【6月24日は何の日】33年前、歌手の美空ひばりさんが死去
「実は10年前のきょう…」「きょうはこんな日なんですけど…」。取引先との雑談や、プレゼンの冒頭、社内の朝礼など、日々のビジネスシーンでのちょっとした会話のきっかけになる話題の“タネ”を紹介します。
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33年前の1989年6月24日、歌手の美空ひばりさんが死去しました。
戦後の歌謡界で「女王」と呼ばれた絶対的存在ですが、若い世代にはなじみが薄いかもしれません。
何がそんなにすごかったのでしょうか。
ひばりさんは1937年、横浜市磯子区の魚屋に生まれました。
9歳で初舞台に立ち、12歳で歌手デビュー。
立て続けに映画に主演し、主題歌を次々にヒットさせたことで、歌える子役としてスターの座に駆け上がります。
ひばりさんが24歳だった1962年5月の朝日新聞の記事には「芸能雑誌が主催する人気投票で、いまも映画スターと歌手の両方で第一位」とあり、その人気ぶりがうかがえます。
幼少期に特別に歌の勉強をしたわけでもなく、独特の庶民性が人気の源泉だと記事は分析しています。
34歳だった1971年9月の記事では、尊敬する歌手や舞台女優を聞かれ、「歌手はいません、日本では」と答えています。
歌に対する揺るぎない自信が伝わります。
しかし49歳だった1987年4月、大たい骨骨頭壊死と慢性肝臓病などで急きょ入院となります。
再起不能とまで言われ、この頃は入退院をめぐる動きが逐一ニュースになりました。
翌1988年には「不死鳥」の名を冠したコンサートで復活をアピール。
ですが再び体調が悪化し、1989年6月24日、帰らぬ人となりました。
死去を報じた当時の記事によると、ひばりさんが吹き込んだのは1200曲、売り上げはレコードなど6800万枚、総額1002億円に達し、出演映画は107作品を数えたそうです。
生前、暴力団とのつながりも指摘されましたが、功績の方が大きいなどとして、翌7月に国民栄誉賞が贈られました。
最近では2019年、最新の人工知能技術でよみがえった「AIひばり」が紅白歌合戦に登場。
「感動した」「故人への冒瀆(ぼうとく)」などと賛否が巻き起こりました。
死後30余年を経てなお大きな、ひばりさんの存在感を表すできごとと言えそうです。
(朝日新聞社の経済メディア「bizble」で2021年6月24日に公開した記事を転載しました)
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