「クビだ」と父から言われても 物流業3代目が社内改革できた理由
東京湾岸エリアなどに51の倉庫や事業所を展開し、倉庫関連のサービスを手がける「ダイワコーポレーション」(東京都品川区)。3代目社長の曽根和光さんは、先代の父から「もうお前はいらん。クビだ」と言われても、採用活動や給与・賞与制度など数々の改革を果たしました。売上は入社当時から約7倍、従業員数も約4倍に拡大。反対されても改革を続けられた理由について聞きました。
東京湾岸エリアなどに51の倉庫や事業所を展開し、倉庫関連のサービスを手がける「ダイワコーポレーション」(東京都品川区)。3代目社長の曽根和光さんは、先代の父から「もうお前はいらん。クビだ」と言われても、採用活動や給与・賞与制度など数々の改革を果たしました。売上は入社当時から約7倍、従業員数も約4倍に拡大。反対されても改革を続けられた理由について聞きました。
目次
ダイワコーポレーションは、和光さんの祖父である光雄さんが1951年に創業しました。「東京で一旗揚げたいと」との想いで上京し、機械加工の職に就き経験を積んだ後、中古機械器具類を販売する曽根商店を独立開業したのが始まりです。
その後はさまざまな事業で成功を収めて得た資金を元手に、新たな商売を求め着目したのが、倉庫業でした。
「今でこそ多くの倉庫が立ち並ぶ東京湾岸エリアですが、当初は倉庫が立ち始めたころで、この先伸びる商売だと祖父は感じたようです」
さまざまな事業で得た資金を元に、土地を買い、倉庫を建て貸していく。その繰り返しで、事業を広めていきました。また、倉庫として貸し出すだけでなく、現在では広く浸透している「営業倉庫業」も手がけていきます。
営業倉庫業とは、物流部門を丸ごと請け負うビジネスです。荷物の入出庫や管理はもちろん、倉庫内で値札をつけたり、指定された商品をまとめて梱包したりする「流通加工」と呼ばれるプロセスを、サービスとして提供します。
祖父や父親からはっきりと言われたわけではありませんが、長男であったこともあり、和光さんはいずれ自分が家業を継ぐものだと感じていました。一方で、明確な打診がなかったこともあり、大学卒業後は興味のあった大手総合商社の丸紅に「世界における日本の存在感を上げたい」との志を掲げ、入社します。
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丸紅に入社後は思いを実現するために猛烈に働き、会社に大きな利益をもたらしたり、貿易業務に必要な資格を取得したりするなど、入社1年目から次々と結果を出していきました。社内の評価は高まり、将来を期待されるエースとして中国赴任の辞令が話題にあがります。
すると、あまりの活躍ぶりに家業継承を心配した母親が、家業に入ってくれないかとの手紙を和光さんに送ります。
「手紙も大きかったですが、家業に入ろうと思った一番の理由は、祖父の存在です。祖父は私が高校3年生のときに他界していますが、生前祖母に『和光が3代目として家業を継いでくれるのが楽しみで仕方ない』と話していたことを聞いていたからです」
高校生のときに家業の倉庫でアルバイトをしていたこともあり、漠然とですが、会社が抱える課題を感じ取っていたそうです。家業に戻った後、その課題をより明確にしようと、全業務を経験する必要があると感じていました。
スーツ・ネクタイ姿から一転、作業着姿となり、まずは倉庫のオペレーションを経験します。するとすぐに、大きな課題が見つかりました。現場メンバーの意識や業務品質が低いことでした。
「一つひとつの業務品質もですが、倉庫や人手が足りないと、お客様からの依頼があっても断っていたんです。『NOは言わない』ことを社員に伝えました」
ただ言うだけは腹落ちしないだろうと、顧客からの「自社の長袖の制服を半袖にしたい」とのニーズで実践してみせます。工業用ミシンならびにミシンを扱える人材集めに奔走し、見事、期待に応えてみせたのです。
「No」ではなく「Yes」で受けて「But」で返すことが大事だと和光さん。実際、顧客には「時間は多少かかりますがやらせていただきます」と伝えていたそうです。
自社の倉庫が埋まっているときの対策も打ち出します。同業者の倉庫を手配しようと考えたのです。実現のためには同業者のネットワークが必要ですので、業界団体に入り同業者と交流を重ねるなどして、徐々にアライアンスを結んでいきました。
