目次

  1. 居酒屋のお茶漬けを家庭でも
  2. 商標登録していなければ、永谷園は……
  3. 時代が変わっても“変わらぬ味”を貫く
  4. 「企業=商品名」を連想させるデザイン
  5. コロナ禍でも支持された「安心感」

 「おいしいお茶づけを、家庭で手軽に楽しめたら」

 永谷園の創業者・永谷嘉男の思いから誕生した「お茶づけ海苔」は、今や累計270億食を超える大ヒット商品となった。

永谷園の「お茶づけ」レギュラーシリーズ(左から海苔、さけ、梅干、わさび、たらこ)=写真はいずれも永谷園提供

 1952年の発売以来、老若男女問わず愛され続けている理由について、マーケティング本部・業務統括室長の山川真史さんは「変わらぬ味を保ち、(歌舞伎の舞台などで使われる三色の幕をイメージした)定式幕のデザインを定着させたこと」だと語る。

 永谷園のルーツは江戸時代中期までさかのぼる。

 京都・宇治で茶業を営む永谷宗円は、15年の歳月を経て現在の煎茶製法に通ずる「青製煎茶製法」を生み出し、一般庶民でもおいしいお茶を楽しめるようになった。煎茶の普及に大きく貢献した功績から、永谷宗円は「日本緑茶の祖」と称され、現在では生家に隣接する茶宗明(ちゃそうみょう)神社にまつられているという。

 

 そんな永谷宗円の家系を代々受け継ぎ、8代目に当たる永谷延之助が東京の芝・愛宕町(現 港区西新橋)に茶舗「永谷園」を構えた。1905年(明治38年)のことだった。

 由緒ある京都のお茶屋が上京し、茶業を東京で広めていくなか、9代目の永谷武蔵(たけぞう)は茶業の傍ら、昆布茶やふりかけ、アイスグリーンティーなど、さまざまな新商品の開発に取り組んだ。中でも、刻み海苔や抹茶、食塩などにお湯をかけて飲む「海苔茶」の評判がよく、人気商品として愛されていたという。

永谷園創業者の永谷嘉男氏

 10代目の永谷嘉男(永谷園創業者)はアイデアあふれる発想で次々と新しい商品を生み出す父(武蔵)の姿を見て育った。

 一時期、第2次世界大戦の影響で看板を下ろすことを余儀なくされたが、終戦後に茶舗を再開した嘉男。アイデアマンの父に感化され、お茶を売るだけでなく代用しょう油や紙袋の販売など、さまざまな商売を手がけた。

 

 「みんなに喜ばれるような、一風変わったことをしたい」

 こうした思いが嘉男を突き動かしたのだ。

 

 しかし、いろんな商売に手を出すものの、なかなか長続きしない。嘉男は商売の難しさを感じていた。

 

 ある日、居酒屋でシメのお茶漬けを食べていたときのこと。

 「このおいしさをいつでも食べられたらいいのに……」

 そう思いを巡らせた。

 

 終戦からまもない当時、お茶漬けといえば、料理屋でしか味や見た目もいいものは楽しめなかった。おいしいお茶漬けを、もっと家庭でも気軽に楽しんでもらいたい。このように考えた嘉男はふと父の海苔茶を思い出した。

 「海苔茶をご飯にかければ、おいしいお茶漬けが作れるのでは」

  ここから嘉男の試行錯誤が始まった。

 海苔茶をベースに昆布粉・抹茶・塩・砂糖などの配合を研究していった。また、あられを具材に入れることで風味の香ばしさや歯ざわりの良さが加わった。

 永谷家の郷里である京都には、かきもちに少量の塩とお茶をかける「かきもち茶づけ」を食べる習慣があった。嘉男は、これをヒントにお茶づけ海苔にあられを入れることを考案したのである。

 

 こうして、「お茶づけ海苔」は1952年に完成した。そして完成後に、このあられが品質保持に重要な効果を発揮していたことがわかる。

 発売当初は現在のような密封性の高い包装資材がなかった。しかし、海苔や調味粉(緑色の粒)が湿気たり変色したりすることがなかったため、商品完成後にその理由を調べたところ、偶然にもあられが吸湿剤としての役割も果たしていたことがわかったのだった。

1952年に発売した「江戸風味 お茶づけ海苔」のパッケージ

 発売当初の商品名は「江戸風味 お茶づけ海苔」。価格は1袋10円で、当時の物価からすれば高額の商品だった。それにも関わらず、販売は好調で、幸先のよい出だしを切ることができたという。

 予想以上の売り上げから、個人商店で営むのには限界を感じ、1953年に嘉男は株式会社永谷園本舗(現 永谷園ホールディングス)を設立した。

 だが、お茶づけ海苔を模倣した商品が次第に市場へ出回るようになっていた。

1956年に「永谷園の お茶づけ海苔」へと商標登録した際の通知書

 経営への影響を懸念した嘉男は、1956年に「永谷園の お茶づけ海苔」へと商標登録を行った。

 「商標登録がされていなかったら、今の永谷園は存続していなかったかもしれません」。マーケティング本部の山川さんは、登録が果たした役割の重さをそう語る。

 こうして誕生した永谷園の「お茶づけ海苔」。嘉男は商標登録を機にブランドの重要性を再認識し、以後のマーケティング戦略における柱に据える。

 「永谷園=お茶づけ」というイメージを消費者に定着させるため、テレビCMのほか新聞広告などあらゆる媒体でプロモーション活動を展開し、商品と企業ブランドの認知を図っていったのだ。

