「人生が逆転した」 10万人に1人の難病を抱え、選んだ“起業”の道
会社員や職員などの「組織」から独立し、20~30代で創業した起業家は、どんな思いで、何をめざして、会社を立ち上げたのか。次代を担う起業家たちのメッセージを伝えます。
会社員や職員などの「組織」から独立し、20~30代で創業した起業家は、どんな思いで、何をめざして、会社を立ち上げたのか。次代を担う起業家たちのメッセージを伝えます。
目次
ホームページや名刺の作成を請け負う株式会社仙拓を19歳のときに立ち上げた佐藤仙務(ひさむ)さん(30)。起業に至った経緯や思い、起業を考えている方に伝えたいことは。お話をうかがいました。
――佐藤さんが抱えているご病気「脊髄(せきずい)性筋萎縮症(SMA)」や生い立ちについてお聞かせください
SMAというのは、運動神経細胞が変性して、筋肉が萎縮していく先天性の難病です。10万人に1~2人が発症すると言われています。私は3人兄弟の3番目ということもあって、うちの両親は早い段階から兄たちと比べて、私の成長のスピードに違和感を感じたそうです。
寝返りをしなかったので、最初は保健師さんなどに相談をしていたそうなんですが、名古屋の大学病院を紹介されて、診てもらったところ、生後10カ月でSMAという難病がわかりました。
小学生から高校生までは、身体に障害をもった子が通う特別支援学校に通いまして、いよいよ高校3年生になって社会に出るとなったときに、どうするかという話になりました。私は働いて自分で稼いで、収入を得る手立てを得たいと考えていました。
まだその頃は会社を立ち上げるとか、自分でこういうビジネスがしたいとか、そういうことは考えていませんでした。ただどこかに就職をしよう、という風に考えていましたが、私はほとんど身体を動かすことができなくて、寝たきりの状態。今から10年前くらいで、なかなか当時は私が働ける場所、就職できる場所というのがありませんでした。
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じゃあどうしよう、ということで会社を立ち上げようとことになったのがきっかけです。
――立ち上げた「仙拓」という会社はウェブデザインなどのサービスを展開しています。佐藤さんはいつごろからウェブ知識をつけられたのでしょうか
もともと自宅にあった父のパソコンを触る程度で、小学生になる前はそこまで強い興味があったわけではありません。小学校3年生のころに自分用のノートパソコンを買ってもらい、文章を打ったり、インターネットを使ったりということをしていました。その後、中学生になったころから、インターネットでゲームをするようになりましたね。普通であれば学校終わったら遊ぼうぜ、となるかもしれませんが、私の場合、学校の友人も障害を持っている人が多く、当時からオンラインで、ビデオ通話でつなぎながらゲームをしていましたね。
スポーツ系からアクション系、FPS(ファーストパーソン・シューター)までありとあらゆるものをやってましたね(笑)
オンラインゲームはパソコンのスペックが求められます。容量や機能に結構影響される部分があることがわかって、そうなると良いパソコンがほしくなる。それで良いパソコンってなんだろうということを調べるようになりましたね。
その後、高校を卒業した後の勤め先として、データ入力やウェブサイトの制作といったIT系の仕事をする障害者の就労を支援する事業所に内定をもらいました。ただ、勤務する前に1週間ほど実際に通わせてもらいました。ありがたいことに良い評価もいただきました。ですが、就職先の責任者のような立場の方とお話をしたところ、当時の私は、働くということについて、ここまで考え方が合わないのか、と思ってしまいました。根本的に相いれないな、という感じでした。
もし自分がそこに就職して、10、20年、と働き続けてしまうと、その考え方が自分の考え方になってしまうことが怖いなと感じてしまったんです。そう感じたのでお断りをしました。障害者が稼げるお金は本当に少ないです。ただ、その就職先はそういう状況でも比較的よい収入が得られるという場所だったので、辞退することに驚かれました。月給は2万円です。月給2万円と聞いて少ないと思うかもしれませんが、障害者の立場からすると、月に2万円稼げるところに就職できる、ということはカリスマに近い存在でした。
身体を動かす仕事に関しては、自分は健常者の方と比べて劣っているとは思うんですが、コンピューターを使う仕事の場合は、劣っていると思ったことはありませんでした。
私は当時から将来的にリモートワークがやりたかったんですね。いまでこそリモートワークは当たり前になりつつありますが、当時まだリモートワークは浸透していませんでしたし、ただカッコつけたいからやっているだけでしょ、と言われている状態でした。私がそこでの勤務をお断りしたもうひとつの理由は、そこにあります。そこで言われたのは、「これからリモートワークで仕事が成立する時代なんてこない」と。
そう言われて、「なんでですか?」と聞いたら、「個人情報があるから、会社の外で仕事をするリモートワークの時代なんて絶対こないよ」と言われたんです。
でもその頃から、私はリモートワークの時代がくると思っていましたし、やはり考え方も含めてまるで違うので、お世話になることはお断りをしました。
――その後どのように起業に至ったのでしょうか?