そうして今では北海道から沖縄まで、電話1本で倉庫の手配ができる同業者との関係性を構築しています。
他社の倉庫を借りるアイデアは、その後、営業倉庫業に加えもうひとつの事業柱となる「物流不動産」事業に発展していきます。自社ですべての倉庫を保有するのではなく、他社が持つ倉庫を借り、倉庫や空きスペースとして貸し出すビジネスモデルです。
「私が家業に入ったころは自社で土地を保有し、その上に倉庫を建てるのが一般的でした。しかし、この先同業者が増えていくことは明白でしたから、自社物件だけでは事業を継続していくことは厳しいと感じていました」
一見すると、また貸しのように思えますが、商社での経験から、倉庫会社にとってもメリットのある商売だと和光さんは言います。
「巨大な倉庫を建設する際には、需要があるのかどうか不安です。その不安を、当社が開発段階から賃貸借(リース契約)を結ぶことで、なくすことができます。オーナー(賃貸人)は着工前から賃借人(当社)が決まっているわけですから、テナント探しの手間が省けます。結果として、その分当社としては賃料を安く契約することができます」
まさに商社で鍛えた折衝術で、和光さんは次々と他社の倉庫をリースしていきます。もちろんダイワコーポレーションが顧客を探すというリスクを背負うことになりますが、港・空港・道路どのインフラ経由でも全国各地へのアクセスに優れる関東ならびに東京湾岸エリアに契約先を絞るドミナント戦略とすることで、リスクヘッジとしました。
物流不動産事業をスタートした当初は、大手の同業者からバッシングされたこともあったそうですが、「お客様のためになる」と真摯に説得していきました。今では物流不動産事業は業界では当たり前の事業として、多くの倉庫会社が展開しています。
各事業所や倉庫、本部がそれぞれ独立した会社のように動いているのも問題だと感じていました。実際、同じ会社であるのに給与体系や賞与の評価基準が異なっており、各事業所のトップに一任されている、基準がないような状況でもありました。
このような環境もあってか、互いの仲はあまりよくなかったそうです。
そこで給与・賞与制度を見直し、その制度を全社員にオープンにしました。そして、頑張って会社に貢献すれば、給与・賞与が増えることを全社員に説明して回りました。
社員の意識を変えるべくジョブローテーションを行い、お互いの仕事を経験してもらう取り組みを始めます。互いにコミュニケーションを深めてもらおうと、前社長が大事にしていた全社員を集めての忘年会や社員旅行といった社内イベントを継続して積極的に行います。
ブログや社内報などを通じて、「お互いに感謝し合おう」といったメッセージを発信し続けるなど、地道ですが根気を持って活動を続けることで、各事業所と本部との融和を目指していきました。
和光さんは総合企画室室長として、入社直後から幹部会議に参加していました。そして部署名どおり経営にかかわるすべての業務に携わり、これまで紹介してきた改革案を、次々と提案していきました。
しかし、当時はまだ20代です。代表である父親はもちろん、ほぼすべての幹部から反対に合い、父親からは「もうお前はいらん。出ていけ、クビだ」との言葉をかけられたことが、何度もあったそうです。
ただ会議とは名ばかりで、代表である父親の意見に幹部が頷くだけの場でした。父親の意見がそのまま通ってしまう、完全にトップダウンの組織だったそうです。
「間違ったことは間違っているとハッキリ言うことが、会社の将来はもちろん、現場従業員のためになると考えていましたから、正しいと思った意見は積極的に発言していきました」
このように和光さんは、父親、経営陣の反対に遭いながらも、さまざまな変革を提案・実施していきました。しかしあるとき、いくら情熱を持って接しても響かない層が一定数いることに気づきます。
そこで、抜本的な改革に乗り出します。新卒を採用し、和光さんの考えや目指すべき会社のあり方を、ゼロから学んでもらおうとしたのです。ところが、新卒採用のアイデアも幹部会議で猛反対を受けます。以前に1000万円の予算をかけて大手採用サービスを実施した際、応募者を1人も採用することができなかったのが、理由でした。
しかし、和光さんは諦めませんでした。「うまくいかなかったのは自分たちが全力、本気でやらなかったからだ」と反論し、今回は自分が先頭に立ち、すべての採用活動を担う。だからやらせてくれと、改めて願い出ます。
