元DeNA左腕がタクシー会社を承継 職場改善と攻めの営業に全力投球
プロ野球・横浜DeNAベイスターズの左腕投手だった山下峻さん(30)が引退後の2021年3月、創業者が亡くなった「山陽タクシー」(広島県竹原市)の株式を買い取って社長になりました。畑違いの業界で乗務員のストレスを減らすための組織改善に取り組みながら、元プロ野球選手の知名度を生かした「攻めの営業」も展開。故郷広島で、セカンドキャリアを着実に築いています。
プロ野球・横浜DeNAベイスターズの左腕投手だった山下峻さん(30)が引退後の2021年3月、創業者が亡くなった「山陽タクシー」(広島県竹原市)の株式を買い取って社長になりました。畑違いの業界で乗務員のストレスを減らすための組織改善に取り組みながら、元プロ野球選手の知名度を生かした「攻めの営業」も展開。故郷広島で、セカンドキャリアを着実に築いています。
目次
山下さんは広島県府中町出身。子どものころは広島市民球場に通い、広島東洋カープで活躍した前田智徳さんの打撃フォームを物まねするほど、プロ野球選手に憧れていました。
小学生のころにソフトボールを始め、中学で野球チームに入りましたが1年生のとき、異変を感じました。「走ってもすぐに疲れ、キャッチボールをしても目の前が真っ白になってボールが見えなくなったんです」
白血病と診断され、半年間の入院を余儀なくされました。冬に退院しましたが、駐車場の車に駆け寄ろうとしても、足の踏ん張りがききませんでした。自宅の床に座っても自分の体重で骨が圧迫される感覚で、痛みを伴いました。
抗がん剤治療を受けながら筋力トレーニングを続け、不自由なく学校生活を送れるようになったのは中学3年のときでした。
広島国際学院高校に進学したときの体重は44キロで、球速は90キロだったそうです。最初は外野手でしたが、同学年に左腕がおらず投手の練習も始めました。
部員は80人ほどでレギュラー争いが激しく「まずは(高校の)2軍の試合で投げたい」と思いました。コツコツと練習を重ね、3年夏で130キロ台に。甲子園出場はかないませんでしたが、長野県の松本大学で野球を続けました。
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栄養学を学びながらの食事とトレーニングで、球速は140キロ台中盤をマークし、関甲新リーグで活躍。スカウトの目に留まり、13年秋のドラフト会議で横浜DeNAベイスターズから6位指名されました。
「先発投手陣の柱に」と期待されましたが、新人合同自主トレで左肩を痛めて2軍スタートとなりました。癒えた後はけがをする前の感覚を取り戻そうとしましたが、思うようにいきません。
2年目になると「試合を迎えるのが、怖くなってしまいました」。投げ方の感覚が合っているのか、試合を壊さないか・・・。打者と対戦する以前に自分と戦っていたそうです。
プロ3年目は横手投げに挑戦したこともありましたが、1軍での登板機会はなく、16年秋に戦力外通告を受けました。
第二の人生を考えたとき、けがでリハビリをしていた期間に読書習慣を身につけていたことが、道しるべとなりました。
「けがをすると、練習後に外出ができなくなるので時間がつくれます。お金の勉強をするため、新聞を読んだりファイナンシャル・プランナー(FP)の本を買ったりしました」
白血病やけがに悩まされ続けた山下さんは、周りに助けてもらうことの方が多い人生でした。「野球選手でもお金に困っている人がいる。知識があれば助けられる」という志を抱き、知人が立ち上げた保険代理店に入社したのです。
保険代理店での仕事は、株の運用や証券などあらゆる金融商品に関わり、知識が身についたといいます。様々な会社の貸借対照表(BS)や損益計算書(PL)を見る機会にも恵まれました。「野球を始めたころのような感覚で、分からないことはとにかく聞きました」
数年後、知り合いの経営者から「広島の会社をM&Aで買おうと思っている。峻ちゃん、一緒にどう?」と持ちかけられました。
当時はベイスターズOBが子どもたちに野球を教える「スクールコーチ」を務めており、その仕事が終わる21年春から「退路を断つ」と故郷広島に戻ることを決めました。
その過程で、同じ広島県の山陽タクシーの創業者が亡くなったという話が耳に入りました。知人から「まずはここで経営者としての経験を積んではどうか」と言われ、同社からも「会社のイメージを変えてほしい」と期待されました。
山下さんは周囲のサポートを受けて、山陽タクシーの株式を購入。21年3月、社長に就任しました。
18台の車を所有している山陽タクシーは、従業員と役員合わせて25人を抱え、従業員の平均年齢は60代でした。
「なんだ、この若造は」と言われることを覚悟していた山下さんは、乗務員から業務に関する意見を聞く機会も多く、まずは従業員との1on1で、対話の機会を作りました。
「乗務員さんの機嫌が悪かったり、会社へのストレスが大きかったりすると、そのままお客様に伝わってしまいます。まず働きやすい職場を作れば、会社の価値が上がると考えたんです」
