親の反対を押し切って専業農家に

 北川さんの実家は伊賀市の山あい、中山間地域に土地を持ち、限られた農地の中で代々農業を営んできました。父親は会社勤めの傍ら、兼業農家で稲作を手掛けていました。次男の北川さんは、子供のときから田んぼの手伝いをしていましたが、農業に特別な思い入れはなく、同志社大学工学部を卒業後は大手食品会社に就職します。

 「当時はいい大学を出て、安定した企業へ就職することが親孝行と考えていました」。医薬品の営業部門へ配属され、実家を離れて仕事に打ち込みました。しかし、1年も経たないうちに向いていないと思ったそうです。「定年まで働く姿がイメージできず、かといって何がしたいのか分からないまま、辞めることもできずにいました」

ファーマーズキタガワのビニールハウス。手前5棟でトマトを、奥の3棟でイチゴを栽培しています

 北川さんは、田植えの時期や休日には実家に戻って農業を手伝っていました。「農業の担い手がおらず、周りの土地が耕作放棄でどんどん荒れるのを見て、気になっていました」

 悩みを抱えながら会社員を続けること4年。「そもそも、なんで家を出て働いているのかと考えるようになり、ちゃんと稼げるなら田舎にいてもいいのではないかと思いました」。兄に実家に戻る意思はなく、農業を軸にこの土地で何をすれば稼げるかを真剣に考えた結果、「専業農家」という結論に辿り着きました。

 両親からは猛反対され、地元での再就職先も勧められたそうです。それでも、「小規模でも高収益を出せるビジネスとしての農業を考えていたので、兼業ではなく専業でやりたかった。せっかくの土地を活かし、自分の体で勝負できる仕事をしてみたかった。だから『応援してほしい』と説得しました」と振り返ります

イチゴは毎朝、手摘みして、直売所へ出荷しています

利益があがるビジネスモデルを

 その当時の北川さんには、農業の経験や知識はほとんどありません。それでも、大手企業の営業職で汗をかいて培った精神は根付いていました。

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