ダヴィンチの絵画はなぜ裁判沙汰になったのか 「みつめた」結果生まれたもの
「自分なりの視点」で世界を見つめ、「自分なりの答え」を生み出す“アート思考”がビジネスの世界で必要な力になりつつあります。美術教師の末永幸歩さんがアート思考を身につけるためのレッスンを展開します。今回から「みつめる」ことについて考えを巡らせます。
「自分なりの視点」で世界を見つめ、「自分なりの答え」を生み出す“アート思考”がビジネスの世界で必要な力になりつつあります。美術教師の末永幸歩さんがアート思考を身につけるためのレッスンを展開します。今回から「みつめる」ことについて考えを巡らせます。
こんにちは。美術教師の末永幸歩です。
みなさんは「みつめる」ということについて考えたことはありますか?
目の前のものに物理的に目を向ければ、それは「みつめた」ということになるのでしょうか?
あなたには「しっかりとみつめた」と言いきれるものはありますか?
そこで、今回から複数回にわたって、「みつめる」ということについて考えを巡らせたいと思います。
さて、今回ご覧いただくのは、誰もが知るといっても過言ではないルネサンスのアーティスト、レオナルド・ダ・ヴィンチ(1452-1519年)の作品です。
作品名は『岩窟の聖母』。
これは聖書の一場面を描いた作品で、中央にいるのはイエス・キリストの母「マリア」、右端には「天使」、右の赤ん坊が「イエス・キリスト」、左の赤ん坊は預言者「ヨセフ」です。
いかがでしょうか。
「美しく描かれた普通の宗教画」にしか感じられないかもしれませんが……
実はこの絵画、裁判にまで発展した問題作だったのです。
一体なにがあったのでしょうか。
ルネサンス以前の画家たちは、自分の好き勝手に絵を描いていたわけではなく、教会など「クライアント」からの受注によって制作していました。
ダ・ヴィンチの場合でも例にもれず、クライアントである教会から「なにをどのように描くのか」という詳細な指定がされていました。
しかし、先回りしてお伝えしてしまうと、ダ・ヴィンチは依頼主から求められていた一般的な描き方ではなく、「科学的にみつめたものを描く」という、当時ではあり得なかった方法でこの作品を描いたのです。
「絵画=宗教画」であった時代、画家たちは聖人をあえて無表情、かつ動きが少ない状態で描きました。生身の人間のような自然な表情や、動きのあるポーズを描くことはなかったのです。
一方で、現実には存在しないはずの、「光輪」や「後光」などを描きました。
14世紀初頭の次の絵画はその典型です。
当時は「キリスト教の世界観を象徴的に描くこと」が絵画の目的であり、「現実世界を正確に描写しよう」という考えなんてなかったわけです。
しかし、ダ・ヴィンチは違いました。
彼は、目の前に広がる世界を科学的に解明しようと、絵画にとどまらず、解剖学や天文学、航空力学など、多岐にわたる探究を繰り広げます。その詳細な研究ノートは、現存するものだけでも、なんと7000ページにも上ります。
この絵では、イエス・キリストには欠かせないとされていた「光輪」を描いておらず、イエスを現実にいるような赤ん坊として表現しています。
聖母マリアの表情も、聖人としてではなく人間らしい自然さで描きました。また、天使を描く際には「大きな翼」を描くのがお決まりでしたが、もちろん、実際には翼が生えた人間なんていないはず。
そこでなんと、背中に赤いマントを被せてしまいます。これなら「荷物を携えた人物」にもとれますよね。
「『みつめる』とはどういうことか?」に対するダ・ヴィンチの答えは、「科学的にみつめること」だったのです。
今でこそ当たり前である「科学的にみつめたものを描くこと」は、当時の人にとってはあり得ない描き方でした。
クライアントであった教会はこの作品の受け入れを拒み、裁判沙汰にまで発展したという事実がそのことを物語っています。
しかし、「科学的にみつめて現実世界を正確に描写する」という「ダ・ヴィンチの答え」がその後の絵画のスタンダードになっていったことは言うまでもありません。
ダ・ヴィンチが成し遂げたことは、「卓越したテクニックで描いたこと」ではなく、「科学的にみつめる」という、新しいモノの見方を生み出したことにあるのです。
さて、今回は「みつめる」ということについて考えました。
当時の人たちにとって、ダ・ヴィンチの出した答えが「あり得ないもの」であったことを考えれば、「科学的にみつめる」ことだけが、この問いに対する答えだとは言い切れないはずです。
「みつめる」とはどういうことなのか?
答えが1つではない問いについて考えを巡らせて、ぜひ「アート思考」を育んでみてくださいね。
(朝日新聞社の経済メディア「bizble」で2021年5月16日に公開した記事を転載しました)
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