目次

  1. 工場は楽しい場所だった
  2. 歯科衛生士から始まったキャリア
  3. 後継ぎの兄に頼まれて家業へ
  4. 前職の経験を生かした社内改革
  5. コロナ禍の一斉休校でピンチに
  6. 兄から社長交代を打診
  7. 会社の駐車場で肉を直売
  8. オンラインショップも計画
  9. 最終目標は「食育」

 リキフーヅのルーツは、1921(大正10)年に榮野川さんの祖父・荒井熊吉さんが創業した食肉業です。その後、53年に荒井畜産として法人化。父親の荒井力男さんは、9人きょうだいの三男だったため、会社を継ぐのではなく、食肉関連の会社として80年にリキフーヅを設立。後に、祖父が立ち上げた荒井畜産を吸収し、2021年に創業100年を迎えました。

 現在のリキフーヅは榮野川さんを中心に従業員10人を抱え、コロナ禍で奮闘しています。元々、養豚場も営んでいたこともあり、今も主な商品は豚肉。肉を仕入れて解体、部位ごとに仕分けし、パック詰めしたり、味付けしたりして、地元のスーパーや飲食店、学校給食などに卸しています。

 榮野川さんは3きょうだいで、2人の兄がいます。子どもの頃から数年前まで、家業を継ぐことは考えていなかったそうです。

 「子どもの頃は、お嫁さんになるのが夢という女の子でした。ただ、小学校低学年の頃に連れられて、と畜の現場を見たことがあります。命あるものを食べているということを教えるのが父の目的だったと思いますが、衝撃でした。当時は工場で煮込みも作っていて、それが好きでした。近所の方もご飯持って食べに来ていて、楽しい場所でしたね」

東京都葛飾区にあるリキフーヅの工場および社屋。現在、改修工事中です

 中学から私立大学付属の女子校に入学しましたが、高校生の時、歯科衛生士にあこがれて進路を変更し、歯科衛生専門学校に進学。その後、 歯科衛生士として働くかたわら、趣味でダイビングを始めたことをきっかけに、サイパンに渡りました。

 「歯科衛生士として10年間働いたので、海外に出てみたいと思いました。ダイビングのお手伝いや英語学校は昼だけなので、夜の時間はレストランで働いていて、 それが面白かったので自分でもお店を始めて3、4年続けました」

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