目次

  1. サラリーマン家庭にあこがれて
  2. バナナの価格低下で経営悪化
  3. 再びバナナ専門店に
  4. お客さん好みのバナナを提供
  5. 熟成バナナをジュース店に
  6. アナログにこだわる理由
  7. 逆風下で取り組んだこと
  8. 「さすが専門店」と言われたい

 同店は佐藤さんの祖父が1931年に創業しました。バナナ専門店にしたのは、横浜の港で初めてバナナを食べて感動し「もっと世の中に広めたい」との思いからです。65年に父親が2代目を継ぎました。

 現在、商社などを通じて1週間に約3万本のバナナを仕入れています。輸入元は主にエクアドル、台湾、フィリピンなどで、最近は沖縄などの国産バナナも入荷しています。

 売り上げは卸売りが7割で、取引先は館山市内の八百屋や道の駅、宿泊施設や千葉県内のスーパーなどです。小売店舗も構え、地元の人だけでなく観光客が買うことも多いといいます。

 店頭に並ぶバナナの値段は品種や熟成度によって差はありますが、フィリピン産は17本で1200円、台湾産は5本で700円、エクアドル産は14本で1450円などとなります。

佐藤商店の店頭に並ぶバナナ(同店提供)

 佐藤さんは子どものころ「バナナを売るだけで、どうやって生活が成り立っているんだろう」と不思議に感じていました。その頃はバブルに差し掛かる時代で、店の仕入れも売り上げも今よりずっと多かったそうです。

 ただ、学校で実家がバナナ屋であることをからかわれ、「バナナ」とあだ名で呼ばれることもあったといいます。家業が嫌と思う気持ちもあり、店の手伝いはほとんどしたことがありません。

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