目次

  1. 実物はグレー。でも描かれたのは真っ赤な大聖堂?
  2. 30枚以上描かれた大聖堂。理由は「一瞬たりとも同じ色は現れない」
  3. よく聞く「印象派」というネーミング。由来は皮肉だった
  4. 「色」ってなに? その疑問を掘り下げたモネ

こんにちは。美術教師の末永幸歩です。

物ごとを新たな角度で見つめ直す「アート思考のレッスン」。

今回は「印象派」のアーティストとして知られるクロード・モネのアート作品を通して「色」について考えていきたいと思います。

取り上げる作品は、19世紀末に描かれた『ルーアン大聖堂』というモネの名作。パリに実存する聖堂を描いた油絵です。

「ルーアン大聖堂」クロード・モネ、ポーラ美術館

この作品を見て、どう感じましたか?
今回はこの作品を「『色』ってなんだ?」という切り口で考えてみます。

さっそく、質問です。
この絵に描かれた実物の建物は、一体何色をしていると思いますか?

絵を見る限り「赤い建物なのかな」と思われるかもしれません。

しかし、実物のルーアン大聖堂は「赤い建物」ではなく、一般的に薄いグレーやベージュとされる色をしています。(ルーアン大聖堂の写真をご覧になりたいかたはこちらのHPでご確認ください)

では、モネは思いのままに、自由に、色を選んで描いたのでしょうか。

そういうわけではありません。
矛盾しているように感じられるかもしれませんが、モネは建物を実際に前にしたときに、自分の目に映った色を、「正確に再現しよう」と試みたのです。
 
一体どういうことでしょうか。

「実物のルーアン大聖堂はグレーやベージュの建物である」という見方は、「モノには固有の色がある」という考えからきています。

しかし、「物質的な色」は存在しません。色とは絶対的なものではなく、それを知覚する人の「認識」でしかないのです。

つまり、実物のルーアン大聖堂は「グレーの建物」ではなく、ありとあらゆる色として知覚することもできる物体です。

物体に光があたり、反射した波長を人の目が受け取ったとき、その人の認識として、”色が感じられる”という仕組みです。

ですので、正確にいえば、自分が見ている色と全く同じ色を他の人が見ることはありえないし、同一人物が見るものであっても、そのときの光の状態によって一瞬一瞬、微妙に異なる色を見ているわけです。  

モネが興味を抱いたのは、まさにそこでした。

「今私が見ている色は、私にしか感じられないのだ」

「光の状態によって、一瞬たりとも同じ色は立ち現れないのだ」

こうした色への興味から、モネはルーアン大聖堂の前に昼夜腰掛けて、まったく同じ位置から30枚以上の油絵を描き、自分の目に映る色を再現しようとしたのです。

いずれも「ルーアン大聖堂」クロード・モネ、左からマルモッタン・モネ美術館、ルーアン美術館、カーディフ国立博物館、ナショナル・ギャラリー(ワシントン)

モネの絵画に代表される「印象派」は日本でも人気の絵画ジャンルです。

そのため、「万人受けするような美しい絵」というイメージを持たれる方が多いのではないかと思います。

ですが、当初は称賛されるどころか、大きな批判を受けたといいます。

そもそも「印象派」というネーミング自体、実は皮肉が込められたものなのです。

モネの絵を見た美術批評家が、

「この絵はしっかりと仕上げられた作品ではなく、ただの印象を描いたに過ぎない」

と馬鹿にして、新聞記事のタイトルにした言葉が由来とされています。 

「モノには固有で普遍の色がある」と思われていた時代に、

「他の誰でもない、自分の目に映る色」

「光の状態によって一瞬一瞬変化する色」

を描こうとしたわけですから、当時の人には理解されなかったというのも頷けます。

モネは「色ってなんだ?」という疑問について考え続けました。

そうして行き着いた彼の描き方(=自分だけの答え)は、

「そのものの固有の色で描く」

という従来の絵画の常識をひっくり返すものでした。

モネの絵画は、単に綺麗だから評価されていたわけではなく、彼自身の疑問を掘り下げた結果生まれた作品の革新性ゆえに、生誕180年以上経つ現在に至るまで評価されているというわけなのです。

モネが向き合った「色ってなんだ?」という問いに、正解はありません。

当たり前を疑い、答えが一つではないものごとについて自分なりの答えをつくってみる――。これが、「アート思考」の本質です。

みなさんもぜひ、「色ってなんだろう?」という問いについて考えを巡らせ、自分なりの答えをつくってみてくださいね。 

 

(朝日新聞社の経済メディア「bizble」で2021年4月16日に公開した記事を転載しました)