目次

  1. 祖父のひざの上で接客した幼少期
  2. 継ぐか継がないか 転機は夫との出会い
  3. 「石川メリヤスらしさ」見つめ直す
  4. 意地、焦り、気負いが消えた理由
  5. 看板商品「ラブヒール」を刷新
  6. 無縫製マスク、ホイール磨き手袋……次々ヒット
  7. 事業規模より「会社の中身をよりよく」

 西三河地方(愛知県中部)では、戦前から繊維のリサイクルが盛んでした。繊維が貴重だった時代です。糸を作る過程で出るくず綿や、工場で余った糸や布を再び綿に戻して糸にする特殊紡績(特紡)が発達したのです。

 石川メリヤスは1957(昭和32)年、特紡糸で「サイコロ印」の作業用手袋を作ることから事業を始めました(会社設立は1962年)。大宮さんは3人姉妹の長女として生まれ、祖父の代から続くニット工場の2階で育ちました。

 4~5歳の頃は、祖父のひざの上で接客をし、愛想を振りまいていたそうです。中学の卒業アルバムに書いた将来の夢は「石川メリヤスを世界に羽ばたく企業にしたい」でした。

 「いま振り返ると、壮大な夢ですよね。家業を継ぐことも真剣に考えておらず、何となく頭の片隅にある感じでした」

 高校生になると、いろいろな可能性を追いかけたくなり、上京して一橋大学商学部に入学します。

工場を動き回ることが多く、普段あまり座らないという社長室の自席

 大学時代の居酒屋のアルバイトは「天職だ」と感じたといいます。ちゃきちゃきした身のこなしに、気っ風のいい人柄。

 「根っからの商売人なんです」

 就職活動は氷河期まっただ中。マスコミに憧れ、広告代理店やテレビ局などを受けたものの全滅。たまたま再会した先輩の勧めでOG訪問した総合商社に就職しました。

 商社なら商売のいろはを学べる、いつか家業を継ぐにしても万全――。そんな思いがありました。

 その後、いつか家業に入ることを念頭に、25歳で退社。「世界の工場」として存在感を高めていた中国で学ぼうと、つてを頼って現地の衣料品製造工場で半年間働きました。

 そして帰国後の2005年、石川メリヤスに入社します。27歳の時でした。

 入社後も、社長として家業を継ぐ決心はついていなかったといいます。最初の2~3年は営業に取り組みました。相対するのは、繊維業界の第一線で働いてきた男性たちです。

 「最初のうちは『お嬢さんに何ができるの?』という雰囲気がありました。悔しいですが、経験値が全く違います。『この人たちには勝てない』と感じました」

 そのころ厳しく当たられた人たちが、今では大宮さんの応援団だといいます。ただ、当時はがむしゃらにやるしかありませんでした。事業承継について深く考える余裕もなかったのです。

 2008年、30歳になっても社長になる覚悟は決まりませんでした。「独身のまま会社を継ぐのか? もし結婚したい人ができても、家業が障害になって結婚できないのでは?」と不安が募りました。

 そんな娘を見かね、父で2代目社長の君夫さん(68)は会社を手放すことを決めました。近くの同業者を集め、事業売却を打診します。結局、石川メリヤスの事業規模が大きすぎ、受け入れ先企業がうまく吸収しきれないため、身売り話は立ち消えとなりました。

 このままでは廃業するしかありません。子どもの頃から慣れ親しんできた「サイコロ印」の手袋や工場がなくなってしまう――。そんな時、転機が訪れます。夫との出会いです。

 フリーライターの夫は自由な感覚の持ち主で、大宮さんの家業について「おもしろがってくれた」といいます。

 「『フリーランスは収入が不安定。妻に安定収入があるのはありがたい』という気持ちも夫にはあったようです。私としても、夫に引け目を感じるのは嫌だったので、彼がそう感じてくれるのはありがたいことでした」

 都会育ちの彼からの要望はただ1つ。JRの主要駅の近くに住む、ということでした。2012年、結婚と同時に賃貸マンションを借り、実家の工場へ通勤する日々が始まりました。家業に理解のあるパートナーを得たことで、事業継承への壁はほぼ消え、大宮さんが社長になることは社内で暗黙の了解となります。

