家業を継ぐ気はなく、専業農家に

 福森工作所は1965年、福森さんの祖父で現会長の登さん(92)が鉄工所として創業しました。2000年から先代で父の啓恭さんが社長となり、県内外の鋼構造物を手掛ける(鉄骨を加工して建築する)会社に成長しました。

福森工作所が手がけている建築工事現場(同社提供)
福森工作所が手がけている建築工事現場(同社提供)

 しかし、福森さんは「子どもの頃、父はまったく家にいなかったから会話もなく、正直、どんな仕事をしているのかも分かっていませんでした。後を継げと言われたことも一度もありません」と振り返ります。

 進路を考える時、家業を継ぐことは頭にありませんでした。「祖父は兼業農家として米も作っていて、僕も小さな時から手伝っていました。農業に興味がわきました」。塾講師の傍ら、兼業で米や野菜を作っていましたが、農業を極めようと、30歳のときに専業農家になりました。

「使命感」で家業に転身

 最初は農協などに出荷するだけでしたが、地元イベントへの出店で対面販売を経験。「栽培のこだわり、野菜の旬、美味しい食べ方などを伝える楽しさ、お客さんに直接感想を聞ける喜びを感じました」。そんな経験から自分の店を持ちたいという夢を描き、専業農家になって5年目、育てた野菜や加工品を扱う直営店を伊賀市内の駅前商店街に開きました。

農家として妻の理恵さんと二人三脚で直営店を運営していました

 客足は順調で地元レストランとの取引も増え、野菜の個人宅配も思い描いていました。「好きな仕事を妻と一緒に自分のペースででき、毎日充実していました」。しかし、オープンから1カ月後、運命は一変します。

 父が胃がんを患って入院し、急逝したのです。享年63歳でした。「まさか、という感じでした。入院してすぐに亡くなると思わず、会社云々以前に、普通の会話も出来ていませんでした」

 その年の秋には福森工作所3代目社長に就任。農業、直営店、社長業の3足のわらじを履くことになりました。創業者の祖父に「やってくれないか」と言われたことは覚えていますが、「考える余裕もなかった。長男の自分がやるしかないという使命感からでした」と振り返ります。

本音は逃げ出したかった

 建築業の知識や人脈はなく、仕事内容も分かりません。祖父が会長、母が経理として支えてくれましたが、先代はマルチプレーヤーで、自ら担っていた仕事も多く、従業員は1名だけという状態でした。

 「本音は逃げ出したかった。でも、取引先の工務店や鉄工所に挨拶に行くと、皆さんが父の話をしてくれるんです。父の人柄や手がけた仕事を初めて知りました」

福森さんは使命感を持って、異業種に飛び込みました
福森さんは使命感を持って、異業種に飛び込みました

 「あんたのお父さんには助けてもらった」と励ましてくれる同業者や先輩社長がたくさんいて「頑張らなきゃと思いました」。

 未経験者の福森さんは、建築の勉強に取り組みました。「職人や工務店さんと話そうと思っても話題が広げられない。必死で勉強しました」。基礎知識はもちろん、仕事に必要な資格も積極的に取得しました。

 同時に従業員を増やそうと考えました。父親と同じ仕事ができない以上、カバーできる人材が必要だったからです。「社長になってすぐ雇った人が優秀なベテランでした。図面は書けるし、溶接も営業も打ち合わせもできる。彼を中心に従業員も仕事をしてくれたので、正直、会社は回りました」。優秀な人材の確保でピンチを乗り切ったと思ったところに、落とし穴があったのです。

「建築の素人」という負い目

 「自分は素人」という思いもあり、福森さんは現場の業務をそのベテラン社員に任せきりにしてしまいました。しかし、次第にその社員の勤務態度がどんどん悪くなっていった、と福森さんは感じるようになりました。「経営者として改善することも、辞めさせることもできず、精神的にもつらかったです。当時は体重が7キロ落ちました」。最終的にその社員は自ら会社を去ったといいます。

