目次

  1. 野球少年を襲った「白血病」
  2. ドラフト6位でプロ指名
  3. リハビリ中に「お金の勉強」
  4. 「退路を断つ」と広島へ
  5. 従業員と1on1で対話
  6. 全車両の燃費を調べてコスト削減
  7. 「攻めの営業」で自ら前に
  8. 安全の先にある感動を
  9. すべての経験が今につながる

 山下さんは広島県府中町出身。子どものころは広島市民球場に通い、広島東洋カープで活躍した前田智徳さんの打撃フォームを物まねするほど、プロ野球選手に憧れていました。

 小学生のころにソフトボールを始め、中学で野球チームに入りましたが1年生のとき、異変を感じました。「走ってもすぐに疲れ、キャッチボールをしても目の前が真っ白になってボールが見えなくなったんです」

 白血病と診断され、半年間の入院を余儀なくされました。冬に退院しましたが、駐車場の車に駆け寄ろうとしても、足の踏ん張りがききませんでした。自宅の床に座っても自分の体重で骨が圧迫される感覚で、痛みを伴いました。

 抗がん剤治療を受けながら筋力トレーニングを続け、不自由なく学校生活を送れるようになったのは中学3年のときでした。

 広島国際学院高校に進学したときの体重は44キロで、球速は90キロだったそうです。最初は外野手でしたが、同学年に左腕がおらず投手の練習も始めました。

 部員は80人ほどでレギュラー争いが激しく「まずは(高校の)2軍の試合で投げたい」と思いました。コツコツと練習を重ね、3年夏で130キロ台に。甲子園出場はかないませんでしたが、長野県の松本大学で野球を続けました。

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