目次

  1. そもそも銀河とは何なのか
  2. 銀河を科学で見つめたガリレオ・ガリレイ
  3. 文学で描かれた銀河。織姫と彦星が年に1回しか会えない理由
  4. 銀河の語源は? ギャラクシーの語源は?
  5. 自分の五感で銀河に触れる

教養のある人って、あこがれますよね。ところで、教養って、何なんですかね。

なくても生きられそうだが、なんとなく、ないよりはあったほうがいいっぽい。どうせあるなら、たくさんがいい。たくさんあると生活が彩られる。なんだか教養って、ポイントカードみたい。

音の響きで考えたタイトルから話を展開しているので、果たして教養があるかわからないが、銀河のあれこれを詰め込んでみた。

映画「E.T.」で、ガラクタを集めて遠くはなれた母船と交信していたように、銀河にまつわる寄せ集めから読者となにか通じることがあればいいなと思う。

「銀河」と聞いて、どんな姿をイメージするだろうか。

無数の煌(きら)めく星が渦を巻く、荘厳(そうごん)な身なりを思い浮かべる人が多いのではないだろうか。それは、ハッブル宇宙望遠鏡によって撮影された天体写真の影響が大きい。

ハッブル宇宙望遠鏡が撮影した渦巻銀河(NGC 691)=ESA/Hubble & NASA, A. Riess et al.; Acknowledgment: M. Zamani

宇宙にある星は、重力によって結びついて、集団をつくる。それなりに集まると「星団」に、ふんだんに集まると「銀河」になる。

星団は2種類ある。星の数が少ない「散開星団」(数十から数百個)と、多い「球状星団」(数百万から数億個)である。

(左)散開星団のプレアデス星団(すばる)=NASA, ESA and AURA/Caltech (右)球状星団のM15(credit: NASA, ESA)

私たちが住んでいる銀河は、ほかの銀河と区別して「銀河系」や「天の川銀河」という。天の川銀河には、1000億を超える星がある。宇宙には観測できる範囲だけでも、銀河が2兆個あるといわれている。

つまり、宇宙にある星の数は、理系的には下限値で10の23乗個あり、文系的には星の数ほどあるのだ。

天の川銀河の想像図=NASA/JPL-Caltech/R. Hurt (SSC/Caltech)。白字の注釈は筆者によるもの

銀河のことは色々とわかっているようだが、じつはほんの100年前まで、宇宙は天の川銀河だけの世界だった。「ほかの銀河」なんてなかったのだ。

その証拠に、1920年、2人の天文学者が宇宙の大きさを巡って「大論争(The Great Debate)」をしている。当時観測されていた天体が、天の川銀河の内側にあるのか外側にあるのか。ディベートのテーマが、「税」とか「浮気の境目」でなく「宇宙」とはロマンがある。

大論争から3年後、天文学者エドウィン・ハッブルが、渦巻星雲(アンドロメダ銀河)までの距離を測定することに成功し、私たちの銀河の外側にあることを明らかにした。つまり、宇宙は天の川銀河よりも広い、ということがわかったのだ。

ハッブルは、私たちの宇宙観を広げた偉大な天文学者だったのである。ほかにも重要な発見をしており(次回以降に紹介する)、ハッブル宇宙望遠鏡の名前の由来になっているわけだ。

さらにさかのぼって、天の川を科学の対象にしたのは、ガリレオ・ガリレイである。

およそ400年前、「レンズを組み合わせると、モノがでっかく見えっぞ!」という噂をオランダから聞いたイタリア人のガリレオは、自らの手で望遠鏡をつくりあげた。

getty images

大航海時代の海賊たちは金銀財宝を狙って望遠鏡を船に向けたが、ガリレオは夜空の星を狙って望遠鏡を空に向けた。“天体”望遠鏡はこうして生まれた。

ガリレオは、月の表面にでこぼこがあること(月は神の作った完全無欠の球体ではないこと)、木星を周回する衛星があること(すべての天体が地球中心に回るわけではないこと)、そして、天の川の正体が無数の星の集まりであることを明らかにした。

