25年前の1997年12月10日、DJ体験ができるコナミのゲーム「beatmania(ビートマニア)」の稼働がゲームセンターで始まりました。

札幌市のゲームセンター=2019年、朝日新聞社

発売翌年の1998年5月18日付の朝日新聞では、「ゲーム批評」編集長の斎藤亜弓氏がビートマニアを「ゲーム機というより、簡単に音楽を奏でることができる楽器に近いのかもしれません」と評しています。

1997年稼働開始当初のbeatmania=コナミ提供

ビートマニアの操作はシンプルで、流れる曲に合わせて、けん盤とターンテーブルを画面の指示通りに操作するというものです。

beatmaniaのプレイ画面=コナミ提供

さらにその記事の半年後、1998年11月16日号のAERAには、同じくコナミが開発したダンスゲーム「ダンスダンスレボリューション(DDR)」の人気を伝える記事が掲載されました。

記事によると、ゲームをプレイするため、ゲームセンターの開店前から若者たちが待ち構えるほどの人気だったそうです。

 

そんなダンスゲームの先駆けとして知られていたのがビートマニアです。1990年代当時は、クラブやディスコ文化も盛んでした。そのため記事では、ダンスゲームがそういった華やかな場所で踊るのは苦手な「地味でシャイな若者たち」を惹きつけていたのでは、と分析しています。

街角のゲームセンターに置かれた「ダンスダンスレボリューション」で踊る若者=2000年、大阪市北区茶屋町、朝日新聞社

1999年3月7日付の朝日新聞では、その人気がより広がりを見せていたことが伝えられています。

「『音ゲー』が大ヒット」として、これまで局地的人気だったダンスゲームが女子高生やカップルなどの層にも広がり、カラオケボックスに設置されるようにもなったとしています。

ビートマニアの稼働開始から1年強が経っていた当時、ビートマニアもバージョンアップを続け、5000台以上が売れるほど好調だったようです。

仙台市のゲームセンター=2020年、朝日新聞社

また、「音楽ゲームが日本独自のクラブ文化を形成するのでは」という記述が1999年7月8日付の朝日新聞に記載されています。

ビートマニアやダンスダンスレボリューションといった音楽ゲームの大ヒットについて、当時のコナミの事業本部長の「若者の表現の場を与えられたと思っています」というコメントを紹介しています。

1999年3月7日付の朝日新聞朝刊(西部本社版)

この記事ではゲームライターの戸塚義一さんの当時の分析も伝えています。

「戸塚さんによると、ゲームで遊ぶ層には2種類あるという。1つは画面の中で完結する『攻略型』、もう1つは『アピール型』。自分をアピールする手段としてゲームを使う層だ。よい例がプリクラ。記念写真を撮るというより、撮った写真を他人に見せることで、爆発的に人気を得た」

1999年7月8日付の朝日新聞朝刊(東京本社版)

ビートマニアの稼働開始から24年。現在は家庭用ゲーム機に加えてスマホゲームも登場し、より手軽にゲームを楽しめる時代になりました。オンラインゲームが主流になった現代ですが、たまにアーケードゲームも楽しんでみてはいかがでしょうか。

 

(朝日新聞社の経済メディア「bizble」で2021年12月10日に公開した記事を転載しました)