溶接体験の場として「テーマパーク化」することで知名度を高め、社員数も倍以上になりました。業界のイメージ向上のため、溶接体験のフランチャイズ展開も始めました。
若手人材の獲得が課題だった家業の鉄工場を、生まれ変わらせた2代目がいます。一般にはなじみの薄い工場を、溶接体験の場として「テーマパーク化」することで知名度を高め、社員数も倍以上になりました。業界のイメージ向上のため、溶接体験のフランチャイズ展開も始めました。
福井県坂井市の長田(おさだ)工業所は1991年に創業し、工場や公共施設の手すりや階段などの製造や取り付けを手掛けてきました。そば畑に囲まれた本社工場の2階にあるのが、溶接体験ができるテーマパーク「アイアンプラネット」です。
かつて端材置き場だったというスペースには、工具や作業着がセンスよく並べられています。目玉は一般の人の溶接体験で、職人のサポートを受けながら短時間でオブジェやイスをつくることができます。予約制で、10分間の溶接体験が1500円、ネームプレート作りが2000円など、様々なメニューを用意しています。
作業スペースから1階に目を向ければ、職人の働く姿が見られます。バチバチと火花が散り、大きなクレーンが動く迫力ある様子は、非日常感があふれ、まさに「テーマパーク」といえる空間です。
アイアンプラネットは、長田工業所社長の小林輝之さん(45)の発想から生まれました。2代目経営者の小林さんは、すぐに家業に入ったわけではありません。大学入学後、居酒屋でバイトを始めて、イキイキした先輩の姿にあこがれ、大学を3年で中退。そのままバイト先に入社し、北陸エリアの店舗を統括するマネージャーも務めました。
「客の反応が見えて、それに対応して、改善するのが楽しかったです。売上など様々な数字を見たことは、家業の経営の練習になったと感じています」。一方、結婚して長女が生まれて夜の仕事がハードに感じたこと、母親から「30歳を過ぎると鉄工所の技術が身につかない」と言われていたこともあり、29歳で家業に戻ることを決意しました。
長田工業所は小林さんの父・伸太郎さん(69)が1991年に創業しました。小林さんが家業に戻った当時の従業員は8人で、父や弟など身内が半分を占めていました。ほかの従業員はベテランで、きっちり仕事はこなすものの個人事業主の集まりといった雰囲気で組織としての一体感は感じられなかったといいます。
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また、下請け工場という立場上、エンドユーザーの顔は見えません。小林さんは前職とのギャップに、むなしさを感じることもあったといいます。ものづくりにやりがいや面白みは感じながらも、自分が社長になった時の未来がまったく想像できませんでした。
「従業員の年齢がどんどん上がっているのに、技術を継承するシステムもありませんでした。いつかしわ寄せがくると予感しながらも、足元の業績が悪くないため、そのまま見て見ぬふりをしているような状態でした 」と振り返ります。
小林さんは2012年、37歳で社長に就任しました。漠然とした不安を払拭しようと、読書に励み、「マイクロモノづくりはじめよう」(三木康司・宇都宮茂著)という本に共感しました。自らのアイデアによる自社製品をつくり、下請けから脱することを説いたこの本がきっかけで、著者が開いたワークショップに通い、示されたキーワードが「ワクワクする気持ち」でした。
「『ワクワク』を核に据えて、新規事業のアイデアを練りました。すると、10歳のころに父と一緒に溶接をしたときに心が躍ったという感情がよみがえってきました。この体験をほかの人にも味わってもらうことで、会社を変えることができるのではないかとひらめきました」。試験的に溶接のイベントを開いたところ、大勢の参加者が集い、従業員も笑顔で楽しむ姿が見られました。小林さんは、アイアンプラネットの実現に向けて走り出しました。