広報担当の夫が中心となり、2019年から制作・発行しているマガジン「サイコロ」

 結婚から4年後の2016年、大宮さんは39歳で社長に就任します。広報担当の夫はライターとしてのスキルを生かし、会社の理念や大宮さんの思いを発信する業務を担っています。

「社長の妻とフリーランスの夫、すごくいいバランスで『最強』かもしれません」と大宮さんは笑います。

 繊維業界でも女性経営者は増えつつありますが、大宮さんが就任した6年前、女性社長はひときわ珍しい存在でした。あいさつ回りでは、取引先から何度か「女性らしさではなく、あなたらしさを出していけばいい」と言われたといいます。

 しかし、最初のうちは悶々(もんもん)とした日々が続きました。決算や財務、資金繰りの実権は父が握ったままで、「3年間は俺のやることを見とけ」と言います。いきなり1人でできないことは分かっているけど、もっと任せてくれても――。

 「でも、それも時間が解決したんです。祖父が突然亡くなって、引継ぎもなく事業を継いだ父は大変な思いをしたそうです。私に同じ苦労をさせたくないという親心だったんですね。父のやり方をじっくり見られてよかった、と今は思います」

 就任2年目あたりから、少しずつ「自分らしさ」を出す挑戦が始まりました。

 石川メリヤスは製品の品質に定評があります。しかし、より多くの顧客に商品を届けるには、何かが足りないと感じました。そこで「石川メリヤスらしさ」を打ち出したブランディングに取り組むことにしたのです。

 取引先が顧客に伝えたくなる「石川メリヤスらしさ」とは何だろう――。それをはっきりさせるには、自社の強みを洗い出し、何を打ち出すか取捨選択する必要がありました。「自社を見つめ直す、いいきっかけとなった」と大宮さんは振り返ります。

 祖父の代からのモットーは「使う人のためのものづくり」です。実用性や機能性に優れた製品を開発・生産してきました。

 原点にあるのが、創業した1957年に発売した「サイコロ印」の作業用手袋(軍手)です。プロに愛されてきたロングセラー商品で、使い捨てが前提の安価な製品とは、使い勝手も耐久性も異なります。

 1双660円(税込)からと安くはありませんが、プロ仕様の製品を使ってみたいという需要はあるはずだと考え、一般向けの展開を決めました。パッケージを一新し、2020年に発売しました。

 用意したのは用途ごとに7種類。手首の裾部分の色は種類ごとに分け、帯パッケージには主な用途のイラストを入れました。

鉄工所などで愛用されてきたサイコロシリーズで最も厚手の「No.1」。バーベキューやキャンプにぴったり(石川メリヤス提供)

 「石川メリヤス=使う人のためのものづくりをする工場」というブランディングの方向性が定まると、大宮さんの中から妙な意地や焦り、気負いなどが消えていったそうです。

 自社を見つめ直し、何が大切か分かりました。それは、祖父と父から受け継いだ「サイコロ印」のブランドを守ることでした。「変えてはいけないこと」が決まると、おのずと「変えなくてはいけないこと」も見えてきたといいます。

 石川メリヤスの売上高は2014年度以降、6億円前後で推移しています。その7割を占めるのが、約50社と取引のあるOEM(相手先ブランドでの生産)と、需要の底堅い定番商品です。

 定番の1つが、1993年発売の看板商品「ラブヒール」です。「カカトを潤し足元から温める」とうたい、最盛期には年100万足を生産。今でも年20万足が売れる人気商品です。先代の君夫さんが苦労して開発しました。

 2016年に社長を継ぐ際、君夫さんには「ラブヒールは死んだと思って、新しいことに取り組め」と言われたそうです。しかし大宮さんは「お客さまに支持されている限り、ラブヒールにはまだまだ可能性がある」と2019年にパッケージを一新。色は17色から12色に絞り込みました。

 以前は黒、グレー、エンジの3色が売れ筋だったのに、どういうわけか、それ以外の色も売れるようになりました。全体の販売数も微増しました。

 また、作業用手袋しか扱っていなかった問屋が、ラブヒールも売ってくれるようになりました。「50年以上お付き合いしている軍手の工場が、こんな素敵な靴下を作っている!」というPOPを掲げてくれ、よく売れたそうです。

