家業を継ぐ意識はなかった

 サンコーは1967年、有薗さんの祖父が三幸写真製版(当時)として創業しました。手作業のフィルム製版からスタートし、90年代には大型のイメージセッター(製版用の専用プリンター)なども導入。デジタルフィルム出力にも対応してきました。

 しかし、有薗さんは子供の頃、家業である印刷の仕事がピンとこなかったそうです。会社は墨田区でしたが、住まいは千葉県。身近に仕事を見ることはほとんどなかったうえ、フィルム製版の時代だったので、会社はほとんど暗室で真っ暗。会社は怖い場所だと思い、「家業を継ぐ」という意識はほとんどありませんでした。

 「感覚的にはサラリーマン家庭と変わりませんでした。大学卒業後は、自動車関係の会社に勤めたかったのですが、就職氷河期で採用がほとんどなく、CCC(カルチュア・コンビニエンス・クラブ)に入社しました」

新星堂で経営再建の最前線に

 20代後半まで、TSUTAYAのフランチャイズ部門で店舗開発、事業計画などに従事。30代に入り、経営企画部門に異動しました。「経営企画で色々な勉強している中でM&Aに関する部署ができ、そこに所属して、他社との業務提携や、M&Aを進めました。その中の1社が、大手レコードチェーンの新星堂でした」

 新星堂は当時、音楽のデジタル化の影響などを受け、経営危機を迎えていました。有薗さんは、執行役員兼提携推進担当として送り込まれたのです。その後、新星堂はファンド元で経営再建することになりました。有薗さんは、本来ならCCCに戻るところ、新星堂に残って経営再建に携わる選択をしました。

 「新星堂のカルチャーを残したいという気持ちと、新社長から一緒にやらないかと声をかけていただいたことで、残ることにしました」。残ることを選んだのは、大企業の部長になるより、経営再建中の上場企業の経営を学べるほうが、いつか家業を継ぐときに役に立つと考えたのかもしれないと、有薗さんは振り返ります。

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