目次

  1. 「東京で一旗揚げたい」 祖父が創業
  2. 「日本の存在感上げたい」と大手総合商社へ
  3. 「No」ではなく「Yes」で受け「But」で返す
  4. 他社の倉庫を借りるアイデアが新規事業へ
  5. 独立した会社のような事業所・倉庫を変えるには
  6. 「もうお前はいらん。出ていけ、クビだ」
  7. 新卒採用に幹部は猛反対でも
  8. 若手社員が採用活動 離職率が半分以下
  9. 正論でも……心がけた伝え方
現在の本社がある場所に建っていた創業当時の倉庫(同社提供)

 ダイワコーポレーションは、和光さんの祖父である光雄さんが1951年に創業しました。「東京で一旗揚げたいと」との想いで上京し、機械加工の職に就き経験を積んだ後、中古機械器具類を販売する曽根商店を独立開業したのが始まりです。

 その後はさまざまな事業で成功を収めて得た資金を元手に、新たな商売を求め着目したのが、倉庫業でした。

 「今でこそ多くの倉庫が立ち並ぶ東京湾岸エリアですが、当初は倉庫が立ち始めたころで、この先伸びる商売だと祖父は感じたようです」

 さまざまな事業で得た資金を元に、土地を買い、倉庫を建て貸していく。その繰り返しで、事業を広めていきました。また、倉庫として貸し出すだけでなく、現在では広く浸透している「営業倉庫業」も手がけていきます。

倉庫内でのオペレーションも請け負うダイワコーポレーション(同社提供)

 営業倉庫業とは、物流部門を丸ごと請け負うビジネスです。荷物の入出庫や管理はもちろん、倉庫内で値札をつけたり、指定された商品をまとめて梱包したりする「流通加工」と呼ばれるプロセスを、サービスとして提供します。

 祖父や父親からはっきりと言われたわけではありませんが、長男であったこともあり、和光さんはいずれ自分が家業を継ぐものだと感じていました。一方で、明確な打診がなかったこともあり、大学卒業後は興味のあった大手総合商社の丸紅に「世界における日本の存在感を上げたい」との志を掲げ、入社します。

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