ちなみに、ガリレオが発見した木星の衛星は、イオ、エウロパ、ガニメデ、カリストの4つで、「ガリレオ衛星」と呼ばれている。

これより昔になると、天の川はおもに詩や物語の題材となっていた。

天の川にまつわる物語として馴染みがあるのは「七夕伝説」だろう。

七夕伝説は、天の川で隔てられた織姫(ベガ)と彦星(アルタイル)が、1年に1度会うことができる物語である。中国で誕生し、日本に伝わってきた。

日本版の七夕物語は、『御伽草子』に収録されている「天稚彦草子」に書かれている。ラストシーンは印象的だ。

天稚彦(彦星)の父鬼が娘(織姫)に対して「“月に一度”なら会ってもいいぞ」と付き合いを認めてくれたのを、娘が「なんですって! 1年に一度だけ!?」と聞き間違えてしまったばかりに、逢瀬が年1になってしまったのだ。

人の話は、どんなに鬼みたいなやつでも、ちゃんと聞いておいたほうがいい、という教訓なのかもしれない。

いまでは七夕は、誰が何と言おうが好き勝手に願掛けするイベントとして親しまれている。でもせっかくやるなら旧暦の7月7日にしたほうがいい。理由は2つある。

1つ目は、単純に天気の問題だ。
現在の暦の七夕だと梅雨に重なる。7月7日が快晴だった記憶はそう多くはないだろう。旧暦の七夕は、8月上旬~中旬にあたる。

2つの目の理由は、月の形である。
旧暦は、月が新月になる日を1日としている。この日から「月が立つ」ので「ついたち」という。すると、旧暦の7日はほどよく膨らんだ上限の月になる。これは舟だ。この舟があるから、天の川を渡って、2人は出会えるのだ。

旧暦で7日ごろの上弦の月=NASA's Scientific Visualization Studio

月の舟で天の川を渡るなんて、洒落たイマジネーションだ。おっちょこちょいな姫が転覆せずに川を横断できるかは心配なところだが。

月を舟に見立てる発想は、万葉集にも見られる。

天の海に 雲の波立ち 月の船 星の林に 漕ぎ隠る見ゆ

柿本人麻呂(万葉集)

 「夜空の海に、雲が波のように立ち、きらめく星の林に月の船が隠れていく」という意味の歌である。おでこにタトゥーで刻みたいくらい素敵な歌である。

舟と言えば、三浦しをん氏の小説「舟を編む」(光文社)に、「辞書は、言葉の海をわたる舟だ」という印象的なフレーズがある。

ここからは舟を月から辞書に乗り換えて、言葉に注目してみよう。

「銀河」「天の川」は、読んで字のごとく、川(河)である。

夏の夜空に見える「白いもやもやの帯」を、川になぞらえて、日本では「天の川」、中国では「銀河」と呼んだ。輝く白を銀色で表すのは、まっ白な雪景色を「銀世界」というのと同じ感覚だろう。

このとき、もし「銀河」ではなく「白河」と名付けていたら、きっといろんなものが今とは違っていただろう。たとえば「白河鉄道999」だと、なんとなく、はんなりとしたメーテルと京都の寺を巡る旅の予感がする。

かのナスカでも「白いもやもやの帯」を川に見立てていたそうだ。この地域では、天の川の中にある、星が少なく暗く見える部分に、川にすむ生き物の姿を想像した。

天の川=getty images

一説によると、日照りが続いたときに、雨を求めて、天の川にすむ生き物を神様に見えるように地上に大きく描いたのが、「ナスカの地上絵」だという。

天文学的には、この暗い部分は、宇宙空間のガスや塵(ちり)が背後からの星の光を吸収して陰になっている領域である。暗い部分が際立つくらい地上からたくさんの星が見えていたのだろう。

何もない部分に、何かを見出す発想には、ぐっと心が掴まれる。

余談だが、筆者が生まれ育ったのは「田無」(現・西東京市)という地である。“田んぼが無い”と書いて「田無」だ。ないものを名前にするとは、なかなかのセンスである。

ふつうは、田んぼがあったら「有田」、森があったら「有森」、森も田んぼもあったら「森田」だろう。

田無の由来が、田んぼ以外はすべてあるという傲慢さの表れなのか、あるべき田んぼが無いことを揶揄(やゆ)された悔しさの表れなのかは知らないが、ないことに意味がある地元の名前に愛着をもっている。