小林さんはハード面の整備とともに、自らの思いを発信することに注力しました。資金調達のためのクラウドファンディングを始め、試験的に行ったワークショップの様子も逐一、プレスリリースで発表しました。2015年6月、自社工場の2階にアイアンプラネットをオープンしました。開業式典には坂井市長も出席し、メディアでも大きく報じられました。
当初、新規事業のアイアンプラネットを、採用につなげる意識はなかったといいます。それでも開業以来、年間100人ほどが訪れるようになると、入社希望者も増え始めました。アイアンプラネットの取材を積極的に受けることで企業イメージが高まり、採用にも優位に働いていると感じています。
オープン翌年には、創業以来初となる新卒の高校生が入社。報道でアイアンプラネットを知った母親からインターンシップを勧められたことがきっかけでした。2020年10月には、千葉県の22歳男性が入社しました。美大出身で溶接に興味があり、ネット検索したところ、アイアンプラネットにたどり着き、志望したといいます。
福井県の有効求人倍率は全国トップクラスの高さを誇り、中小企業の人材確保には、多額の費用がかかります。しかし、同社は求人サイトへの登録や人事専門職を置くといった採用コストはかけていません。それでも、小林さんの入社時は8人だった社員(役員を含む)が、20人にまで増えました。
小林さんは「企業の存在が知られていないから、就職を希望する人がいなかった」といいます。ただし、単に会社の名前を知ってもらうだけでは不十分です。
「仕事内容や、働く人の姿をわかりやすく印象的に見せることで、企業の存在を知ってもらえます。自分たちには当たり前の溶接技術も、一般の人には新鮮で興味深く映ります。我が社は特許や特殊な機械、誇れる強みはありません。でも、ないない尽くしの会社でも、アイアンプラネットで知名度が高まり、採用につながりました」
以前は「個人事業主の集まりだった」という会社の雰囲気も変わりました。
「父や古参の従業員は、仕事をミスなく行うことがやりがいのすべてでした。でも、アイアンプラネットで子どもたちに『先生』と呼ばれ、仕事を新鮮な目で見てもらう体験をしたことで、仕事により誇りを感じるようになりました」
従業員数が増えたことで扱う仕事も増え、プラネット開設前と比べて、売上が1.5倍になりました。工場も手狭になり、社屋を広げるという新たな目標もできました。
プラネット開設から5年。小林さんはプラネットのフランチャイズ(FC)化に乗り出しました。「他にも単発の溶接体験はありますが、規模は小さく影響力がありません。同じ看板を掲げて全国展開することで企業の認知度をあげ、製造業のイメージや価値の向上につなげたいと思いました」
FC契約を結んだ会社にはプラネットの名称やロゴの使用権、運営のノウハウを提供。2020年9月に、静岡県沼津市の影山鉄工所がFCの第1号となり、「アイアンプラネット ベースオブ沼津」がオープンしました。工場の活用に課題を抱えていた影山鉄工所から相談されたのがきっかけでした。
小林さんの思いは、同じような中小企業に広まり、今後は栃木、神奈川、岩手、岐阜、富山で順次、アイアンプラネットのFCがオープンする予定です。
プラネットの構想は企業のブランディングにつながりますが、小林さんは本業を圧迫してはいけないと考えています。実際、プラネットのFC化による収益は、長田工業所の実績の1%ほどにしかすぎません。それでも、小林さんは人材獲得に悩む地方の製造業のボトムアップを見据えて、アイアンプラネットのFC展開を進めます。
「社長に就任したときは、会社に夢も希望も持てませんでした。しかし、会社の存在を知ってもらううちに、思いがけない効果が次々と生まれました。プラネットは製造業全体に貢献するための存在です。FC加盟が10社に広がったら、それぞれの成果をプレゼンする全国大会、そして全国に広がればアジア大会、ワールド大会を開きます」と力強く宣言しました。
職人が自身の仕事の価値を再発見しながら働き、大勢の人が訪れ、活気に満ちた鉄工所。そんな製造現場が「プラネット=惑星」のように広がる未来を、思い描いています。
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