脱「どんぶり勘定」の農業経営 有名菓子店に選ばれた満天星いちご
三重県伊賀市の農場「ファーマーズキタガワ」を営む北川敏匡さん(37)は、大手食品会社の営業職から、実家の農地で専業農家へと転身しました。職業としての農業の魅力を高めるため、データに基づいた緻密な事業計画で販路を拡大。2021年には有名菓子店のタルトにイチゴが使われました。
三重県伊賀市の農場「ファーマーズキタガワ」を営む北川敏匡さん(37)は、大手食品会社の営業職から、実家の農地で専業農家へと転身しました。職業としての農業の魅力を高めるため、データに基づいた緻密な事業計画で販路を拡大。2021年には有名菓子店のタルトにイチゴが使われました。
北川さんの実家は伊賀市の山あい、中山間地域に土地を持ち、限られた農地の中で代々農業を営んできました。父親は会社勤めの傍ら、兼業農家で稲作を手掛けていました。次男の北川さんは、子供のときから田んぼの手伝いをしていましたが、農業に特別な思い入れはなく、同志社大学工学部を卒業後は大手食品会社に就職します。
「当時はいい大学を出て、安定した企業へ就職することが親孝行と考えていました」。医薬品の営業部門へ配属され、実家を離れて仕事に打ち込みました。しかし、1年も経たないうちに向いていないと思ったそうです。「定年まで働く姿がイメージできず、かといって何がしたいのか分からないまま、辞めることもできずにいました」
北川さんは、田植えの時期や休日には実家に戻って農業を手伝っていました。「農業の担い手がおらず、周りの土地が耕作放棄でどんどん荒れるのを見て、気になっていました」
悩みを抱えながら会社員を続けること4年。「そもそも、なんで家を出て働いているのかと考えるようになり、ちゃんと稼げるなら田舎にいてもいいのではないかと思いました」。兄に実家に戻る意思はなく、農業を軸にこの土地で何をすれば稼げるかを真剣に考えた結果、「専業農家」という結論に辿り着きました。
両親からは猛反対され、地元での再就職先も勧められたそうです。それでも、「小規模でも高収益を出せるビジネスとしての農業を考えていたので、兼業ではなく専業でやりたかった。せっかくの土地を活かし、自分の体で勝負できる仕事をしてみたかった。だから『応援してほしい』と説得しました」と振り返ります
その当時の北川さんには、農業の経験や知識はほとんどありません。それでも、大手企業の営業職で汗をかいて培った精神は根付いていました。
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「父は会社勤めをしながら水田の管理や世話をしていましたが、体力的に年々厳しくなっているように見えました。主な収入は他にありましたが、かといって耕作放棄するわけにもいかない。僕は農業を職業にするからには、単に作って満足というどんぶり勘定にはしたくなかった。収支をきちんと把握して、利益をあげるビジネスモデルをつくり、若い世代が魅力的に思える農業をしたいというビジョンがありました」
まずは複数の農業法人の短期研修に参加しました。「トップクラスと言われているところを見たいと思い、県内外で3カ所ほどお世話になりました。しかし、正直、肉体労働で疲れて経営の勉強どころではありませんでした。色々な現場を経験できたのは良かったですが、もっと勉強が必要だと痛感しました」
北川さんは三重県農業大学校に進み、本格的に農業経営を学びます。卒業後も、研修や勉強会に積極的に参加し、「栽培方法だけでなく、世の中の情勢やニーズを学び、小規模でも高収益をあげられる作物を模索しました」
約2年の準備期間を経て、2013年春、29歳のときに個人事業として「ファーマーズキタガワ」を創立。それまで北川家で担ってきた水田を含め、耕地面積約25,000平方メートルの農場をスタートさせました。
北川さんの農業は、年単位の事業計画づくりからはじまります。農業大学校で簿記を学べた経験が大きかったといいます。
「支出や利益の把握も、ファミリー農業はけっこう曖昧です。経費をただの経費にするか、ちゃんと儲けを出して投資にするかという視点を持てるようになったので、国の融資や県の補助金などを利用して初期投資をしました。偶然儲かったではなく、利益が出た道筋を把握し、再現性、継続性を重視しています」
北川さんは午前中に収穫やパック詰め、納品などの現場作業を済ませ、午後からは自宅でノートパソコンを開き、事業計画やデータ整理、そして飲食店などへの営業活動をすることが多いといいます。
事業計画は、JAが発行しているチェックシートをベースに品目別に「生産量、栽培規模、売り上げ目標」を立て、それに伴う設備投資、資材経費などの支出を数値化します。「数値目標を立て、実際はどうだったかを細かく記入します。すべてが予定通りにはいきませんが、数字を見ると出来たこと、出来なかったことが分かるので、次年度の改善につながります」
