【7月6日は何の日】110年前、日本が初参加したオリンピックが開幕
「実は10年前のきょう…」「きょうはこんな日なんですけど…」。取引先との雑談や、プレゼンの冒頭、社内の朝礼など、日々のビジネスシーンでのちょっとした会話のきっかけになる話題の“タネ”を紹介します。
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110年前の1912年7月6日、スウェーデンのストックホルムで第5回オリンピックが開幕しました。
日本が初めて参加したオリンピックです。
3万人の観衆の中、わずか4人の日本選手団は10番目に入場行進しました。
選手団長は、柔道の創始者でアジア初の国際オリンピック委員会(IOC)委員となった嘉納治五郎。
選手は、陸上短距離の三島弥彦とマラソンの金栗四三(しそう)でした。
三島は3種目に出場。
2種目は予選落ち、準決勝まで進んだ400メートルも疲労で棄権しました。
一方、金栗は猛暑の中のマラソンに出場。
中盤を過ぎたあたりで倒れ、そのまま沿道の観客の家で介抱されて途中棄権となりました。
記録は「競技中に行方不明」でした。
それから55年後。
1967年、金栗のもとにスウェーデンから招待状が届きました。
「あなたは行方不明のままなので、ゴールしに来てください」
ストックホルム大会の開催55周年の記念行事でした。
「日本マラソンの父」と呼ばれた金栗は当時75歳。
ストックホルムでの行事で数十メートルを走り、思い出の競技場で念願のゴールテープを切りました。
「ただいま日本の金栗選手がフィニッシュ。タイムは54年8カ月6日5時間32分20秒3。これをもって第5回ストックホルムオリンピックの全日程を終了する」
会場では、そんな粋なアナウンスが流されたそうです。
金栗は、実に半世紀以上をかけてマラソンを“完走”しました。
(朝日新聞社の経済メディア「bizble」で2021年7月6日に公開した記事を転載しました)
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