目次

  1. 女子大時代に家業を継ぐ決意
  2. 京都の老舗和菓子店で修業
  3. 家業の課題に向き合う
  4. 手書きPOPで親しみやすさを
  5. 「養肝漬」の姿を守り継ぐ
  6. お客からもらった商品化のヒント
  7. 漬物とチーズが調和したベーグル
  8. スイーツも続々と開発
  9. 父や従業員に背中を押され
  10. コロナ禍での打開策は
  11. 伝統産業の後継ぎとして

 三重県伊賀市には、伊賀を統治した津藩主・藤堂高虎が常備したと伝わる白瓜の漬物があります。伊賀盆地特産の白瓜の芯を抜き、その中に細かく刻んだしそ、生姜、大根などを詰め、たまり醬油に漬け込み1年以上自然熟成させたものです。

 「武士の肝っ玉を養う漬物」に由来する「養肝漬」と呼ばれる漬物で、1865年創業の「宮崎屋」が今も製造を続けています。

 創業当時は、家族のみで小さな木おけ三つで3トン程度の仕込みからスタートし、戦時中も製造を続けました。現在は年間生産量10トンで、従業員数は約10人(パート従業員を含む)です。

昭和20年代ごろの宮崎屋。創業以来、同じ場所で店を構えています

 7代目の宮嵜遥菜さんは3姉妹の長女で、子どものころから漬物に囲まれて育ちました。

 「両親が店で働く姿を見て育ち、私もよくお手伝いしました。代々続く漬物屋に生まれて周囲から『大変でしょう』と言われますが、私自身はそう思ったことはありません。すべてが当たり前で自然と受け入れていました」

 両親からは「自由に生きなさい。外の世界を見なさい」と育てられた宮嵜さんは、大阪の中学と高校を経て兵庫県の女子大に進学しました。

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