目次

  1. 地ビールブームが去って打撃
  2. 「COEDOビール」として一新
  3. 「テロワール」を意識した商品
  4. モンドセレクションで最高金賞に
  5. 一般向けの工場見学を開始
  6. ブルワリーが街の個性に
  7. 婿養子経営者の強みとは

 コエドブルワリーの母体は1982年に設立した協同商事で、有機農産物の産直事業などに端を発しています。朝霧さんの入社前の96年から、川越名産のサツマイモを用いたビールの製造を始めました。

現在の「COEDOビール」のラインアップ(コエドブルワリー提供)

 朝霧さんは川越市出身。創業者の娘にあたる妻と交際していた縁で、学生時代から同社でアルバイトをしていました。大学卒業後、三菱重工に入社しましたが、創業者の義父から誘われ、98年に協同商事に入社しました。

 「協同商事は独自のサービスを展開しているアグリベンチャーということで、背中を押されました。もちろん妻のことが好きだったというパーソナルな理由もありました」

 94年の規制緩和で地ビールは全国でブームになりましたが、朝霧さんが入社した90年代終わり頃には陰りが見え始めていました。

 全国で職人不在のまま観光土産として地ビールが製造され、「値段が高い割に必ずしもおいしくない」というネガティブな印象がつき、本場ドイツから醸造家を招いていた同社も、風評の影響を受けました。

 「全国的に地域おこしの道具として地ビールが使われていましたが、ブームが去って過剰な生産設備を抱えることになりました。我が社もビールから撤退するか、やり直すかという選択を迫られたのです」

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