アポなし面接から入社 メルセデス・ベンツ日本 上野金太郎社長の20代
ビジネスの最前線で活躍するリーダーたちはどんな若手時代を過ごしたのか。さまざまな分野のリーダーに「若手時代をどう過ごしたか」「いま若手なら何をするか」を語ってもらうインタビュー企画です。
ビジネスの最前線で活躍するリーダーたちはどんな若手時代を過ごしたのか。さまざまな分野のリーダーに「若手時代をどう過ごしたか」「いま若手なら何をするか」を語ってもらうインタビュー企画です。
目次
大学卒業後、設立されたばかりのメルセデス・ベンツ日本に入社。その後、ドイツ本社への異動、ダイムラー・クライスラー日本の取締役などを経て、メルセデス・ベンツ日本の代表取締役社長を務める上野金太郎さん(56)。設立まもない日本法人で上野さんが担った仕事とは?
――大学卒業後、新卒でメルセデス・ベンツ日本に入社されました。入社の経緯を教えてください。
就職活動をするにあたって、もともとはテレビや雑誌といったマスコミ業界を志望していましたが、ある日、たまたま就活先企業の隣のビルに、メルセデス・ベンツ日本の名前を見つけたんです。
小学校でアメリカンスクールに通っていたので語学力があったこと、そして車やレーシングカーが好きでずっと車関係の雑誌社でアルバイトをしていました。そういうこともあり、そのまま吸い込まれるようにメルセデス・ベンツ日本の受付に飛び込みで行きました。ノーアポイントでしたね(笑)
メルセデス・ベンツ日本は1986年1月に日本法人ができたばかりで、私が就職活動を始めたのが同じ1986年8月。なので、日本法人ができて7ヶ月ちょっとくらいの時期でした。当時はまだマーケティング調査会社のような感じで、卸売といった本業が本格的に始まったのは1987年に入ってからでした。
私が飛び込みで面接に行ったときはまだ下準備の時期。私の社員番号は「43」なのですが、入社したときにはすでに最初の10人くらいはやめてしまっていたり、ドイツに戻っていたりしていました。半分が外国人で、30人ほどの小所帯でした。
採用までの面接は2回でしたね。最初の飛び込みとその後の役員面談。そのわずか2回で内定をいただいて、それで就職活動を終えました。なので就職活動自体は、結果的に2週間ほどで終えることができました。そこで終えてよかったのかどうかはわからないですが、こうして現在まで続いているので、ポジティブによかったと思いたいですね。
――アポイントなしで面接を受けられるものなんですか。
今思えば無鉄砲ではありますよね。35年前当時の外資系企業らしく、シーンとした感じの大きな受付があって、そこに受付の方がいるという雰囲気でした。そこに行って、面接を受けたいと受付の人に伝えると、ものめずらしそうに人事の方が出てきて……。何にしにきたんだ、という感じの顔をされましたね(笑)
――そうですよね。
それで私は名乗った後に、「採用していただけないかと思ってきました」と伝えました。そうしたら、人事部長の部屋に通してもらえました。勝手な想像ですが、飛び込みで来るなんてどんな学生だ? と、面白がって会ってくれたのではないかなと思います。
――上野さんのお名前、金太郎の由来は何なんでしょうか?
金太郎という名前は父親が決めたんですが、由来は父親からではなく母親から聞きました。父親はどうしても男の子がほしくて、生まれてきたら絶対に金太郎にする、と。ほかの名前の選択肢はなかったそうです。
理由は「人に覚えてもらえる」の一辺倒でしたね。別に金太郎のように強く、ということでもなく、人に覚えてもらえるような名前を、と。そう言っていた父親ですが、私をなぜかアメリカンスクールに入れまして。結局アメリカンスクールに入ると、金太郎という名前は逆に覚えづらいという状態でした(笑)
――その後、アポなしで受けた面接はどう進んだのでしょうか?
人事部長の部屋に通されて、30分ほど通常の面接のような形でお時間をもらいました。おそらくダメだろうなと思いながら帰ったんですが、帰った直後くらいに自宅に電話がかかってきて、「翌週に役員面談をするので来てほしい」と言われました。
2回目の面接は当時の副社長と人事担当の役員の2人。当時私が面接で言ったことは今でも覚えていて、「メルセデス・ベンツの商品の魅力は日本ではまだまだ伝わっていないので、私が世の中をメルセデス・ベンツでいっぱいにしたいと思います」というような趣旨のことを言いました。
その発言は自分にとっても十字架として、言ったことはきちんと守らないといけないと思いながら、輸入車の分野でメルセデス・ベンツを広げていくことを目標に進んできました。当時22歳の無鉄砲な何もよくわかっていない状況だったから言えたことでもある一方で、そういうことができるのが20代のよいところかなとも思います。
――入社して最初に配属された部署はどちらだったのでしょうか。
営業業務部という部署でした。営業といっても裏方が多くて、車の輸入から発注、通関の手続きまで、車を発注してから、お客様に届けるまで全体を見通すような、業務的な側面が多かったですね。そういった仕事を2年ほどやりました。ただそうすると、比較的会社全体の業務内容がわかるんですね。
現在は100人近くでやっている業務ですが、当時は3、4人でやっていました。そのなかで私が一番下っ端だったので、ありとあらゆることをやりましたね。今となっては、それが私にとっては非常によかったことだったんですが、当時は悩みでもありました。
ただ、当時の部長が、「上野は今いい仕事ができてるんだぞ」と。「いい仕事をしてる」ではなく「いい仕事ができている」と。
どういう意味かというと、こういう仕事をきちんとおさえていれば、将来いいことがあるということを伝えてくれていたんだと思います。会社の屋台骨は自分たちなんだということですね。
――20代にそうした会社全体を見渡すことができる部署での経験できたことは、その後のキャリアでも大きな影響がありましたか?
