売り上げ半減に解散危機 酒類卸4代目を継いだバイト出身社員の覚悟
兵庫県姫路市で酒類卸を営む光明兼光本店は、アルバイト出身の内海淳さん(52)が、創業家から経営を引き継いで4代目社長を務めています。酒類販売免許自由化の荒波の中で販路を切り開くなど、実績を積んで前経営者の信頼を勝ち取りました。事業継承を巡る創業家のトラブルに巻き込まれながらも、強い覚悟を持って経営を担っています。
兵庫県姫路市で酒類卸を営む光明兼光本店は、アルバイト出身の内海淳さん(52)が、創業家から経営を引き継いで4代目社長を務めています。酒類販売免許自由化の荒波の中で販路を切り開くなど、実績を積んで前経営者の信頼を勝ち取りました。事業継承を巡る創業家のトラブルに巻き込まれながらも、強い覚悟を持って経営を担っています。
目次
光明兼光本店は1927年に創業しました。社名は創業者・光明兼光の名前をそのまま取っています。
日本酒、ビール、洋酒などの酒類全般から食品まで取り扱い、地域に根ざしてきました。現在の売上高は40億円。地元のスーパーやディスカウントストア、百貨店、酒屋やJRの売店など幅広い取引先を持ち、社員とパート約55人を抱えています。
酒類卸のほか、内海さんの代に始めたJR姫路駅近くの日本酒バー「試(こころみ)」の経営と、贈答用のフルカラーボトル彫刻「tekizami」の制作・販売という3本柱で事業を展開しています。
「自堕落な自分の性根を入れ替えようと思い、汗をかく仕事を選びました」
内海さんのキャリアは1992年夏、光明兼光本店でのアルバイトから始まりました。
兵庫県たつの市出身の内海さんは、仙台市の大学に進みましたが中退しました。「勉強が難しくて、大学から単位が取れないと除籍になると言われました。それなら『中退』の方が良いじゃないですか。響きが文学的だし」
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帰郷するも蓄えが底をつき、いよいよ働くしかないと思った時に目にしたのが、光明兼光本店のアルバイト募集でした。
「夏だ、ビールだ、アルバイトだ」
そんなキャッチコピーに目を引かれ、同社の倉庫の短期アルバイトとして入りました。
当時、倉庫の仕事はまさに肉体労働。ビールはおろか水分補給もろくにできないほど多忙でした。しかし熱心な仕事ぶりでバイト期間が延長され、ほどなく社員として誘われ、正式に入社しました。
最初は配達担当を経験し、営業に移りました。内海さんは地域の酒屋を一軒一軒訪ね、注文を聞いて集金に回るうち、値段の付け方や商品知識、飲酒文化やお酒の歴史など幅広い知識を身につけます。
当時は酒屋の力が強かった時代でしたが、95年以降は酒類小売業免許の規制の緩和が進み、酒類を扱うスーパーマーケットやコンビニエンスストアが大幅に増えました。
内海さんも担当者の助手のような形で、スーパーに出入りするようになります。そこは酒屋とはまったく違う世界でした。
「酒屋さんとは個人の付き合いが可能で、ときに無理を言って商品を置いてもらうなど融通が利きました。しかし、スーパーは余計な在庫を持ちません。売れる酒を大量に仕入れ、棚割りをきちんと考えて商品を置きます。さもないとお客に商品を手に取ってもらえず、在庫が出るからです。返品も当たり前で、しかもケースでなくバラで返されるので驚きました」
さらに当時は激しい価格競争で、スーパーへの納入価格が抑えられていたため、もうけは少なかったといいます。内海さんはコンビニにも酒類を納入するようになりました。
コンビニはスーパーよりさらに商品の回転スピードが速く、棚の入れ替えも毎週でした。売れ行きが悪いと見るやすぐに棚から外され、逆に売れれば即補充で、発注内容も細かいのです。コンビニ各社のやり方も異なり、内海さんは神経を使いました。
「発注に応えられるように在庫管理の徹底を求める僕は、欠品も致し方ないという仕入れ担当者とよくケンカしていました」
同社は大きく成長し、内海さんが入社した92年当時は100億円前後だった売り上げは、スーパーやコンビニと取引を始めた3代目社長のときに240億円まで伸びます。
そんな中、内海さんは「ちょっと社長に生意気な意見をして」、物流事務に異動することになります。そこで、かねて思い描いていたアイデアを実行に移します。
「適正在庫」という概念を持ち込み、倉庫内にある商品の配置を大きく変えたのです。
それまではランダムに商品を並べていたため、集荷に時間がかかっていました。そこでスタート地点から一方通行で、しかも通路の左右からピックアップできるようにしました。特にスピード重視のスーパーやコンビニに合わせ、効率良く出荷できるような導線を提案しました。
