「町の花屋」を超えた2代目の仕掛け 強みを前面に売り上げ倍増
三重県伊賀市の生花店「フラワーブティックこさか」は、佐藤(旧姓・小坂)直美さん(45)が2013年に創業者の母の後を継ぎました。俳優業に邁進していて、家業を継ぐ予定はありませんでしたが、母の脳梗塞を機に継ぐことを決意。表現者として花と関わる喜びを見つけ、美しい生花を女性の頭に飾りつけるパッケージ商品を企画するなど、「町の花屋」の枠を超えた仕掛けで売り上げを倍にしました。
三重県伊賀市の生花店「フラワーブティックこさか」は、佐藤(旧姓・小坂)直美さん(45)が2013年に創業者の母の後を継ぎました。俳優業に邁進していて、家業を継ぐ予定はありませんでしたが、母の脳梗塞を機に継ぐことを決意。表現者として花と関わる喜びを見つけ、美しい生花を女性の頭に飾りつけるパッケージ商品を企画するなど、「町の花屋」の枠を超えた仕掛けで売り上げを倍にしました。
目次
同店は1979年、佐藤さんの母・小坂一子さんが伊賀市で開業しました。佐藤さんは花に囲まれて育ち、ままごとにも花を使っていましたが、物心がつくころには「大変そうで花屋にはなりたくない」と思っていました。
高校時代に演劇部だった佐藤さんは、愛知県の大学に通いながら劇団に入りました。芝居漬けの青春で、大学卒業後も劇団員として舞台俳優の道を歩みました。
「家業は気にはなりましたが、親が敷いたレールの上を歩きたくないという反発心のようなものがあったと思います」
俳優業だけでは食べていけず、アルバイトを掛け持ちして夢を追いました。劇場の公演以外に結婚式で新郎新婦のなれ初めを演じる仕事もあり、表現することにやりがいを感じていました。
しかし、25歳のときに突如、所属していた劇団が解散。生活できずとりあえず実家で店の手伝いをすることになりました。
時間だけが流れ「このままではあかん」と一念発起。名古屋市にあったマミフラワーデザインスクールの教室に通い、27歳でフラワーデザインの講師の資格を取得しました。
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同じ時期に伊賀市の情報番組でアナウンサーの活動も始めました。「全然違う仕事のようですが、フラワーデザインもアナウンサーも、魅せる、伝える、表現するという意味で、俳優業と同じ感覚でした」
俳優で培った表現力も生きたのか、マミフラワーデザインスクールのコンクールでは初参加で最優秀新人賞に輝きました。
「いわゆる生け花ではなく、空間をデザインする柔軟な発想が求められるアレンジがスクールのモットーで、私に合っていました」
現在一緒に店を切り盛りする夫の隆太さん(46)と出会ったのも、このコンクールでした。
俳優として表現力を磨いてきた佐藤さんが実家で開いたフラワーレッスンは評判となり、多い時で月の半分が埋まるほどでした。
それでも「この時点でも家業を継ぐつもりはなく、本当に自由にさせてもらっていました」と振り返ります。
そんな気持ちとは裏腹に、仕事の幅はどんどん広がりました。
「ウェディングの仕事でも、役者時代の経験から式の流れや段取りが分かるので、お花の提案をするときに流れを考えたプランが立てられました。アナウンサー業で結婚式の司会をするときは、花や式の段取りに関する知識は強みになりました」
伊賀に戻って7年目となった32歳の時、佐藤さんは夫の隆太さんと結婚。神奈川県鎌倉市に居を移し、隆太さんの実家が営むバラ専門店で働きはじめました。
伊賀を完全に離れたわけではなく、2カ月に一度は実家に戻ってフラワーレッスンをしていました。しかし、結婚して2年後、「フラワーブティックこさか」は規模を縮小して移転したのです。
「両親はもう私が伊賀の店を継ぐことはないと考え、自分たちの代で終わるつもりで規模を縮小したのだと思います」
2拠点生活を続けること4年。今度は鎌倉の店が老朽化して移転か閉店を迫られることに。隆太さんはフラワー関係の会社への就職が決まり、鎌倉の店は閉店することを決めました。
しかし、隆太さんの就職からほどなく、佐藤さんの母が脳梗塞で倒れてしまったのです。
伊賀の店は、その頃には父親も一緒に営んでいましたが、母がいなければ継続が難しい状況でした。
「私は鎌倉の生活が気に入っていて本音は戻りたくありませんでした」。そんななか、「一緒に伊賀に帰ろう。転職したばかりの今ならまだ辞められる」と言ったのは隆太さんでした。
地方で生花店を続ける意味は何か。夫婦二人で話し合いました。ネット環境や流通が発達した今は、むしろ競争が少ない地方の方が商売を続けられる可能性が高い。そう考え、再び伊賀に戻ることを決めました。
「伊賀の店を長年ご利用頂いているお客様の顔が浮かびました。鎌倉の店の閉店、夫の転職、母の脳梗塞・・・。伊賀に帰る条件がたまたまそろいました。どれかが違えば今も鎌倉にいたでしょう」
13年、佐藤さん夫婦は「フラワーブティックこさか」を2代目として継承しましたが、当時の課題は山積みでした。
「家族経営の典型で生活に困らない程度の稼ぎでよかったので、事業計画はなく、利益率などもほとんど考えないざっくりとした商売をしていました」