私と同じSMAの幼なじみの友人がいまして、その彼と2人と2011年に起業しました。彼も私と同じで、なかなか働く場所がないと。彼は私よりも3つ年上で、高校を卒業してからいわゆるニートだったんですね。私は高校1年生のときに彼を見ていて、「自分はこうなりたくないな」と思っていたんですが、彼は「でも君もそうなるよ」と言っていて。それで実際、私も就職活動をしてみて、障害者が働く場が本当に少ないことを知りました。
それで「働く場所がないなら作るしかないんじゃないか」という考えになって、彼を誘って2011年4月に会社を立ち上げました。
――起業をして、忘れられない仕事の受注はありますか?
そうですね。私自身も経験がないですし、お金もないですし、人脈もない。ないものを数えたらキリがないというくらい、なにもない状態でした。本当にゼロから、というよりもマイナスに近いスタートでした。
そのなかで、最初は私の親戚や知り合いに声をかけて仕事を頼んでもらって、ただそのなかで当然厳しい意見をいただくこともたくさんありました。私もこのまま自分たちの身内だけで仕事が続くわけがないと思っていて、どうすれば自分たちの仕事を知ってもらえるかをいろいろと考えました。
その後、メディアにお声がけして取り上げてもらおうと考えたのですが、ほとんど見向きもしてもらえない。そんななかで、地元の新聞社とケーブルテレビにインタビューしていただけました。そしてそのケーブルテレビを見たという方から注文をいただけたときは本当にうれしかったですね。金額は1、2万円でした。
――受注できたのはどういった仕事だったのでしょうか?
発注してくださった方はネイルサロンのオーナーの方だったのですが、名刺とキャンペーンのダイレクトメールのデザインでした。ただ、うちの会社も駆け出しでお客様のイメージのデザインをしっかりご提供できていませんでした。LINEでデザインの画像を送って、デザインのやりとりをしていたのですが、やはり直接のやりとりができなかったことで、名刺の微妙な色の変更など細かい部分のコミュニケーションがうまくいっていませんでした。そういう状況で複数回やりとりをしていたところ、お客様から「これで大丈夫です」と言われてしまって。
私が窓口をやっていたので、そのことを一緒に創業したメンバーと話したところ、そのお客様は本当の意味で「大丈夫」と言ったのではなくて、私たちが障害を持っているから、これ以上負担をかけては申し訳ない、という意味での「大丈夫」だったということが20歳そこそこの私でもわかりました。
そこで彼にどうするか、と相談して、もしここで「お客様が大丈夫、と言っているから」という理由で妥協したら、おそらく私たちの会社に未来はない、という話をしました。
そこで直接お客様のところへ行かせてもらって、お互いが納得いくまで調整して。そうしたら大変感動してくださいました。そしてそのお客様が名刺を配る度に、「最後までしっかりやってくれた」と私たちの会社のことまで宣伝をしてくれて。それで色々なところに広めていただくことができました。
――佐藤さんがパソコンの作業をするときはどのように作業されていますか?
ほとんど手が動かないので、パソコン上に仮想のキーボードを表示させて操作をしていましたが、2016、2017年くらいから自分の視線でパソコンを操作できるソフトを導入しました。それ以降は実際に手を動かさない状態でも入力ができるようになっています。
――その後、SBI大学院大学で経営について学ばれます
2015年4月に入学したんですが、その翌年2016年に大きな病気をして、5か月ほど休学しました。病気をした理由ははっきりはわかりませんが、当時仕事や東京への出張、取材対応などで忙しい日々を送っていたので、インフルエンザにかかってしまいました。私の場合、人工呼吸器もつけていたので、インフルエンザにかかると命も危ないほどでした。
当時医師の方からは、「もう声は出せないかもしれない」と言われました。身体も動かせない、声も出せない、という状態、なんて残酷なことをするんだろうと思いましたね。自分の会社のことや大学院のことは考えられず、毎日死にたいと思ってしまっていました。
ですが、その後少しずつ回復できて、声も少しずつ出せるようになりました。私と同じ病気の方で同じような体験をされて回復された方が、わざわざ病院まで来てくださったり、色々教えてくださったり。お世話になった先生も耳に障害をお持ちの方で、私の障害に共感してくださったうえで、大変よくしてもらいました。
――大学院で経営について学ぼうと思った理由は何だったのでしょうか?
