「将来の店」語り合った専門学校時代

 和菓子屋の子に生まれ、子供の頃からお菓子が好きだったという宜之さん。「兄(政之さん)は特にお菓子に興味がある様子でもなかったので、漠然と自分が跡取りになるのかも、と考えていました」。

 とはいえ、自身も「絶対に跡取りになる」と強い意思を持っていたわけではなかったそうです。ところが、有名パティシェが注目され、多くのメディアに取り上げられるパティシェブームがやってきました。

 有力パティシェはメディアなどにどんどん出ることで店や商品も注目されるようになった。自分もそういう店づくりをしてみたい――。そんな想いを持ちながら、大学卒業後は東京の和菓子専門学校に進みました。

 東京の専門学校では、自身と同じように家業を継ぐために入学した友人たちと出会いました。「みんな家業がある学生だったので、菓子作りだけでなく、将来どんな店にしたいかといった話をよくしました」。全国から学生が集まっているため、長期休みにはお互いの地元を訪ねたり、旅行先で和菓子屋をめぐったりして、刺激しあったそうです。

 そうした経験を通じて、和菓子には地域性があることにも気がつきました。「例えば、(蜜屋の地元である)広島県は『もみじ饅頭』こそ有名ですが、和菓子店そのものは実はあまり多くはないんです。おはぎや柏餅といった季節の和菓子を食べる習慣も、ほかの地域と比べて比較的少ないんです」。

2012年には、和菓子を紹介するために、タイ(バンコク)、マレーシア(クアラルンプール)、フィリピン(マニラ)のイベントで実演した

講師経験が採用にプラス

 蜜屋の創業者で宜之さんの祖父にあたる故・政之助さんは、高知県の生まれ。地元の和菓子屋で働いていましたが、親戚がいたこともあって、戦後に広島へやってきて店を開きました。当時は和菓子も手作りが当たり前だったので、多くの職人を雇っていたそうです。その後、機械化が少しずつ進み始めたころに、現社長である父、博さんが後を継ぎました。

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