根強い人気のラブヒール(税込み2200円)。「これがないと冬が越せない」という声もあるという(石川メリヤス提供)

 コロナ禍の2020年度は売上高が6億円を切りました。何とか乗り切ることができたのは、新たなヒット商品のおかげです。

 その1つがニットマスク。生地に凹凸が出るよう完全無縫製で編んだマスクは「呼吸しやすい」「肌に優しい」「長時間つけても気持ちがいい」と評判を呼びます。2020年春の発売から8か月で3万枚以上が売れました。

独自開発した無縫製のニットマスク(石川メリヤス提供)

 ニットマスクの成功を受け、次に挑戦したのが無縫製肌着ブランド「WHOLE KNIT」(ホールニット)の立ち上げです。

 無縫製の下着を全自動で編み上げるのは、島精機製作所(和歌山市)のホールガーメント横編機。どんな形の製品も、丸ごと立体的に自動で編み上げられるという超高性能なマシンです。

 石川メリヤスは従業員25人のうち20人が女性で、女性消費者の目線を持てることも強みです。女性幹部中心に機能やデザインを話し合い、社員にサンプルを配って意見を募集。試作と改良を重ね、2020年秋に発売しました。履き心地がよく、季節を問わず使えると評判で、自社ブランドとOEM分で2千枚以上を生産しました。

「WHOLE KNIT」の腹巻パンツ。完全無縫製のため、縫い目部分が肌に当たってかゆくならない(石川メリヤス提供)

 車好きの社員のこだわりから生まれたのが「ホイール磨き手袋」です。不思議な形をしています。

 車好きは、ホイールをピカピカに磨きたいもの。しかし、隅々まできれいにするのは意外と大変です。そこで思いついたのが、この手袋。長めに編んだ薬指と小指部分を、親指と人差し指でつまんで磨くなど、使い方は工夫次第。ありそうでなかったアイデアとして、テレビや雑誌に取り上げられました。

「ホイール磨き手袋」。薬指と小指の部分を思い切り長く余らせた珍しい形だ(税込み880円)

 編み機のデータを入れ替えることで、様々なデザインの製品を作れるといいます。製造可能なデザインの中で、いかに価値あるものを生み出すか、大宮さんたちは常に考えています。

手袋が数分で出てくる魔法のような機械

 製造業で避けて通れないのが設備投資です。石川メリヤスでは初代の頃から「事前に定めた毎年の減価償却額の範囲内で設備投資する」という考え方を守っています。

 設備の更新をやめれば、手元に残る利益は増えます。しかし、古い機械を使っていると、取引先に心配されたり、時代のニーズに応えられなかったり、という問題が起こるのだそうです。

靴下専用の機械が並ぶ工場。少しずつ機械を更新するため、新しい機械(手前)と古い機械が混在している

 2022年春には、3年ぶりに新入社員が入社しました。製造業の中でも繊維業界は、薄給で忙しいというイメージがあります。

 「そのイメージを変えたい」と大宮さんは言います。待遇を改善し、社員満足度を上げることも目標の1つです。

 中学の卒業アルバムに「石川メリヤスを世界に」と書いた大宮さんですが、今は会社を大きくすることが目標ではないといいます。

「ホイール磨き用手袋」を手に取材に答える大宮裕美さん

 「事業規模を追うのもいいですが、会社の大きさは維持しつつ、中身をよりよくしていくことも大切だと思うんです。この工場内でやれることには限界がありますが、その中で『やれることをやる』のが大事かなと」

 少し無理をしても会社を大きくしようと海外に出て、失敗した同業者も見てきました。現在の従業員数である25人くらいが、社長の目の届く範囲だと大宮さんは考えます。

 「一過性のはやりものを大量生産するより、本当に求められるものだけを作りたい。一時的にたくさんの注文をくれる会社より、利益率は低くても、長くお付き合いできる取引先を大事にしたいんです」

 「使う人のためのものづくり」という針路を再確認した石川メリヤス。次はどんな製品を、私たちに届けてくれるのでしょうか。