42年前の1980年4月18日、アフリカ南部のジンバブエがイギリスから独立しました。

日本から遠く離れたジンバブエですが、短期間で物価が急激に上がるハイパーインフレの国として、ニュースで見聞きしたことのある方もいらっしゃるのではないでしょうか。

 

もともとイギリスの自治領で、少数派の白人による支配が続きました。

周辺地域の独立が相次ぐ中、自治領の白人政権は1965年、ローデシアとして一方的に独立を宣言。

国際社会の非難を浴びながら、人種隔離政策が続きました。

「あす独立」を伝える1980年4月17日付朝日新聞(東京本社版)の記事

これを打倒した黒人解放運動の指導者がロバート・ムガベ元大統領です。

「独立闘争の英雄」と呼ばれ、1980年の独立後、初代首相に就きました。

記者会見するジンバブエのロバート・ムガベ大統領=1989年、東京都港区の迎賓館、朝日新聞社

ジンバブエは当初、「アフリカの希望の星」と呼ばれたそうです。

2007年の朝日新聞の記事は「農産品は需要を満たし、輸出で外貨収入の3分の1を稼ぎ出した。識字率は90%を超え、労働力の質は高く、鉄道の独自運行も可能だった」と伝えています。

 

ところが2000年代に入り、インフレが止まらなくなります。

白人農園主を追い出す政策により農園経営が破綻。

欧米諸国から経済制裁も受け、経済が大混乱に陥ったのが原因です。

 

ムガベ政権は次々に高額紙幣を刷ったため、卵1個の値段が朝と夕方で何百倍も違うような異常事態に至ります。

2015年には自国通貨ジンバブエドルを廃止、米ドルが使われるようになりました。

観光地では最高額の100兆ジンバブエドル札が、外国人向けのお土産として売られているそうです。

今では使われなくなった10兆ジンバブエドルの紙幣。ハイパーインフレに襲われた2008年の発行と記されている=2018年7月、朝日新聞社

ムガベ氏は独立から37年も国を率いましたが、野党への弾圧を繰り返し、41歳年下の妻が海外で不動産やブランド品を買いあさるなど「独裁者」とも批判されました。

2017年に軍の反乱で権力の座を追われ、2019年に95歳で死去しました。

ジンバブエの首都ハラレの街並み=2013年、朝日新聞社

ジンバブエは今も財政難で、失業率は高く、国民の暮らしは厳しいままといいます。

遠いアフリカの小国ですが、今では日本企業もビジネスを展開しています。

よりよい未来に向けて、私たちがアフリカの国々と一緒に何ができるか、考えていきたいですね。

 

(朝日新聞社の経済メディア「bizble」で2021年4月18日に公開した記事を転載しました)