福森工作所は伊賀市の郊外に位置しています

 福森さんは「建築業の後輩であることと、経営者として会社を統制することは別」と気づきました。異業種交流会に参加したり、周囲の先輩社長に相談したり、ビジネス書を読んだりして、経営者としての在り方を考えるようになります。

1枚の図面で生まれた覚悟

 社長という肩書は得ても覚悟は固めきれていませんでした。「好きな農業から興味のなかった異業種へ転身し、従業員とも深い関わりを避けて、現実から逃げながら仕事をしていました」

 そんな素人社長を変えたのは、会社にあった1枚の図面でした。

 「ある日、図面をふと見ていたんです。当時の僕には理解できない図面を、職人はちゃんと形にして、寸分狂わず現場に納品してくれる。そう思ったら、うちの職人はすごいなと、ものすごく感動しました」

工場内で作業する福森工作所の従業員

 福森さんは農業との共通点を見いだしました。「対象は違えど、妥協のないモノづくりをするという点は一緒だと気づきました。職人のこだわりが理解できるようになると、尊敬の念がうまれ、プロ意識を持って仕事に取り組めるようになったんです」

適材適所と感謝の気持ち

 農業をしていた時は、栽培のこだわりや魅力を伝えたい気持ちがあり、野菜づくりについて聞かれるのは、嫌ではありませんでした。

 「家業でも、分からないことは教えてもらうという姿勢で接したら、職人たちは気さくに話してくれるようになりました。自分が意識を変えたら、作業場に行く回数も増え、仕事の状況も把握しやすくなりました。コミュニケーションを深めたことで、従業員の好みや苦手なものが分かるようになり、得意な仕事に配置することで、作業効率もアップしたと思います」

 福森さんは朝礼で、感謝の気持ちを伝えるようにしました。「自分ができないからこそ、現場の職人の技術や知識を素直に尊敬できるし、感謝できる。会社が存続できるのもみんながいるおかげと、心から思えるようになりました」

採用を増やして大型工事も

 福森さんは2017年春、野菜の直営店は閉め、社長業に専念。社長に就任してからの4年間で従業員を9名まで増やし 、妻もパートとして家業に加わり、事業の拡大を図りました。「父は仕事ごとに外注業者を雇いましたが、大口の仕事が継続的にあったので、僕は従業員を雇うことを選びました。その方がコストも抑えられ、融通が利くと思ったからです」

 人材獲得には、父親の存在が大きかったと言います。「父がこれまで仕事をしてきた人や会社から、人材を紹介して頂くことが続きました。人が増えたことで大きな仕事が取りやすくなり、事業が拡大して、また人が必要になって、紹介してもらっての繰り返しでした。求人広告も出さずに済みました」

福森工作所では創業の原点を忘れないため、かつて鍬や鎌をつくっていた作業場を今も残しています(同社提供)

 従業員が増えて、大型ショッピングモールやホテル、高速道路のパーキングエリアなど大型工事に関われるようになりました。さらに大きな工事を担うための準備も進めています。

 「工場で作っている大きな柱を見ると、仕事のダイナミックさに誇らしさを感じます。この仕事に就いたからこそ、父の存在が感じられ、見守られているような気がします。父が残してくれた有形無形の財産をしっかりと引き継いでいきたい」

畑違いの家業に入る後継者へ

 突然、畑違いの家業を継ぐことになった後継者へ、福森さんはこんなメッセージを送ります。「僕の場合、建築と農業に、こだわりのモノづくりという共通点を見つけたときから、家業に愛着が持てるようになりました。そうしたら視野が広がり、従業員や取引先とのコミュニケーションもうまく取れるようになりました」

福森さんは家業のさらなる成長を見据えています

 異業種から転身した福森さんは、従業員との壁を取り払ったことで、建築業の魅力を強く感じるようになりました。「僕が感動したように、若い人に職人の技術の素晴らしさを知ってもらい、この仕事に就きたいと思ってもらえるように情報発信し、積極的に雇用したい。これが僕の新しい夢です」