目次

  1. 父は反面教師のような存在
  2. 「経営を学びたい」と国内留学
  3. 後継ぎを決意し、セイバンへ入社
  4. 生産現場で感じた課題
  5. 「天使のはね」が販売不振に
  6. 父が亡くなり、社長に就任
  7. 卸問屋との取引を減らして直販に
  8. トヨタ生産方式で生産日数が大幅減

――泉さんは子どものころ、家業についてどう思っていましたか。

 ランドセル工場の上の階に自宅があり、会社と家庭が混在していました。3代目社長だった父は仕事一筋で、家族との時間を持つことがほぼありません。思春期のころは特に抵抗があって、「自分はこうはなりたくない」という、反面教師のような存在でした。

 将来、自分が家庭を持つときには、仕事と家庭をきっちり分けて家庭を大切にしたいと思い、家業を継ぐ気は全くありませんでした。

――大阪大学大学院を修了後、2000年にサントリーに就職しました。

 大学では微生物の研究をしていました。大阪もビールも好きだったので、サントリーは意中の会社でした。酵母の基礎研究職を経て、入社2年目からはビールテイスト飲料の商品開発に携わりました。

 「やってみなはれ」精神が根付いているサントリーは、年齢に関係なく、多くのチャレンジをさせてくれます。麦を使わずにビールテイストに近づけていくための試行錯誤を経て、3年後に新商品を送り出すことができました。

(続きは会員登録で読めます)

ツギノジダイに会員登録をすると、記事全文をお読みいただけます。
おすすめ記事をまとめたメールマガジンも受信できます。