目次

  1. 「10年続く商品を」 創業社長の号令がきっかけ
  2. ポキッと折れるから「ポッキー」に
  3. 大ヒットの裏に「山口百恵×三浦友和」のカップルら
  4. 世界に広げる「happiness」のシェア

世界中で親しまれている、日本を代表するお菓子といえるだろう。

目の前にあると、ついつい手を出したくなる江崎グリコ(大阪市)の「ポッキー」。

英語表記でも「Pocky」だ。

小腹がすいたときのお供に、子どもがぐずったときの隠し玉に、唇に挟んでポキリ。

不思議と笑顔がこぼれる手軽なスナックは2021年、発売から55年を迎えた。

ポッキーの基幹商品であるチョコレート味の赤箱=江崎グリコ提供

ポッキーの発売は1966(昭和41)年のこと。

旗振り役は江崎グリコの創業者で、当時は社長だった江崎利一氏。

今も店頭に並ぶビスケットの「ビスコ」や、グリコのキャラメルに続くヒット商品の開発を命じたことがきっかけだった。

 

江崎グリコの創業は1922(大正11)年。

「文化的滋養菓子」「栄養菓子」としてキャラメルづくりを手がけたところからのスタートだった。

ビスケットにも幅を広げ、1930年代には当時、日本の支配下にあった中国東北部、満州の大連にも工場を建設。

早くから海外進出にも挑戦した。

 

NHKの朝の連続テレビ小説「おちょやん」の舞台になった大阪・道頓堀に大きなネオンの看板を掲げ始めたのは1935(昭和10)年のこと。

だが、戦時中の空襲で東京や大阪の工場は焼失し、戦後は国内外の工場、資産をすべて失うゼロからの再出発を強いられた企業だった。

大阪・道頓堀を象徴する江崎グリコのネオン広告=朝日新聞社

ポッキーへの挑戦は発売の2年前、1964年ごろが始まりという。

当時、江崎社長が開発現場に下した号令は、とても厳しいものだった。

「10年間は売れ続けて、年間の売上高が10億円になる基幹商品を開発せよ」

「ライバルの強力な商品とはまともに競うな。今ある機械では作れないもの、工場を困らせるものを考えろ」

チョコレートと言えば「板チョコ」が主流の時代。

そこで開発陣が目指したのは、世界で初めての「スティック状チョコレート」。

原型が完成したのは1965年。

当初はスティックをすべてチョコで包み、1本ずつ銀紙で巻く案も検討したが、持つ手が汚れるうえ生産効率が悪く、コスト高になるため見送りになった。

 

試行錯誤を重ねて行き着いた先は、持ち手の部分にはチョコを塗らないアイデア。

一見、単純な発想だが、世間からは革新的、先進的と評価され、お菓子の新たな楽しみ方をお茶の間に広げる大ヒットにつながった。

 

てくてく歩きながら食べてもらえれば、という期待を込め、試作品段階の商品名は「チョコテック」だった。

だが、ポキッと折れるリズミカルな食感を強調した方がヒットにつながるとの意見を採用し、「ポッキー」に決まった。

1976年に発売したいちご味のポッキー=朝日新聞社

期待を裏切らずポッキーは1966年の発売当初から飛ぶように売れた。

価格は郵便はがき代が7円(現在は63円)という時代に1箱60円。

チョコ以外の味への要望が強まり、1971年にはアーモンドポッキー、1976年には子どものファン獲得を狙っていちごポッキーも発売。

それぞれ江崎グリコを代表する人気商品になった。

ウイスキーやワインのお供としての相性が良さをアピール=江崎グリコ提供

家族との団らんや友人、同僚らとのおしゃべりの場で分け合い、みんなで「ポキッ」を楽しんでという願いを込め、横型パッケージを手にもってシェアしやすい縦型に1974年から変更。

ウイスキーやカクテルのマドラーがわりにポッキーを使ってくれている飲食店があると営業担当者から報告を受けると、情報を逆手にとって「ポッキー・オン・ザ・ロック」という新たな楽しみ方を提案するなど暮らしのスタイルにも影響するように。

「あまおう苺(いちご)」や「夕張メロン」、「宇治抹茶」など、趣向の広がりに応じてバリエーションも増やし、長く愛され続けるロングセラー商品に成長した。

中国やタイで販売しているポッキーのバッケージ。中国向けは「愛の告白 百奇(バイチー)」=朝日新聞社

好感度アップにはテレビCMが大きく貢献。

1970年代には山口百恵さんが後に夫となる三浦友和さんと共演し仲睦まじい2人をとりもつ存在としてアピール。

その後も松田聖子さんや牧瀬里穂さん、森高千里さん、菊池桃子さんら若い世代に人気のトップアイドル、俳優を続々と起用し続けた。

さらに新垣結衣さん、石原さとみさん、仲間由紀恵さん、二宮和也さんらも登場した。

2021年のポッキーのCMに出演する宮沢りえさんと娘役の南沙良さん=江崎グリコ提供

いま、広告塔を務めているのは宮沢りえさんだ。

娘役のモデル、南沙良さんとの共演で、「きょうはポッキー何本分話そうかな」などと、家族団らんの脇役としてポッキーをアピール。

「分かち合うって、いいね!」

英語表記では「Share happiness!」。

江崎グリコが2015年から使っているポッキーのスローガン通りの雰囲気を体現する構成になっている。

ポッキーの英語表記は「Pocky」、中国語なら「百奇」(発音はバイチー)。

「Share happiness!」の志は世界で支持を広げている。

インドネシア・ジャカルタの高校でポッキーの無料配布を受け笑顔がほころぶ生徒ら=2013年12月、朝日新聞社

そもそも江崎グリコがポッキーで初めて海外展開を試みたのは1960年代末のこと。

最初の進出先は香港だった。

1970年にはタイに現地法人を設立し、1980年からはインドネシアにも商域を拡大。

 

その後もベトナムやフィリピンなどASEAN各国のほか、フランスやアメリカ、カナダ、中国、韓国などにも進出。

2021年現在で合計30か国・地域で愛される世界のブランドに成長している。

東南アジアなど暑い地域向けの商品はチョコの融点を高めに仕上げて溶けにくくする工夫も凝らしているのだという。

 

江崎グリコはポッキーだけの売上高や出荷量は開示していないが、ギネスワールドレコーズは昨年、「チョコレートでコーティングされたビスケット」ではポッキーが売上高がトップになり、世界記録を達成したと認定した。

そのギネス認定によると、2019年の全世界でのポッキーの年間売上高は5億8990万ドル。

円換算すると約640億円で、江崎グリコの同年のグループ全体の売上高(2881億円)の2割強に相当する規模だ。

 

コロナ禍が長引き、日本だけでなく世界中で外出自粛や在宅勤務、ソーシャルディスタンス(社会的距離)を強いられている。

だが、こんな苦しい日々が続くからこそ、大切な人や愛する家族、同僚との心のつながりを支え、沈みがちな気分を癒してくれる「Share happiness!」の志は支持を広げ続けるだろう。

「10年以上売れる商品」と指示した創業者・江崎利一氏の思いは、当初の期待をはるかに超えて世界中に羽ばたくことになった。

 

(朝日新聞社の経済メディア「bizble」で2021年5月17日に公開した記事を転載しました)