老舗の重々しい雰囲気に新風を 7代目が生んだ「お漬物屋のベーグル」
三重県伊賀市で1865年から続く漬物屋「宮崎屋」は、7代目の宮嵜遥菜さん(32)が老舗の伝統を守りながら、主力商品「養肝漬」(ようかんづけ)の魅力を広げようと、若い世代を意識して「お漬物屋」のベーグルやスイーツを開発しました。「お客様は食べるプロ」という思いを胸に、新風を吹き込み漬物の未来を切り開きます。
三重県伊賀市で1865年から続く漬物屋「宮崎屋」は、7代目の宮嵜遥菜さん(32)が老舗の伝統を守りながら、主力商品「養肝漬」(ようかんづけ)の魅力を広げようと、若い世代を意識して「お漬物屋」のベーグルやスイーツを開発しました。「お客様は食べるプロ」という思いを胸に、新風を吹き込み漬物の未来を切り開きます。
目次
三重県伊賀市には、伊賀を統治した津藩主・藤堂高虎が常備したと伝わる白瓜の漬物があります。伊賀盆地特産の白瓜の芯を抜き、その中に細かく刻んだしそ、生姜、大根などを詰め、たまり醬油に漬け込み1年以上自然熟成させたものです。
「武士の肝っ玉を養う漬物」に由来する「養肝漬」と呼ばれる漬物で、1865年創業の「宮崎屋」が今も製造を続けています。
創業当時は、家族のみで小さな木おけ三つで3トン程度の仕込みからスタートし、戦時中も製造を続けました。現在は年間生産量10トンで、従業員数は約10人(パート従業員を含む)です。
7代目の宮嵜遥菜さんは3姉妹の長女で、子どものころから漬物に囲まれて育ちました。
「両親が店で働く姿を見て育ち、私もよくお手伝いしました。代々続く漬物屋に生まれて周囲から『大変でしょう』と言われますが、私自身はそう思ったことはありません。すべてが当たり前で自然と受け入れていました」
両親からは「自由に生きなさい。外の世界を見なさい」と育てられた宮嵜さんは、大阪の中学と高校を経て兵庫県の女子大に進学しました。
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「進路を決めるとき、家業のことは考えないようにしました。150年の歴史と向き合うと怖くなるじゃないですか」
それでも身近だった発酵食品に興味を持ち、卒業論文は「食」をテーマに選びました。自身と養肝漬の関わりを改めて考え、「養肝漬を守っていかないといけない」と継ぐ決意を固めました。
宮嵜さんは大学卒業後、「違う業種を見ることで新しい風が入れられる」と思い、京都の老舗和菓子店で2年間ほど販売スタッフを務めます。
舞妓さんや歌舞伎関係者、観光客など客層がさまざまで、贈答品のしきたりや接客対応など学ぶことが多かったといいます。「宮崎屋も地元の人と観光客が利用する店なので、京都の接客やディスプレーは多々参考になりました」
宮嵜さんは26歳で家業に入ります。父親で6代目社長の慶一さんのもと、営業や事務を中心に任されました。
宮嵜さんの祖父の時代に「養肝漬」を有名百貨店の物産展に出品するようになり、サービスエリアやスーパーにも販路を広げ、伊賀土産の定番となりました。
慶一さんが後を継いでからの1980~90年代が成長のピークで、年間20トン近くの出荷量があったといいます。創業時の木造店舗も何度か建て替え、昭和40年代には現在の3階建てビルになりました。
しかし、時代の変化で漬物離れが加速。90年代以降、売り上げは少しずつ減り、現在は出荷量もピーク時の半分になりました。宮嵜さんは家業の課題を次のように考えました。
「父も取り組んでいた課題でしたが、養肝漬という軸は大事にしつつ、その周辺のことを時代にあわせて変えていこうと思いました」
宮嵜さんはまず店内のディスプレーに手を付けました。「老舗の重々しい雰囲気を明るく軽やかにして、若い人も入りやすい雰囲気をつくりたかった」
季節や行事を意識した花や小物を飾ったり、季節限定商品を目立つ位置にレイアウトしたりして、京都で学んだ季節感を盛り込んだ商品ディスプレーを実践しました。
妹に手書きのPOPを頼んで店頭に置きました。きっちり作り込まれた印刷物ではなく、少しカジュアルで手作り感あふれるPOPで親しみやすさを表しながら、既存客が違和感を持たないよう、少しずつゆっくりと変えていきました。
宮嵜さんは漬物蔵に入り、製造の仕事も手がけました。「蔵で働くスタッフは大先輩で、いろいろ教えてもらいたかった。製造現場を知らないと商品の良さを伝えられず、苦労も分かりませんから」
原料となる白瓜の契約農家の畑にも足を運びました。「暑い日も寒い日も、蔵や畑で頑張ってくれる人に支えられて商売を続けてこられたと感謝しています」
蔵にはひと樽で4トンもの養肝漬を漬けられる黒杉の巨大木樽が並び、たまり醬油の香りが広がります。木樽で1〜2年漬け込み、その間にたまり醬油の入れ替えを行うなど、養肝漬は時間と手間をかけてつくられています。
「木樽は明治時代からずっと使い続けています。製造方法は創業当時から変えず、発酵と熟成という自然の力で醸し、保存料などは一切不使用です。養肝漬本来の姿を守り継ぐという軸はぶれません」