そうですね。会社の根幹でもあり、一番お客様と近い、販売店とも近いという意味で、「メルセデス・ベンツ日本は何をやって利益をあげているのか」がわかる部署だったと思います。車の需要を予測して台数を決めて、営業状況を加味して、不良在庫をつくらない。先入れ・先出しで、入ってきたものを事前に販売店にお知らせして、それに基づいた販売手法を使っていただく。
こうした流れ、メルセデス・ベンツ日本でやっているすべてのことを一番最初に叩き込まれたことは非常によかったです。近年はビジネスイノベーションが必要と言われますが、ビジネスとしてやっていること自体、本質的な部分ではあまり変わっていないと思います。
会社に入って35年経ちますが、やはり今でも最も頭に残っていることは20代での基礎ですね。自分たちは何で利益を得るのか、どういう価値を提供するのか、という本質的な部分をたたき込まれました。
――今振り返って、20、30代でチャレンジしたと思えることは何でしょうか?
入社して約3年経って、営業から広報に異動し、色々と楽しくやらせてもらっている20代最後の年に、急に「海外行ってもらうから」という辞令が出て、メルセデス・ベンツ本社があるドイツに行きました。
その異動が自分ではチャレンジだったと思います。30年近く前のドイツは今とは環境も違いますし、当然メールも携帯もありません。さらに私自身ドイツ語が話せない。案の定、仕事上の会話はすべてドイツ語で、生活習慣も違いました。当時夜の遅い時間や土日は一切お店がやっていませんでした。開いているのはガソリンスタンドと飛行場だけ。
そんな環境で、日本的な考えで朝から晩まで働いていたら、食べ物が手に入らないんです。だから、ドイツの生活システムに合わせないといけないんだということをまず学びましたね。環境の変化に対しての順応性を高める、という点について非常にチャレンジでした。
その後もドイツから帰ってきて、新規事業推進部に行ったり、顧客相談係をどうやってカスタマーリレーションシップマネジメントのような形にしてデータを分析するかだったり、まったく見当がつかない状態からゼロの状態から作り直す、という仕事に取り組みましたが、それもチャレンジだったと思います。
――38歳でダイムラー・クライスラー日本の取締役になるなど、リーダーシップを発揮する場面が多かったと思います。上野さんが考えるリーダーの役割は何でしょうか?
私自身、リーダーである、ということは特別に意識していないです。唯一のリーダー、キャプテン、社長、といった形が個人的には性に合っていないと思っています。やはり会社は組織であって、チームで仕事は進めるものです。1人の人間がただ独走するのではなくて、チームで働くときに勢いをつける人はみんなリーダーだと思っています。
もちろんみんなが同じ役割のリーダーだと、めちゃくちゃになってしまうので、統率をとるという意味での「リーダー」というポジションは必要だと思います。
ただ、そこまで大きくない会社であれば、やはりみんながリーダーとしての意識、自分で積極的に進めるという意識は、持ったほうがよいと思います。1人だけが独走するというリーダーの場合、ほかの人たちが「はい、次はなんですか」という形で完全なフォロワーに陥ってしまうこともあります。
加えてそうしたケースで、やり慣れていない人がリーダーをやると、行き過ぎたパワーハラスメントになってしまう場合もあります。なので日頃から、会社の目的とする方向に向けて、個々が大小にかかわらず、フォロワーではなくリーダーであることが肝心だと思っています。
当然、待ちの姿勢でやっていく、フォロワーになりすぎてしまうと、消極的になってしまう。日本では割と周りを見て、出しゃばらないことが良しとされることがありますが、何かしら発言する、物を申す、ということが大事で、どんどん発言していくことで色々な意見の交換につながっていくと思います。
私が感じるのは、日本人から見た外国人はひっきりなしに自分の意見を伝える印象です。日本人は割と静観して、いざというときに「それは違う」と否定に入ることがありますが、もっと積極的に色々なことを発言してもいいと思います。それは、おそらく何歳になったからとか、役職がついたからとか、ではなくて、発言する習慣がついていないと、そうした場面で発言をしていくことはむずかしいからだと思います。
ではどうすればいいのかといえば、常日頃から自分がやってることに積極的に関わって、自分事にしていく必要があります。そうすれば、的を射た発言ができるのだと思います。
――上野さんご自身をメルセデス・ベンツの車種に例えるなら何でしょうか?