ついでにもう少し寄り道すると、現在、筆者は広島の山(芸北)と海(尾道)の2拠点で活動している。

尾道から南に4つ目の島、愛媛県今治市の大三島には、大山祇(おおやまづみ)神社という神社がある。ここには、樹齢3000年、日本最古といわれるクスノキがある。

大山祇神社にある天然記念物「能因法師 雨乞の楠」=筆者撮影

「なんだか御利益がありそうだなぁ」と非科学的な思いを抱いて近づくと、天の川にまつわる歌が記されていることに気づく。

天の川 苗代水にせきくだせ 天降ります 神ならば神

能因法師

「あぁ神様よ、神様ならば、天の川の堰(せき)を切って、苗代(稲の苗を育てるところ)に雨を降らせてください」という意味だろう。

なんでも、大干ばつで百姓たちが困り果てていたところに、僧侶・歌人である能因法師がこの歌とともに祈りをささげると、伊予国で三日三晩雨が降り続けたらしい。

ナスカでも、大三島でも、天の川は生きるために欠かせない、遠くて、近い、神秘的で、現実的な存在だったのだろう。

一方、同じ「白いもやもやした帯」でも、まったく異なる捉え方をした人たちもいた。

和英辞書を引くと、「銀河=galaxy」「天の川=milky way」とある。さらに英英辞書を引いてみると、「galaxy」はギリシャ語の「galaxias(乳)」に由来するとある。「milky way」は直訳すれば「ミルクの道」だ。川ではない。

これは古代ギリシャに伝わる神話にもとづいている。

getty images

全知全能の神ゼウスは、人間と不倫をして、子をもうけた。その子を不死の体にしようと企んだゼウスは、自分の妻である女神ヘラが眠っている間に、彼女の母乳を吸わせようとする。しかし、赤子の吸う力が強すぎたため、ヘラは目を覚まし、赤子を突き飛ばしてしまう。このとき飛び散った母乳が、夜空のmilky wayとなった、という物語である。

ゼウスは全恥全悩というべきワルいヤツだ。じつは先に紹介したガリレオ衛星のイオ、エウロパ、ガニメデ、カリストは、みんなゼウスの浮気相手の名前である。赤子は「ヘラの栄光」という意味で「ヘラクレス」と名付けられた。

ルネサンス期には、ギリシャ神話の物語を題材にして、数々の絵画が描かれている。天の川の物語は、ティントレットの作品『天の川の起源』が有名である。

「天の川の起源」ティントレット、ナショナル・ギャラリー(ロンドン)

ということで、「銀河」と「天の川」は川、「galaxy」と「milky way」は母乳が語源であった。

さて、話も飛び散ってきたので、そろそろ、まとめよう。

冒頭で「『銀河』と聞いて、どんな姿をイメージするだろうか」と尋ねたが、科学のちょっとした歴史と、言葉のちょっとしたルーツをひもとくだけで、「銀河」のイメージに少し奥行きがでてきたのではないだろうか。

ふと思うのは、ここで紹介したような話をまったく知らずに「白いもやもやの帯」を見たら、いったいどんな風に感じたんだろうか、ということだ。

「銀河」も「milky way」も昔の誰かの独創的なアイデアだ。何も知らずに自分が名付けるとしたら、どんな言葉を選ぶだろうか。

答えを知る前に、考えることができたらよかったな。

まだ宇宙を知らない子どもたちには、自分の五感で自然に触れ、自分の言葉で自由に表現してもらいたい。そのためにも、科学が解き明かしちゃった知識だけだったら、そんなに急いで教えなくてもいいんじゃないのかな。

答えを教えずに自由に想像させてあげる。

想像力を煽り立てる自然の風景を大切にする。

大人が子どもたちに教えて養うときにしてあげるべきは、こういうことだろう。

「べき」とか言ってしまったけど、あくまでのひとつの考え方ということで。教養は、強要されるものじゃないだろうからね。

 

(朝日新聞社の経済メディア「bizble」で2021年11月3日に公開した記事を転載しました)