面談を通じて会社の課題を整理し、優先順位をつけました。
夏場になると乗務員から「ジャケットを着なくてもいいか」、「ネクタイを締めなくてもいいか」と尋ねられたため、夏用の制服を作ることにしました。それまで統一されたジャケットはありましたが、暑い時期は市販のワイシャツになるなど、服装がバラバラだったそうです。
左胸に山陽タクシーのロゴをあしらった夏服は、乗客にも好評でした。「人は6割以上、見た目で判断されます。サービス業を担う立場として制服を着用してほしかったのです」
従業員や乗務員からの要望は、必ず期日を守って回答するように心がけました。組織図を作り、上司を通じて乗務員が持つ課題感を伝えてもらうことで、感情的な意見を直接受けることは、ほぼなくなりました。
指摘された問題点を話し合う会議では、必ず次の方向性を示すようにしました。すぐに改善できない課題の場合も「やりません」ではなく「こういう理由のため、できません」と答えるようにしました。
山陽タクシーの原価率は当時約70%で、ほとんどが車両費と人件費の一部でした。人件費に手をつけずにコストを削減するため、山下さんが全車両の燃費を調べると、ガソリン1リットルあたり4キロしか走らない車もあったそうです。
「これでは採算が取れないので、助成金を使ってハイブリッドカーを購入しました」
また、古い電話機の入れ替えにも取り組みました。タクシー業界では配車を受ける電話機が一部でも故障すると、売り上げに大きく響くといいます。山下さんは事業承継に関する補助金を使いながら電話機を刷新し、業務上のリスクを減らしました。
一方で、営業は受け身から攻めの姿勢に転じました。
タクシーは、乗客から「ここまで行ってください」と要望を受ける仕事が多く、営業面は「受け」になりがちだそうです。そこで山下さんは、山陽タクシー側からホテルや観光業界に提案し、宿泊や旅行プランの送迎に同社を組み込んでもらったといいます。
コロナ禍でタクシー需要も減少すると、地元のお好み焼き店の宅配代行サービスも始めました。
さらに元プロ野球選手の経歴を生かし、自身が「広告塔」にもなりました。
自ら教育委員会を訪ねて「学校で講演をさせてもらえないでしょうか」と頼んだり、野球教室を開いたりしました。
地元の商工会議所、観光協会、青年会議所などの会合にはとにかく出席し、自身と山陽タクシーをアピールしました。「人情味のある竹原という地域ならではの営業だと思っています」
社長のトップセールスが奏功し、21年7月から竹原市内でのシェア率が向上。前月より8ポイント伸びたこともあったそうです。
広島県中南部にある竹原市の高齢化率は、20年時点で4割に達しています。少子高齢化の波が押し寄せる中、地域におけるタクシーの役割とはどんなものでしょうか。
山下さんは、経営理念に掲げる「満足を超えた感動」を追求することと考えています。
「タクシーは電車が止まったときなど、お客様が困ったときにこそ使われます。目的地まで安全にお送りするのは当たり前。その先の感動を与えられる会社に変えたいです」
その一環が、従業員のストレス軽減であり、様々な会合に顔を出すトップセールスでもあるのです。
コロナ禍が落ち着いたら、竹原市にどのように人を集められるかを考え、貢献したいといいます。するとタクシーの需要も増えて、会社も竹原市も潤うという考えです。
山下さんはプロ野球を引退後、全く畑違いの世界に飛び込みましたが、すべての経験が今につながっていると感じています。
小さなころ「プロ野球選手になりたい」という大きな志を持ちました。でも、白血病を患ったことで「そもそも野球をするにはどうしたらいいのか」という目の前の小さな目標に向き合わざるを得ませんでした。
野球選手だったときは、客観的に物事を見つめる力がついたといいます。
「四球を連発したら、野球をやめたいと思い詰める時期がありました。でも、次の日に後輩が同じことをしたら『ドンマイ』としか思わなかったんです。いい意味で、他人は自分のことをそこまで気にしていないと気づいた瞬間でした」
山下さんは小さな目標をクリアし続け、憧れのプロ野球選手にたどり着きました。引退後に会社員をしていたときは、知り合いや地元の府中町からの依頼を受けて、大勢の前で自分の経験を話す機会がありました。だからこそ、山陽タクシーの社長になっても、何のためらいもなく講演ができるといいます。
「プロ野球選手を経験した後に(一般企業で)営業をして、バラバラな目標設定をしていると思っていました。でも、すべてが今に直結していて、全部意味があったと考えるようになりました」
21年秋には知人に勧められ、竹原市内の植物工場「野菜工房たけはら」の社長にも就きました。プロ野球界からのセカンドステージとして、経営者としての腕を日々磨いています。
(3月17日、記事を更新しました)
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