コロナ禍で売り上げ30分の1に 昭栄3代目はかばん製作体験で再出発
兵庫県豊岡市出石(いずし)町のかばん製造販売会社「昭栄」3代目社長の坂井一樹さん(39)は2020年5月、国内最大規模というかばん製作体験施設を開館しました。工房を兼ねた施設ではオンライン動画による受注を可能とし、観光客に依存した旧来の販売方法からの脱却をはかっています。坂井さんはコロナ禍で社長となり、オーダーメイドの新しい形を模索しています。
兵庫県豊岡市出石(いずし)町のかばん製造販売会社「昭栄」3代目社長の坂井一樹さん(39)は2020年5月、国内最大規模というかばん製作体験施設を開館しました。工房を兼ねた施設ではオンライン動画による受注を可能とし、観光客に依存した旧来の販売方法からの脱却をはかっています。坂井さんはコロナ禍で社長となり、オーダーメイドの新しい形を模索しています。
目次
20年5月、「但馬(たじま)の小京都」と呼ばれる城下町の出石町に、かばん製作体験施設「かばん工房 遊鞄01(ゆうほうゼロイチ)」が開館しました。
面積は300平方メートル超。レザーバッグや革小物を専門とし、ミシン、革すき、刺繍、刻印、レーザー加工などに必要な機械や設備がそろい、来訪者は製作の全工程を経験できます。体験の平均価格は約1万4千円。安価で体験できる革小物(1100円)から、13万2千円に及ぶ本格的なかばん作りに挑んだ人もいたそうです。
「国内最大規模」という施設を開いたのが、かばん職人でもある坂井さんです。1960年に創業した家業の「昭栄」の経営を、2021年に引き継ぎました。
社員は7人(22年6月現在)。「職人全員がかばんを一から手作りできて、CADも使える」というエキスパート集団です。分業制が多いかばん製造業界で、職人全員がフルオーダーに対応できるケースは珍しいそうです。
坂井さんは信用金庫から約8千万円の融資を受けて土地を購入し、「遊鞄01」を建てました。一般的な工場と比べても見劣りしない設備や素材が整い、同業者が全国から視察に訪れています。
館内では壁の大モニターが目を見張ります。Zoomなどビデオ会議システムを利用し、世界中から完全フルオーダーのバッグの注文を請けられます。
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依頼主は館内にある多彩な革や糸、ファスナーなどをカメラで見ながら選択し、スタッフは指示に従って駆けまわります。
「4年前まで東京で働いていた妻とのやり取りはビデオ通話でした。オンライン動画の便利さ、伝えられる情報量の多さはわかっていました」
「遊鞄01」は体験施設とオンライン受注を可能とする工房を兼ねています。昭栄はこれまで既製品の販売やOEM(相手先ブランドによる生産)が専門でしたが、OEMを含めた製造部門は弟の辰徳さん(33)が別会社として独立。3代目の坂井さんは初めて一般からのフルオーダーを受ける体制を整えました。
ビデオ通話を使うことで、自宅からはもちろん百貨店など商業施設と工房を結ぶ非接触のオーダーメイドも可能になりました。オンラインによるフルオーダーは現在4カ月待ちです。
人気の理由の一つに、見積もりの簡易化があります。革の値段は同一とし、かばんの種類ごとに「1センチ○○円」というシンプルな算出方法で、依頼主が事前に金額をイメージできるようにしたのです。オーダーの平均価格は約11万円になります。
センチごとに料金が変わる算出方法は、兵庫県の経営革新計画に承認されるほどでした。「オリジナルのかばんをフルオーダーする楽しみを知ってもらうため、注文する際のハードルを下げたかったのです」
「遊鞄01」という施設名には、無の状態からかばんを生みだす「ゼロイチ」の楽しさを知ってほしいという思いを込めています。
画期的に見えるこれらのアイデアも、実はけがの功名といえるものでした。
「ビデオ通話を採り入れた当初の目的は、かばんの受注ではありません。インバウンドのお客様を呼び込むため、海外の旅行会社とオンラインで打ち合わせをしようと考えたのです。ところがコロナ禍で計画がだめになってしまって・・・」
当初は「遊鞄01」の2階をインバウンド向けの宿泊施設として計画していましたが、こちらも暗礁に乗り上げました。
コロナ禍の前、昭栄の年間売り上げは3億円でしたが、感染拡大による観光客の激減で売り上げは30分の1にまで下がったといいます。「インバウンド需要をとりこむ目的を果たせず、わらにもすがる思いだったのです」
坂井さんは祖父の代から続くかばん製造の家に生まれました。当時は工場と家屋が隣接し「工場は遊び場だった」といいます。しかし、会社を継ぐ気はありませんでした。
「父はいつも商談で出張、母は遅くまで仕事をしており、子ども心に『かばんの仕事は大変そうだな』と感じていました」
そんな坂井さんは23歳の時、2代目の父・栄喜さん(69)の胃がんをきっかけに家業に従事しはじめました。胃を全摘出する大手術で、弟の辰徳さんと昭栄を支えることにしたのです。