 

 こうした取り組みが功を奏し、1960年代以降は売れ行きが安定するようになり、さらには1970年代のスーパーマーケットの隆盛によって販路拡大も手がけ、永谷園のお茶づけ海苔は家庭における定番品として親しまれるようになった。

永谷園の「お茶づけ」レギュラーシリーズ(左からさけ、梅干、わさび、たらこ)

 また、おにぎりの味から着想を得たという「さけ茶づけ」や「梅干茶づけ」、「たらこ茶づけ」なども次々と発売したことで、新しい顧客層の取り込みにも成功したのだ。

 お茶づけ海苔のファンを獲得し、家庭へ浸透させるためにあらゆるアプローチを手がけてきた永谷園。そんな永谷園のお茶づけ海苔がロングセラー商品である理由について、主に2つが挙げられるという。

 

 まずは“変わらぬ味”を大事にしていること。

 一般的にロングセラーと呼ばれる商品は、時代のニーズに合わせて商品の中味やパッケージを少しずつ変えることで、売上を上げていくことが多い。それは、時代とともに変化する消費者の好みや嗜好(しこう)に合わせ、商品をリニューアルしていかないと、時流からずれてしまうからだ。

 一方、永谷園のお茶づけ海苔は抹茶や海苔、あられといった素材自体がシンプルな組み合わせであり、かつ日本人の食卓における原点的なものである。だからこそ、素材そのものを吟味し、常に変わらぬ品質の商品を提供し続けたことで、「お茶漬けのパイオニア」としての不動の地位を築くことができたのだという。

 「他のほとんどの商品は、コンビニやスーパーでPB(プライベートブランド)が売られていますが、永谷園のお茶づけ海苔に類似するようなPBはあまり出回っていないんです。変わらぬ味を追求してきたことで、唯一無二のポジションを確立できたと思っています」(山川さん)

 もう1つの理由は、「企業=商品名」というブランドイメージの醸成ができたこと。

 嘉男は江戸の情緒を意識し、好きだった歌舞伎の定式幕になぞらえた縞模様のデザインを考案した。パッケージには「黄・赤・黒・緑」の色を施し、文字は歌舞伎の看板に使われる勘亭(かんてい)流をアレンジしたものを採用。嘉男自身が手書きで書いたものが、今でも元になっているそうだ。

「お茶づけ海苔」現行品のパッケージ。今と昔でもほとんどデザインが変わっていない

 時代が進むにつれ、商品の包材は防湿効果をより高めるために包装素材を変えたものの、1956年当時からの定式幕のデザインイメージは全く変わっていない。

 お茶の間へと普及させるために、時代に合ったタレントを起用したテレビCMや、大相撲における懸賞金のスポンサーなど、定式幕のデザインが消費者の目に触れるたびに「永谷園=お茶づけ」が想起されるように創意工夫してきた。それが国民食と呼べるくらいのロングセラーにつながったのかもしれない。

 コロナ禍で内食化が進んだことにより、お茶づけ海苔の需要はさらに高まっている。

 特に2020年の緊急事態宣言下では、「間違いない商品を選びたい」という消費者心理が働き、家庭の定番商品として愛されるお茶づけ海苔を手に取る消費者が目立ったという。新商品が売りづらい状況のなか、ロングセラー商品ゆえの強みを発揮できたのだ。

 直近ではお茶漬けの喫食機会の創出を図るため、「めざまし茶づけ」と銘打ったコミュニケーションを展開し、子どもを抱える家庭に向けた訴求に取り組んでいる。

2020年9月から行なっている朝の新習慣「めざまし茶づけ」の提案

 お茶漬けは忙しい朝でも短時間で準備でき、食器の後片付けも簡単だ。お茶漬けを朝ごはんに食べるというシーンを喚起し、習慣化を促すことで、新たな需要の掘り起こしをしていくという。

 

 そして、永谷園のお茶づけ海苔は2022年に70周年を迎える。節目に向け、山川さんは「お茶づけ海苔の魅力や価値を改めて伝えられるよう、尽力したい」と抱負を述べる。

 「コロナ禍という1つの有事で、これほど日常生活が崩れてしまうのを実感しました。70周年を迎えるにあたり、お茶づけ海苔の持つ変わらないおいしさに加え、『ほっとする』や『心温まる』といった情緒的な価値も伝えていければと考えています」

 

 新型コロナで脅かされた日常に、安心感をもたらしたロングセラー商品。どんな時代を迎えようとも、日本人にとって馴染み深く、心を寄せることができるものは廃れることはないだろう。永谷園のお茶づけ海苔は、いつまでも家庭の食卓にあり続けるに違いない。

 

(朝日新聞社の経済メディア「bizble」で2022年1月18日に公開した記事を転載しました)