会社を立ち上げて3、4年経ったころ、「今は自分が障害者という立場でめずらしいからメディアなどで取り上げてもらっているけど、会社の経営もきちんと勉強したこともない。それにもかかわらず、うまくいっている状態が怖い」と感じるようになりました。努力がすべてではないですが、ある程度経営について勉強できる機会が得られればいいなと思っていました。
そんなときにSBI大学院大学の方からSNSで連絡があって、「基本的には通信でいい、特待生で入りませんか」というご連絡をいただきました。私は特別支援学校を出てから大学に通いたいと思っていたんです。
私の親に大学に行きたいと伝えたら、「色々な課題があります」と言われまして、大学で誰が私の介助をするのか、親がずっとついていくのか、とかですね。あとは、今働く場所がない、という状態で大学に4年間通ったから働けるようになるのか、という話にもなりました。
それに対して親からは授業料を払えないと言われてしまっていました。かといって自分で大学の授業料を支払えるだけのお金もありませんでした。
そんなときに、授業料はゼロ円でいいと言われまして。最後までやり抜いて修了してほしいということが条件でした。一方で私のなかで少し迷いもありました。というのも、授業料はゼロ円でよいと言われても、私は特別支援学校を出ただけで、4年生の大学も出ていません。ましてや障害者で、寝たきりで、そういう状況で大学院の授業についていけるのだろうかと。
ただ、多くの学生が修了後に起業したり、事業を立ち上げたり、ということを考えるだろう大学院で、私の場合はすでに会社を立ち上げて、経営していました。そこで特別な根拠はありませんでしたが、なんとか渡り合えるだろうと思いました。それでチャレンジしようと。
――2019年3月に修了するまで特に何が大変でしたか?
そうですね。もう2度とやりたくはないくらい大変でした。通信制と聞くと、動画の講義を見てレポート書くだけでしょ、と思うかもしれませんが、ビデオ通話で学生同士が議論する機会が多かったです。日中平日は仕事をしているので、平日の夜や土日を使います。日曜の夜にグループワークをして、平日は夜な夜な動画の講義を聞いてレポートを書いてということをやっていると、寝てはいるんですが、寝る時間はないと言う状態でした(笑)
――現在、佐藤さんが取り組まれている「チャレンジドメイン」とは具体的にどういうサービスなのでしょうか
チャレンジドメインは2019年に始めました。サービスは、障害のある方に仕事を発注したい人と仕事を受注したい障害のある方をつなぐ、プラットフォーム型のサービスです。
色々な条件はあるのですが、企業さんがデザインなのか、データ入力なのか、動画編集なのか、そういったものを一定の金額で請け負って、障害者の働き手に仕事をやってもらいます。まだまだ数十件でこれからの事業ですが、少しずつ伸びています。
――いま起業を考えている方に対してどういったことを伝えたいですか?
いまコロナ禍ということもあって、みなさん働き方が多様化していると思います。これまでの時代であれば、会社に就職して定年まで勤めあげるのが当たり前でしたが、そういう時代ではなくなるのかなとも感じています。
そういうなかで、会社を立ち上げるというのは、選択肢のひとつとして、とてもよかったと思っています。というのも、ある程度自分でコントロールができる状態で仕事ができるのがよいなと思います。当然、失敗したりミスをしたりすればすべて自分の責任にはなりますが。
逆に会社を立ち上げるようなことはできない、しないという方もいると思います。そういう方は、例えば会社員として働いていてもよいと思うのですが、一方で居場所がその会社だけ、という風にはしなくてもよいのではないかなと思います。というのも、その会社がなくなったとき、会社でうまくいかなくなったとき、絶望的な気持ちになると思うんです。
例えば、私は仙拓という会社で働いていますが、「仙拓で働いている佐藤」というのは嫌で、「佐藤は仙拓で働いている」という風になりたいんです。後者であればどこの会社に行っても通用すると思うんですが、前者の場合、会社がなくなったとしても、個人で価値を出せるようにしていかないといけない時代だと思っています。
――佐藤さんが起業してよかったと思う瞬間はどういったときでしょうか?
私は会社を立ち上げて、おおげさではないくらい、人生が逆転したと思っています。私は会社を立ち上げる前は重度障害者で、自分にできることは何もないと思っていた、というか思われていたと思います。街に出ても好奇の目で見られたり、声をかけられたとしても「かわいそうだね」だったり、そういう風に言われることが多かったです。
それが最近ではかわいそうだねと言われることはほぼなくなって、やはり障害者でもこれだけできるということを知ってもらえたということがありがたいなと思います。
世の中お金ではない、と言いますが、それも正解ですが、お金がないと日々の生活で選択肢を得られない場面も当然あると思います。なので、やはり働く以上はきちんとした収入を得たいし、うちで働いている障害者のメンバーにも稼ぎたいという意志があれば本人が望む形で稼がせてあげたいと思っています。だから障害者でもこんなに働くことができます、ということを証明できたことが、起業して一番よかったことだと思っています。
プロフィール
佐藤仙務(さとう・ひさむ)。1991年6月生まれ。愛知県出身。10万人に1~2人が発症するといわれる「脊髄性筋萎縮症」を抱え、ほぼ寝たきりという生活を送りながら2011年に、ホームページや名刺の作成を請け負う株式会社仙拓を立ち上げる。自称・寝たきり社長。YouTube「ひさむちゃん寝る-寝たきり社長公式YouTubeチャンネル-」
(朝日新聞社の経済メディア「bizble」で2021年9月9日に公開した記事を転載しました)
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