6月22日はボウリングの日。

50年前の1972年、日本ボウリング場協会が定めました。

江戸末期の1861年6月22日、長崎で発行されていた英字新聞に、日本最古のボウリング場の新装開店を知らせる広告が載ったことが由来だそうです。 

ボウリング発祥の地の記念碑が建ったことを伝える1990年6月13日付朝日新聞朝刊(西部本社版)

ボウリングの歴史は古く、1902年の朝日新聞には、アメリカ・ニューヨークに駐在する日本人の間でボウリングが流行していると伝える記事が載っています。 

 

ただ、国内に広まったのは戦後のようです。

1952年の朝日新聞記事は、国内初の競技場である「東京ボウリング・センター」が開業したと報じています。

「入会金三万円、他に会費が年三千円と聞くと一般の人にはちょっと縁の遠いものだが」とあり、一部の富裕層のスポーツだったようです。 

「東京ラグビー場と隣り合わせの東京ボウリング・センター」の開業を伝える1952年12月19日付朝日新聞朝刊(東京本社版)

ブームが訪れたのは1960年代から70年代にかけてです。

この頃の記事には「経営多角化のひとつとしてボウリング場経営に乗出す企業がふえている」「民放テレビ各局で四月から、ボウリング番組がどっとふえる。週一回のレギュラー番組がドラマも含めて計八本」とあり、当時のボウリング熱が伝わります。

ボウリング代欲しさにカーステレオを盗んだなどとして高校生ら6人が補導された、という記事まで載っています。 

 

しかし、ブームは去るのも早かったようです。

1972年の朝日新聞記事は「押すな押すなの盛況だったボウリング場から、人影が減りはじめた」と伝えています。

それによると、各業界からの新規参入により、1970年からの1年間で全国のボウリング場は約1.5倍になり、その後も増え続けたといいます。

競技人口の増え方以上にボウリング場が増えたこと、利用者が以前ほど景気よく遊ばなくなったことが、ブーム減速の原因のようです。 

両手で投げる選手はプロでも増えているといいます=2018年、朝日新聞社

それでもボウリングは身近なスポーツとして定着。

最近では両手投げのプロ選手が増えていると話題になりました。

屋外でのスポーツの予定が立てづらい梅雨の季節、ボウリングで体を動かすのもいいですね。

 

(朝日新聞社の経済メディア「bizble」で2021年6月22日に公開した記事を転載しました)