気持ちとしては、最新の電気自動車「メルセデスEQ」ですが、実際の中身は会社に入社した頃に購入した「124」という今のEクラスの前形の車種でしょうか。
気持ちは新しいものに行こうとしていますが、35年前に会社に入って、自分のお金で買った車に乗っていた時代が今の自分自身をつくっていると思います。29歳のときにドイツに行くときに手放してしまいましたが、忘れられない車です。基礎がしっかりしている車なので、そういう意味でも、私自身、基礎をしっかりしておきたいという思いがあります。
20代で124に乗るのはとても身分不相応でしたが、中古で買って、私自身の若手時代を一緒に過ごしたという意味で、自身を例えるなら124です。
――今の20、30代に向けて伝えたいことは何でしょうか?
今の時代、20、30代で躍進している方がたくさんいると思います。一方でもし、今活躍できていない20、30代の方がいれば、まだその順番がきていないだけだと思ってほしいです。
チャンスは平等に与えられていて、そこで飛躍するか、ダメにするかは本当に自分次第。飛躍するには最後まであきらめることなくやるしかない、と私は思っています。私自身はあきらめなかったから、今こういう形で会社に残れていると思います。
悩むことはたくさんあると思います。でも、だからといって周りと群れるのではなく、しっかり自分をもってほしいです。意固地になる必要はないですが、バランス感覚をもったチームの一員か、異端児になって全然違うことを始めるものいいと思います。結局、人それぞれキャラクターや資質があるので、何が正解で、何が不正解ということはないですよね。
今やっていることを信じられなくなったら、それは続ける必要はないと思いますし、今やっていることがただ気持ちいいだけだったら、何かおかしいと思ったほうがいいと思います。私自身、世の中そんなに簡単にすべてが転がるとは思っていません(笑)
自分のやっていることをただ闇雲に信じるのではなく、しっかりと周りの状況をみながら、自分のやっていることを信じられるか。楽すぎないか。つらすぎないか。楽すぎてもおかしいし、つらすぎてもおかしい。そのバランスをしっかり考える必要があると思います。
20代ですべてが決まるわけでもないし、30代ですべてが決まるわけでもないです。ただやはり20、30代のときは、私が言うのも変ですが、50代になったときとは吸収力が違いますよ。きちんと勉強して、頭でっかちにならないで、現実に落とし込むことが大事だと思います。ここもバランスですよね。
まず会社に愛着をもつ、という考え方もよいと思いますね。会社のことなんてどうでもいいんだと思ってしまうと、なかなか普段の仕事を自分事にできない面もあるのではないかと思います。やはり自分が好きで入った会社であれば、愛着を持って、会社にしっかり貢献して評価されるというサイクルが大事です。それは上司の点数を稼ぐ、ということではなくて、これから長い会社生活も考えて自分の存在感を発揮する。
20歳そこそこで、会社に入ってみたけど全然違ったということはいくらでもあると思いますし、今の時代、転職もまったく悪ではない。1つの会社に居続ける、ということは少なくなるかもしれません。私はたまたま1社でずっと続いてきましたが、それ自体も良い悪いではないと思います。まだまだ人生長くて、20代であれば40年近くありますから、ずっと我慢するのもどうかと思いますし、まったく我慢できないのもどうかと思います。自分を犠牲にする必要はなくて、自分の人生だから、倒れるまで無理はしないことが大切だと思います。
上野金太郎(うえの・きんたろう)。56歳。1964年8月生まれ。東京都出身。早稲田大学社会科学部卒業後、1987年4月に新卒でメルセデス・ベンツ日本に入社。2003年ダイムラー・クライスラー日本取締役(商用車部門担当)、2007年メルセデス・ベンツ日本代表取締役副社長。2012年12月より現職。
(朝日新聞社の経済メディア「bizble」で2021年8月6日に公開した記事を転載しました)
おすすめのニュース、取材余話、イベントの優先案内など「ツギノジダイ」を一層お楽しみいただける情報を定期的に配信しています。メルマガを購読したい方は、会員登録をお願いいたします。
朝日インタラクティブが運営する「ツギノジダイ」は、中小企業の経営者や後継者、後を継ごうか迷っている人たちに寄り添うメディアです。さまざまな事業承継の選択肢や必要な基礎知識を紹介します。
さらに会社を継いだ経営者のインタビューや売り上げアップ、経営改革に役立つ事例など、次の時代を勝ち抜くヒントをお届けします。企業が今ある理由は、顧客に選ばれて続けてきたからです。刻々と変化する経営環境に柔軟に対応し、それぞれの強みを生かせば、さらに成長できます。
ツギノジダイは後継者不足という社会課題の解決に向けて、みなさまと一緒に考えていきます。