目次

  1. 「不老長寿の霊薬」 遊牧民の白い飲み物
  2. 数々の失敗の先に、成功につながる偶然が訪れた
  3. 「カルピス」の由来はサンスクリット語の「最上の味」
  4. カルピスウォーターが大ヒット 100年変わらない製法

若い世代なら「カラダにピース」、中高年なら「初恋の味」。

そのキャッチフレーズを聞けば、思い出とともに、何度も飲んだ甘酸っぱい味を誰もが思い浮かべるだろう。

大正生まれの超ロングセラー「カルピス」。

102年前の発売当時から、その製法はほぼ変わっていない。

20世紀初め。

「新天地をひらいてみよう」と、24歳で中国大陸に渡った青年がいた。

大阪の寺に生まれた三島海雲(かいうん、1878~1974)。

雑貨商となった三島は30歳の時、現在の内モンゴルに滞在。

長旅の疲れもあり、体調を崩してしまった。

カルピスの生みの親である三島海雲=いずれもアサヒグループホールディングス提供

そんな時、現地の遊牧民から白い飲み物をすすめられた。

「長くつらい旅のために、すっかり弱っていた胃腸の調子が、目を見張るばかりに整い、そのうえ、日ごろ苦しんでいた不眠症が全く治ったのである。身体、頭、すべてがすっきりして、体重も増え、それはあたかも不老長寿の霊薬にでも遭遇した印象さえ受けた」

カルピス社史には、当時のことがそう記されている。

 

白い飲み物は、牛や馬など家畜の乳を乳酸菌で発酵させた「酸乳」だった。

酸乳を毎日飲んだ三島は、胃腸の調子が良くなり、体調もすっかり回復したという。

13年間の大陸生活の後、日本に帰国した三島。

酸乳をヒントに、乳を発酵させた商品の研究を始めた。

クリームを乳酸菌で発酵させて「醍醐味」と名付け、1916年(大正5年)に商品化した。

翌年には、醍醐味の製造過程で残った脱脂乳を乳酸菌で発酵させた「醍醐素(だいごそ)」を発売。

さらに次の年には、乳酸菌入りの「ラクトーキャラメル」を発売した。

 

しかし当時は、こうした商品の原料となる牛乳の調達が難しかった。

また、暑さでキャラメルが溶けてしまうなど、なかなかうまくいかなかった。

 

数々の失敗の先に、成功へとつながる、ある“偶然”が起きた。

商品開発の過程で、醍醐素に砂糖を入れたものをしばらく置きっぱなしにしていた。

すると、発酵が進み、香りが高く、甘味と酸味のバランスが絶妙な飲み物になっていた。

 

三島は研究と試行錯誤を重ねた。

そうして、甘さと酸っぱさがほど良く調和した飲み物を開発。

日本初の乳酸菌飲料が誕生した。

新たな商品は、カルシウムの「カル」と、サンスクリット語で「最上の味」や「良い味」を意味する「サルピス」の「ピス」をあわせて、「カルピス」と命名した。

1919(大正8)年に発売された当時のカルピス

発売日は、1919年(大正8年)7月7日の七夕の日。

価格は、大瓶400ミリリットルで1円60銭。

当時は約170ミリリットルのラムネが8銭、180ミリリットルの牛乳が10銭で、カルピスはとても高価な飲み物だった。

それでも、新聞広告では「水で薄めて飲むから経済的」と宣伝。

健康を強調するため、発売当初の化粧箱には美を象徴する「ミロのビーナス」を描いた。

 

キャッチフレーズ「初恋の味」が新聞広告に登場したのは、発売から3年後の1922年のこと。

三島の知人が、「甘くて酸っぱいカルピスは初恋の味だ」と提案したのがきっかけだった。

おおっぴらに「恋」という言葉を口にするのは、はばかられるような時代。

その斬新さが話題を呼んだ。

1922(大正11)年の新聞広告。「初恋の味」のキャッチコピーが初めて登場した

おなじみの水玉模様のパッケージが登場したのも同じ年。

当時の宣伝担当者のアイデアで、七夕の日に発売されたことにちなみ、天の川の群星をイメージしてデザインした。

夜空のイメージのため、当初は青地に白の水玉模様だった。

1953年のカルピス。白地に青の水玉模様のおなじみのデザインになった

現在のような白地に青の水玉模様になったのは戦後のこと。

「カルピスのおいしさや爽やかさを表現しました」

現在、「カルピス」のブランドマネジャーを務めるアサヒ飲料マーケティング本部マーケティング二部乳性グループリーダーの田中孝一郎さんはそう話す。

 

戦後のヒット歌謡曲「銀座カンカン娘」では、《カルピス飲んで カンカン娘》《初恋の味 忘れちゃいやよ》と歌われた。

1964年(昭和39年)の東京オリンピックでは、選手村でカルピスが提供され、各国の選手にも好評だったという。

それが一つのきっかけとなり、1966年に台湾で発売を開始。

現在は約30の国と地域で「カルピス」ブランドの製品が販売されている。

カルピスは長い間、水で割って飲むコンク(濃縮)タイプが主流だった。

そのまま飲めるストレートタイプの「カルピスウォーター」が登場したのは、ちょうど30年前の1991年のこと。

自動販売機やコンビニでは、お茶系の飲み物や清涼飲料水が続々と売り出されていた時代。

手軽に飲めるカルピスウォーターは大ヒットした。

水で割る手間がいらないカルピスウォーターは大ヒットした

このほかにも、フルーツ風味やカルピスソーダなどがあり、近年は「濃いめの『カルピス』」や機能性表示食品「カラダカルピス」なども人気だ。

「お客様を飽きさせないことが大事。そこから定番の商品に戻ってきてもらうという好循環を生み出したい」と田中さんは言う。

 

「カルピス」ブランドの出荷量は、ストレートタイプに換算すると、2009年からの10年間で約1.4倍の増加という驚異的な成長を記録。

販売数量は、2015年の3370万箱から2018年以降は4000万箱を超えて推移しているという。

近年のヒット作の一つ、カラダカルピス

カルピスを生み出した三島が掲げた四つの価値がある。

「おいしいこと」

「滋養になること」

「安心感のあること」

「経済的であること」

田中さんは「100年培ってきたブランドのイメージや価値を引き継ぐのが使命だと思っています」と力を込める。

 

カルピスは、みそやしょうゆ、納豆、チーズなどと同じ発酵食品だ。

国産の生乳を原料に、独自の「カルピス菌」を加えて発酵させるなどして製造する。

「時代にあわせて味は微妙に変えていますが、製法は発売当初から100年間、ほぼ変えていません」と田中さん。

カルピス菌は乳酸菌と酵母からなる微生物の集団で、秘伝のタレのように継ぎ足して受け継がれてきたものだという。

微生物がもたらす発酵という自然の恵みからつくられるカルピス。

三島の思いは、次の100年へと受け継がれていく。

(朝日新聞社の経済メディア「bizble」で2021年3月29日に公開した記事を転載しました)