33年前の1989年6月24日、歌手の美空ひばりさんが死去しました。

戦後の歌謡界で「女王」と呼ばれた絶対的存在ですが、若い世代にはなじみが薄いかもしれません。

何がそんなにすごかったのでしょうか。 

横浜高島屋で開かれた「大黄金展」で、金箔貼りの美空ひばり像に見入る人たち=2016年、朝日新聞社

ひばりさんは1937年、横浜市磯子区の魚屋に生まれました。

9歳で初舞台に立ち、12歳で歌手デビュー。

立て続けに映画に主演し、主題歌を次々にヒットさせたことで、歌える子役としてスターの座に駆け上がります。 

 

ひばりさんが24歳だった1962年5月の朝日新聞の記事には「芸能雑誌が主催する人気投票で、いまも映画スターと歌手の両方で第一位」とあり、その人気ぶりがうかがえます。

幼少期に特別に歌の勉強をしたわけでもなく、独特の庶民性が人気の源泉だと記事は分析しています。

34歳だった1971年9月の記事では、尊敬する歌手や舞台女優を聞かれ、「歌手はいません、日本では」と答えています。

歌に対する揺るぎない自信が伝わります。 

美空ひばりさんの人気の理由に迫った1962年5月27日付朝日新聞朝刊(東京本社版) の記事

しかし49歳だった1987年4月、大たい骨骨頭壊死と慢性肝臓病などで急きょ入院となります。

再起不能とまで言われ、この頃は入退院をめぐる動きが逐一ニュースになりました。

翌1988年には「不死鳥」の名を冠したコンサートで復活をアピール。

ですが再び体調が悪化し、1989年6月24日、帰らぬ人となりました。 

 

死去を報じた当時の記事によると、ひばりさんが吹き込んだのは1200曲、売り上げはレコードなど6800万枚、総額1002億円に達し、出演映画は107作品を数えたそうです。

生前、暴力団とのつながりも指摘されましたが、功績の方が大きいなどとして、翌7月に国民栄誉賞が贈られました。 

2019年末のNHK紅白歌合戦に登場した「AIひばり」について書いた2020年3月14日付朝日新聞夕刊(東京本社版) の記事

最近では2019年、最新の人工知能技術でよみがえった「AIひばり」が紅白歌合戦に登場。

「感動した」「故人への冒瀆(ぼうとく)」などと賛否が巻き起こりました。

死後30余年を経てなお大きな、ひばりさんの存在感を表すできごとと言えそうです。 

 

(朝日新聞社の経済メディア「bizble」で2021年6月24日に公開した記事を転載しました)