「父は良質な帆布バッグを『出石帆布』の名でブランド化し、かばんで地域に貢献した人です。父の想いを受け継ぐ気持ちでした」
坂井さんは、廃棄されるかばんを分解しながら構造を学び、かばんの設計や機械の使い方などを習得しました。
坂井さんが勤めたのは、昭栄の販売店「遊鞄(ゆうほう)」でした。店は観光バスの停留所のそばにあり、観光シーズンは土産物店として機能しています。
坂井さんは「かばん作りの楽しさを知ってもらおう」と、店の一角に体験コーナーをしつらえ、製作の指導にあたっていました。
体験コーナーを始めてほどなく、坂井さんは一般客から「かばんを作った気がしない」という不満を耳にします。
「体験と言っても、パーツをつなぎ合わせると簡単にできあがるように、事前に穴があけられた革を接合するだけでした。お客様の声を聞き、『ユーザーはもっと自由に作り、世界で一つしかないかばんを望んでいるのでは』と気がついたのです」
型が決まったかばんを量産して販売するだけではユーザーの心をつかめず、事業が先細るのではないかと、危機感を覚えました。
観光客に依存する経営方法も曲がり角でした。出石まちづくり公社によると、1995年には100万人超だった年間観光客数が、2019年度には約70万人にまで減少。かばんの売り上げもじわじわと下落傾向にあったのです。
「売り上げアップはもちろん、もっと多くの人に出石を訪れてもらうため、かばんで地域に貢献したい。そのためには『目的地になれる店舗』になる必要があります。独自のかばんを作りたい人が、わざわざ出石にやってくる新たな流れを生まなければと考えたのです」
同じころ、弟の辰徳さんが工場部門を系列会社化し、出石帆布の製造とOEMに専念することになりました。そのタイミングで、坂井さんは昭栄を「体験とオーダーメイド」の会社へと転換させるべく一気にかじを切ったのです。
「観光客が減る半面、リピーターのお客様のご要望はどんどん高度化していきました。事業を承継するとともに、本格的なかばん作りを体験できる施設の必要性を感じたのです」
こうして、坂井さんが立ち上げたのが「遊鞄01」でした。
「遊鞄01」でとりわけ話題となったのが「ランドセル製作体験」でした。革が単色なら10万円(税別)。2色の場合はプラス2万円というプランです。
ランドセルを自分で作ろうとすれば最低2日はかかります。坂井さんはランドセルの製作で出石の滞在時間が長くなり、宿泊や観光、飲食、買い物などに好影響を与えると考えたのです。
「祖父母や親が、子どもや孫のために世界にひとつだけのランドセルを生みだす。あるいはお子さん自身がランドセルを手作りする。そんな楽しい時間を出石で過ごしていただければうれしいです」
坂井さんがランドセル製作体験を考えたきっかけは、長男の翔(かける)さん(8)でした。翔さんが5歳の時、販売店で大好きなスパイダーマンをイメージしたランドセルを自作しました。その様子を見ていた来訪者の多くから「私もランドセルを作りたい」という声があがったのです。
翔さんは妹の帆海(ほのみ)さん(6)の入学祝いにも本革のランドセルを作り、テレビ番組で取り上げられました。翔さんは「将来はかばん職人になりたい」と話し、4代目を継ぐ意欲を見せています。
「私も弟もかばん作りの方法は職人の背中を見て覚え、息子も私を見て製法を理解しました。製作体験を通じて、出石にかばん作りの伝統を残していきたいです」
20年5月にオープンした「遊鞄01」は2年間で約6600人が利用しましたが、コロナ禍での船出は決して順風満帆ではありませんでした。
緊急事態宣言で観光地の店は休業を余儀なくされ、「大げさではなく観光客が誰一人いない状態に陥り、創業六十余年の中で一番の危機を迎えました」。
かばん製作体験のキャンセルは600人を超えました。事業承継した矢先に厳しい試練が待っていたのです。
「正直、私が承継してから売り上げがアップしたという実績はまだ生みだせてはいません。評価されるなら、コロナ禍の中でオーダーメイドを希望されるお客様によってどん底は免れたという点のみでしょう。2年間も耐え続け、やっと出発できるという気持ちです」
坂井さんが現在手がけている次の一手が、クラフトマンたちの宿泊施設です。
「遊鞄01」を日本中のものづくりに関わる人たちに利用してほしいと、近隣に土地付きの古民家を購入。坂井さん自ら造成と改修にあたっています。
「かばん業界だけでなく、全国の各ジャンルの技術者やアーティストに利用してほしいと思っています。私もさまざまな世界に触れて勉強がしたいため、宿泊や文化交流を可能とする場所を造っています。工芸の未来のために、体験しながら学べる場所が必要だと考えています。ゆくゆくはかばんづくりでコラボレーションや商品開発ができればと思います」
坂井さんはもっとも厳しい時期に事業を承継しながら、希望を見いだそうと努力し続けています。その夢はかばんにはちきれんばかりに詰まっていました。
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