目次

  1. 「ホテルはやばい状況だった」
  2. 思春期に父への反発
  3. 「顧客ゼロ」からの挑戦
  4. 「根っこが無くなるかも」と決断
  5. サービスに大きな課題
  6. 8~9割の業者を入れ替え
  7. 新会社で清掃を内製化
  8. アプリ開発でコストを削減
  9. コロナ禍で筋肉質な会社に
  10. 「俺がつくった会社じゃない」を超えて

 エクセルイン名古屋熱田は熱田神宮近くのビジネスホテルで、客層の中心は工場のエンジニアやドラマ撮影のスタッフなど長期滞在者です。

 気鋭の建築家・猪熊純さんが手がけたロビーには清潔感があり、将棋の豊島将之九段、木村一基九段、藤井聡太竜王の師匠・杉本昌隆八段の色紙などが飾られています。コロナ禍前の売り上げは3億円超で、利益も大幅黒字でした。

ホテル内には有名棋士の色紙などがあります

 しかし、苅谷さんが継いだ2013年ごろは赤字続き。「自分はなめられていて、ホテル内の環境もやばい状況でした」と言います。苅谷さんはどうやって立て直したのでしょうか。

 ホテルは1999年、苅谷さんの父が開業しました。以前は代々続いた卸問屋で、子どもだった苅谷さんも配送に連れられた記憶があります。将来の夢を聞かれると「卸問屋の社長、と答えていました」と笑います。

 しかし、卸問屋の経営が悪化。苅谷さんが高校生の時、父は事業転換を決断し、所有していた土地にビジネスホテルを建てました。「大きかった卸問屋が無くなり、思春期ながらに父への反発のような気持ちがありました」

 京都大学大学院まで進み、航空宇宙工学を学びます。証券会社などでインターンを務めたことから起業志向が高まり、コンサルタントを目指して、大手メーカーなどの新規事業開発を支援する企業に入りました。

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