26年前の1996年8月2日、コーヒーチェーンの「スタバ」こと「スターバックスコーヒー」の1号店が東京・銀座の松屋通りにオープンしました。

スタバ上陸20年について報じた2016年7月15日付朝日新聞朝刊(東京本社版)

アメリカでのスタバ人気についてまとめた1995年12月7日付朝日新聞夕刊(東京本社版)によると、スターバックスコーヒーは、1971年にアメリカ西海岸の都市・シアトルで創業。

創業後十数年で市内に17の店を持つ程度でしたが、1993年に地元シアトルで開かれたAPECをきっかけに全米で名が売れ、爆発的に支店網を広げたそうです。

 

スタバ1号店の開業直後に発売された週刊誌AERA(1996年9月9日号)は、銀座でにわかに勃発した「コーヒー戦争」を取り上げています。

ドトールコーヒーやプロントなど国内チェーンが迎え撃つ構図だとした上で、国内側の「日本人には日本のコーヒーの味が舌にあうはず」との見方を紹介しました。

 

スタバは、完全禁煙の店づくりやこだわりのコーヒーをゆっくりと楽しむスタイルを提案し、若者や女性を中心に支持を獲得しました。

少し遅れてタリーズやシアトルズベストなど、スタバと同じシアトル系と呼ばれるコーヒーチェーンも続々と国内で勢力を拡大。

一方、国内チェーン側も、ドトールが本格的なエスプレッソを扱うエクセルシオールカフェを1999年にオープンするなど、新形態の店舗で対抗しました。

 

スタバ上陸20年の歩みをまとめた2016年7月15日付朝日新聞朝刊(東京本社版)の記事によると、喫茶店数は1996年の約10万2000店から2014年には約7万店と3割ほど減りました。

チェーン店は伸びたものの、個人経営の喫茶店が減った、という業界関係者の見方も紹介しています。

スターバックスコーヒーは、日本の「喫茶店文化」を変えたと言えそうです。

鳥取県第1号店オープンのにぎわいを伝える2015年5月23日付朝日新聞夕刊(大阪本社版)

2015年6月には、「スタバはないがスナバ(鳥取砂丘)はある」と話題になっていた鳥取県に出店し、47都道府県全てに展開。

鳥取県の第1号オープン前には、国内出店時としては最多(当時)の約1000人が列を作ったそうです。

「ご当地フラペチーノ」発売を報じる2021年6月24日付朝日新聞朝刊(東京本社版)

2021年6月30日には、各地の特産品を生かした47都道府県のご当地フラペチーノの販売を始めました(8月3日までの期間限定)。

SNSなどで大きな注目を集めました。

 

タンブラーやコーヒーカップを持って街角やオフィスを颯爽と歩く――。

コーヒーがファッショナブルなシーンを演出する重要な小道具になったのは、スタバの存在を抜きに語れないでしょう。

これからどんな企画や新商品を見せてくれるのか、スタバは今も私たちの心をつかんで離しません。

 

(朝日新聞社の経済メディア「bizble」で2021年8月2日に公開した記事を転載しました)