店舗は狭くて老朽化し駐車場もありません。それでも、佐藤さん夫婦の加入でスタッフは2人から4人に増えたので、それに見合った商売をする必要がありました。
佐藤さんは国が設置した無料経営相談所「よろづ支援拠点」に通ったり、地元の商工会議所のセミナーなどに参加したりして、知識をつけました。
事業計画や売り上げ目標の立案、仕入れ値と売値の見直しなどに一から取りかかりました。「普通の会社なら当たり前のことが家族経営ではなあなあで、真面目に働いているのにお金が手元に残らず、原因も分からない状態でした」
「税理士の先生に帳簿の見方から教えてもらい、価格設定を見直すなどして客観的に現状をとらえる意識改革が出来たのは良かったです。セミナーなどでは、技術力や提案力といった強みを洗い出し、目標を立ていろいろと実践できました」
佐藤さん夫婦は19年秋、将来を見据えて店の移転リニューアルに踏み切りました。広さは前の店の2倍以上、伊賀市中心部のメイン道路沿いのビルに店を構え、専用駐車場も確保しました。家賃は以前の1.5倍でしたが、居抜きですぐに使える状態で、比較的リーズナブルに移転できました。
佐藤さんは、花を売るだけではなく体験できる店を目指しました。1階の売り場には、ドライフラワーやソープフラワーなどの雑貨や、さまざまな分野で活躍する地元作家の作品を月替わりで展示販売するコーナーなどを設けました。
2階はレンタルスペースとして、フラワーレッスンの教室、イベントなどに利用しています(外部への貸し出しは休止中)。
「売り上げを伸ばすには新規顧客の確保が大切です。花を買う以外の目的でも利用してもらえる空間を意識しました」
来店のきっかけを増やし店のファンになってもらえば、花を購入するときに「フラワーブティックこさか」を思い出してもらえるというわけです。
イベントや花の入荷情報などは、自社で作ったカレンダーを店頭で配ったり、インスタグラムやフェイスブックなどでこまめに発信したりしています。
佐藤さんが今、力を入れているのが、20年から始めた「花美」プロジェクトです。
生花で髪を飾り、ヘアメイク、撮影までそれぞれのプロが手掛けるパッケージ商品で、老若男女問わず、すべての人がターゲットです。基本プランはひとり1万9800円からで、オプションによって値段は変わります。
地元の「観光まちづくり企画塾」に1期生として参加し、何か新しいチャレンジができないかと考えていたとき、「頭に花をつけてみたら?」という友人の言葉がヒントになり、このプロジェクトが生まれました。
「花美」というネーミングも企画塾のチームで考え、商標登録のノウハウやプロモーション動画作成などのサポートも受けました。
「七五三、成人式、結婚式は着飾って写真を撮ると思いますが、それ以降は自分のために写真を撮る機会がなかなかありません。誕生日やお祝い、ご自身へのご褒美やお世話になった方への贈り物として、非日常を生花とともに味わってもらえたらと思いました」
生花を頭に飾り、空に打ち上げる花火のような一瞬の美しさを引き出します。「生のお花を飾ると心地よい香りに包まれてテンションがあがり、自然といい笑顔になるんですよ」
伊賀の城下町や自然豊かなロケーションを生かした撮影も手がけ、この2年間で40人近くの女性が「花美」を体験しました。
21年には地元の文化会館の記念行事で、フラワーメイクの実演ショーも実現。佐藤夫妻がフラワーメイクを手掛けたモデル17人がランウェーを歩く姿は、多くのメディアにも取り上げられました。
「花美」は22年に商標登録を完了。店のホームページでプロモーション用の動画も公開しています。
「花美」は店の技術力をアピールするツールにもなっています。
「地域に根差した強みを活かしながらも、町の花屋から一歩抜け出す武器として、当店にしかできないことを増やしていきたいです」と佐藤さんは言います。
「花の注文はネットでできるし、鮮度の良いお花も市場から定期的に仕入れられます。そういった意味では今は商売をするのに、地方も都会もそんなに差がありません。うちは花の種類はそんなに多くありませんが、様々な色みを意識してそろえ、ご家庭と近い環境で展示することで、ご購入後も長く花を楽しんでいただける品質管理に力を入れています」
店のリニューアルや「花美」プロジェクトが奏功し、13年に店を継いでからの売り上げは2倍に増えました。
新規顧客の開拓、ファンづくりに力を入れていたので、コロナ禍で冠婚葬祭や歓送迎会などが無くなっても、個人の利用が伸びて売り上げは落ちませんでした。
17年に父が、19年には母が他界し、現在は佐藤さん夫妻が奮闘しています。「朝は早く、水は冷たくて手も荒れますし、店は常に寒い。大変な仕事ですが、両親が店を残してくれたから今があると思うと本当に感謝しています」
いずれは「フラワーブティックこさか」の会社化も見据えています。「立ち止まらず常に先を考えて仕掛けていきます」
ひとり娘の凛さん(8)は「将来お花屋さんになりたい」と宣言しているとか。佐藤さんは「気が変わるかもしれませんし、あまり期待せず、でも継いでも大丈夫というくらいの状況にしておかなければいけませんね」と笑いながら、家業をつなぐ決意を語りました。
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