その後、何度かやり取りを重ね、幹部たちもしぶしぶ承諾します。そして実際、和光さんは学生と企業が最初に出会う場であるイベント説明会から面接まで、すべての採用活動やフローに携わります。
3代目自らが情熱を持って学生たちに熱く語りかけたことで、メッセージを受け止めてくれる、新たな風となりそうな学生たちが、次々とダイワコーポレーションに入社するようになりました。そんな新しいメンバーにできるだけ長く働いてもらおうと、倉庫事業を「物流クリエイター」と銘打ったり、理念やミッションも刷新するなど、会社の雰囲気も大きく変えていきました。
「当時から、私の中で最も重要な業務は採用活動だと、公言もしていました。実際、多くの時間を充てていました」
現在では和光さんの思いを汲み取った社員が、言ってみれば和光さんに代わりに採用活動を担うようになりました。「和く和くプロジェクト」です。入社4年目までの若手社員に、通常業務をしながらの兼務で、採用活動を任せています。
インターンシップ、会社説明会、内定式、内定者懇親会など。若手メンバーがこれらの採用活動をすべて企画し、進めていきます。学生にとっては、近い年齢の社員から具体的な会社の状況や働き方が聞けるとのメリットがあります。
一方、若手社員はプロジェクトを任されることで、企画・調整力などのビジネスに必要なスキルを身につけることはもちろん、改めて自社の歴史や特徴、社風、業界のトレンドなどを知ることで、エンゲージメントが高まる効果があるそうです。
実際、2014年からプロジェクトを始めると、大卒新入社員の3年以内の離職率は、41.5%から17.0%と半分以下に下がりました。
「兼務、というのもポイントです。若手の調整力が鍛えられるほか、チームの上長がスケジュールを理解し、採用活動にしっかり送り出せるかどうか。リーダーの評価指標としても活用できるからです」
以前は完璧主義だったという和光さん。家業に入ってからもしばらくはすべてのメンバーに自分の思いを伝えたい、変わってもらいたいと思っていたそうです。しかし、それは無理だと気づくのと同時に、100%を追っていては自分が疲れてしまうことも学んだとも言います。
和光さんの取り組みにより、会社はゆっくりですが、変わっていきました。今では本部と現場のコミュニケーションも良好になり、野球部も発足しました。社内イベントも引き続き行われており、2021年に70周年を迎え、コミュニケーションは確実に深まっています。
入社当時6つだった倉庫は、事業所も含め51に増加しました。年商は約25億円から約180億円と、7倍ほどに成長しました。従業員も約60人から約230人と、多くの指標で成長を遂げています。
今後も関東、東京湾岸エリアでのさらなる事業展開を進めていく一方で、2023年度からは沖縄にも進出し、約8000坪の倉庫を建てる計画があるそうです。さらには関西エリアへの進出へも意欲を見せます。
「いま思えば20代の若造が、社長や幹部に対して生意気なことを言っていたと思いますが、3代目として会社の存続を考えたときに、どうしても変える必要があると感じました。だから幹部全員が反対しても、絶対に意見を通してやるとの意気込みを持っていました。そもそも意見を言わなければ、改革はありえませんから」
そうはいっても、提案をいくらしたところで、一切受け付けない経営者もいます。実際、和光さんも若いころはその状況に近かったそうです。そこで思いついたのが、直接ではなく間接的に意見を伝える方法でした。
「いくら正論でも、議論の相手が若かったり、幹部がまわりにいたりする場合では、なかなか首を縦に振ってくれない場合もあるでしょう。施策が会社をよくすることが分かっていても、です。経営者としてのプライドもありますしね。そこで、信頼する人を介して伝えてもらうことにしました」
和光さんの場合は母親や銀行を経由して、父親に意見を伝えることで、意見は次第に了承されていったそうです。ただ一番大切なことは、先代(父親)は心の奥底では後継ぎのことを信頼してくれていることを、自分自身が理解していることだと言います。
「先代からの信頼感を裏切らないためにも、日々全力で、これからも事業に取り組んでいきます」
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