宮嵜さんは既存の顧客は大事にしつつ、子どもや若者という新しい客層の開拓にも目を向けました。
「幼いころの食の記憶は大事だと思うんです。子供たちが集まるような入りやすい漬物屋を目指しています」
商品開発のヒントは顧客自身にありました。「お客様は食べるプロ。私たちより色々な食べ方やアレンジを試していて、接客をする中で教えていただくことがたくさんあります」
養肝漬は薄くスライスしてご飯やお茶漬けと食べるのが定番です。しかし、パン食が増えてライフスタイルが変化する中で、宮嵜さんは洋風のアレンジも考えていたところ「養肝漬のファンの方が、たまたまクリームチーズと養肝漬を練り込んだベーグルを焼いてきてくれたんです。これがイメージにぴったりでびっくりしました」。
宮嵜さんは「お漬物屋のベーグルというギャップがいい」と直感。片手で手軽に食べられる漬物の新しい形として販売したいと思いました。
「ベーグルとしてこだわったのはしっとり感。モチモチし過ぎない食感と食べやすさを求めて材料を吟味しました。小麦粉の種類で食感が変わるので、家族や従業員と何度も試作や試食を繰り返し、完成まで半年かかりました。中に練り込む養肝漬とクリームチーズの割合も難しく、漬物の存在感を出しつつ、くどくならない味わいを目指しました」
完成したベーグルは、養肝漬のたまり醬油の甘じょっぱさとクリームチーズのまろやかさがほどよく調和しています。
「漬物が苦手な人は宮崎屋を知る入り口になり、元々のファンにはもっと養肝漬が食べたくなるベーグルになったと思います」
19年秋から土日限定で「宮崎屋にしか創れないベーグル」という商品名で発売して、たちまち話題に。SNSで告知すると毎回完売しました。
その後も、宮嵜さんを中心にお菓子作りが得意な女性スタッフらと協力し、養肝漬を練り込んだビスコッティ、たまり醬油を使ったアイスクリームとクロワッサンのスイーツ「TAMACRO」など「宮崎屋にしか創れないシリーズ」を次々と開発しました。
ベーグルやクロワッサンも最初は外注していましたが、21年に社内にパン工房を設け、自社製造もはじめました。機器の購入や製造ノウハウなどは、材料を仕入れている会社からバックアップを受けました。
「自社製造をはじめた当初はうまく作れず、販売できないこともありました。新しいことをするのは大変ですが、気軽で買いやすい商品をきっかけに、養肝漬に興味を持ってもらえれば、未来の顧客につながると信じています。ベーグルやスイーツの売り上げは微々たるものですが、若いお客様がたくさん増えました」
こうした新たな取り組みをするとき、宮嵜さんはまず両親や従業員に相談します。
「従業員といっても、私が子どものころからいる家族のような存在です。みんなが耳を傾けてくれて、新しいアイデアも出るので、色々なことに挑戦できています」
父で社長の慶一さんも「私の時代は仕事のやり方で父親とぶつかったりしましたが、今は違います。若い世代の感性を採り入れることが、新しい顧客を生みます。娘が思いついたことはとにかく試してみろと応援しています」と言います。
ベーグルの人気が広まった矢先、宮崎屋もコロナ禍に見舞われ、物産展や対面販売などが軒並み中止に。売り上げも例年の50%まで落ち込み、来店客がゼロという日もありました。
「コロナ禍でベーグル、アイスクリームなどのお取り寄せができるように整えました。通販関係はインスタグラムとチラシで発信して、新規のお客様の利用も増えました」
インスタグラムを担当しているのは、宮嵜さんの10歳下の妹です。「響いてほしい世代と同じ感覚で発信してもらうのがいいと思い、任せています」。個人向け通販は好調で売り上げは徐々に回復しています。
宮嵜さんは30歳で結婚し、31歳で女児を出産しました。「夫は伊賀出身で結婚当時は県外で働いていました。私は家業を続けるという強い思いがあったので、そう伝えました。いろいろな結婚スタイルを模索すればいいし、夫には自分の好きな仕事をしてもらいたかった」
最終的には夫が転職して伊賀に戻り、結婚生活をスタート。宮嵜さんは今、生後4カ月の那菜羽(ななは)ちゃんと一緒にお店に出勤する日々です。
「夫や夫の家族の理解と協力には感謝しています。店には父も母もいるので、娘をそばにおいて仕事ができています。私も小さいころ、こうやって母に育ててもらったんだなあと実感する日々です」
宮嵜さんは、伝統産業の後継ぎとしての思いをこう語ります。「私は先祖が代々守ってきたお漬物を無くしたくないと思い、後を継ぎました。周囲の人と協力して、目の前の課題をひとつずつクリアしながら、親しみやすい漬物屋として昔ながらの味を残していきたいです」
これからは発酵食品を通した食育にも力を入れたいと力を込めます。「まだまだ父(社長)も若いですから、頼りにしながら、いつか経営も任せてもらえるように成長したいです」
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