「こうした提案資料は知識がないと作れないので、物流をはじめ関係する法律を猛勉強しました。その頃になってようやく目が覚めたかなと思います」
総務課長に就いた内海さんは税務や会計などを学びながら、3代目社長とも1対1で意見を交わすようになります。
すると、それまで「このワンマンめ」と思っていた社長の意見が理解できるようになったといいます。
「そもそも社員と社長では考えや判断基準が異なり、視点も違います。自分の意見が反対されても、そこには理由と根拠があります。それがわかったのも、じっくり話し合う時間が持てたからでしょう」
社長のことを徐々に理解すると同時に、サポートの仕方もわかってきました。「あるテーマについて考えてほしい」と社長に頼まれたら、内海さんは少なくとも三つの提案を用意しました。
そのうえで「これが良いのでは」と意見を主張しつつ、社長が判断しやすいように準備するやり方を身につけました。次第に内海さんは社長にも頼られる存在になりました。まだ30歳のころでした。
しかし、このころから光明兼光本店に陰りが見え始めます。原因は成長の要因となったスーパーやコンビニでした。
内海さんによると、スーパーやコンビニは初めての土地に出店するときは地元の酒類卸を使い、ある程度店舗数が増えると全国への流通網を持つ大手食品卸へ取引を移す傾向がありました。
内海さんは、コンビニを担当していた当時からこうした流れを察知。社長や上司に「売り上げが大きくても、スーパーやコンビニに軸足を置きすぎる経営は危ない」と幾度となく進言しました。
当時は誰も耳を貸そうとせず「君は心配性やな」と一笑に付されてしまったといいます。
しかし、同社も流れには逆らえず、コンビニ各社からの発注が急減。あっという間に売り上げは半分ほどの100億円に落ち込みました。
内海さんは05年、社長の命令で従業員約120人を半減する原案を作成します。「なぜこんなことに頭を悩まさなければならないのか。本当に苦しい作業でした」
上乗せした退職金で第二の人生に出る退職社員を、内海さんは無念の思いで見送りました。
この苦境に動き出した人物がいました。当時副社長を務めていた創業者の三男です。
光明兼光本店は創業者の死後、その妻が2代目社長に就任。内海さんが仕えた3代目社長は創業者の長女の夫、つまり娘婿でした。創業者には4人の子がおり、副社長の三男は当時、株式の49%を保有する大株主でした。
その三男が自社に見切りをつけて会社の解散を提案し、株式の保有比率に見合う財産も求めてきたといいます。
「会社の立て直しに必死な時に、副社長が何を言い出すか」。総務部長だった内海さんは憤り、社長も提案をはねつけますが、ついに三男からは会社解散と財産分与を求めた裁判を起こされました。
約3年に及んだ裁判で三男は敗訴し、会社の存続は守られました。
大幅な売り上げダウンに身内の争い。強気一辺倒だった3代目社長はすっかり意気消沈し、弱音を吐くようになったといいます。
内海さんは気の毒に思い、サポートしていこうと誓いましたが、08年に社長が急逝してしまったのです。
「社長がある日脇腹の辺りを押さえていました。ゴルフのし過ぎと笑っていましたが、その後膵臓がんと診断されました。すぐ治療を始めましたが、11月半ばに亡くなりました」
内海さんは直接聞いていませんでしたが、遺族から3代目社長は病床で「内海に社長を継がせる」と発言していたと聞かされます。葬儀を済ませた後は、次期社長を決めねばなりません。3代目の遺志だからと、遺族の大多数から社長就任を打診されました。
当時39歳だった内海さんには、約20億円という借入金の個人補償がネックになりました。「経営を引き継ぐとこの個人補償も引き受けねばなりません。この額はサラリーマンには無理でした」
経営が順調なら問題はありませんが、業績はまだ振るいません。しかし内海さんは1日考えて引き受けることにしました。
「引き受けなければ事態が収まらなかったからです。どうせ財産もないし、取れるもんなら取ってみいと開き直りました」
難局を乗り切れるのは、会社を一番知り尽くしている内海さんだけ――。社員も衆目一致していたので、4代目就任は自然な流れだったといいます。
しかし、この社長就任をただ一人納得していなかった人物がいました。
※後編は内海さんを襲ったさらなる承継トラブルや、日本酒バーや贈答用ボトル制作など、会社の再生に向けて立ち上げた新規事業についても迫ります。
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