北川さんは「この作物を育てたいというこだわりはあまりない」と言います。栽培品目はニーズや効率性を重視して、年間を通じてバランスよく出荷できる作物、作型を意識して決めています。
初年度はそれまでの稲作に加えて作物を育てるために、田んぼを畑に変えてビニールハウスを建てるところからスタートしました。少しずつ栽培面積を増やし、今ではビニールハウス8棟を所有。冬から春はイチゴ、初夏から冬はトマト、秋はイチジク、そして田んぼでは稲作も行い、1年を通して収入が得られるサイクルを作りました。
もちろん、生産者としての想いもあります。「伊賀盆地は昼夜の温度差が強く、日照時間も短くて作物にとっては厳しい環境です。量よりも質を重視してハウス栽培をしています。美味しいことは当然で、買って良かったと思ってもらえるものづくりをしたいです」
光合成が盛んに行われるように温度や湿度、水分、二酸化炭素などの環境管理を徹底して、品種本来の味わいが出るように育て、色や形、サイズなどで「付加価値」を持たせているといいます。食べ頃を見極め、早朝に手摘みして、鮮度のいいうちに出荷していますが、見た目の美しさも大事なので、選別やパック詰めにも神経を使います。
「魅力ある商品を作る職人と、事業として成立させる経営者。両方の顔を常に意識しています」
販路の開拓にも力を入れました。農協の直売所や道の駅への出荷はもちろん、県内外のイベントへの出店、地元飲食店への卸売も積極的に行い、ジャムやジュースなどの加工品の販売もはじめました。
「営業職だったせいか、人とコミュニケーションをとるのは嫌いではありません。飲食店にサンプルを持ちこんで味の感想を聞かせてもらううちに、料理やスイーツに使ってくれるお店が自然と増えていきました」
お店や顧客がSNSに「北川君のトマト」「ファーマーズキタガワのイチゴ」などと紹介してくれることで、広がりがうまれました。北川さんも飲食店向けに、料理に使いやすいサイズや価格帯の商品を提案できるように工夫しました。
自然相手なので、思うようにいかないこともあります。4年前、アスパラを育てていたビニールハウスが台風で全壊して損失を出しました。その経験を生かして、設備投資をイチゴの栽培にシフトして販売単価を上げるなど、地道な努力が実を結びました。売り上げは右肩あがりとなり、2020年度は農業を始めた時と比べて3倍以上を達成しました。
主力商品であるイチゴには特に力を注いでいます。数ある品種の中で、北川さんが選んだのは、「よつぼし」です。イチゴは通常、苗から株を分けて増やしていきますが、よつぼしは種から栽培できる珍しい品種で、甘味と酸味のバランスが良いのが特徴です。
「3年かかって、ビニールハウス3棟で年間3.5トンくらいを出荷できるまでになりました。同規模の農家の一般的な出荷量平均より少ないのですが、量より質を重視しした結果です。味のバランス、形の良さを重視して、中身が赤く食味が増すように、環境管理を徹底しています」
販売単価も通常のイチゴの2倍くらいに設定していますが、食味の良さ、見た目の美しさが評判を呼び、直売所でもいち早く売り切れる人気商品です。
そしてこのイチゴが、さらなるステップアップへの鍵となります。
2021年2月、東京の青山や銀座など全国に10店舗を展開するフルーツタルト専門店「キル フェ ボン」の期間限定タルトに、北川さんのイチゴが使われることになったのです(青山店、グランフロント大阪店で3月末まで販売予定)。北川さんが以前からアプローチしていた関西の青果卸業者が、声を掛けてくれました。
「こだわりを持って地道にやってきたことが認められたようで、嬉しかったです」。よつぼしの中で特に出来の良いものを「満天星(どうだん)いちご」と名付け、伊賀の山あいで丹精込めてつくられた希少なイチゴとして、全国デビューしました。
「満天星いちごという名前には、伊賀の満天の星の下、冬の深々とした寒さに耐え、美味しさを増すイチゴ、という意味を込めています」
全国デビュー後は、地元での認知度があがり、直売所へファーマーズキタガワのイチゴを求めに来る人が増えたそうです。「ありがたい反面、早く売り切れてしまうことも多くて申し訳ない。もっと生産量を増やしていきたい」
北川さんは農業者として活躍することで、もっと先の未来を見据えています。「数年のうちにファーマーズキタガワを法人化して従業員を雇い、次世代の育成にも力を入れたい。他にもいろいろ課題は見えていますが、まだまだ道半ばです」。稼げて魅力あふれる農業へ、北川さんの歩みは続きます。
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