目次

  1. 経営危機の会社を父が再建
  2. 「わたし、飛騨産業に入りたい」
  3. 工場の改善チームで試行錯誤
  4. 営業で採り入れた市場視点
  5. ブランディングを始めた理由
  6. 飛騨産業の未来を背負う言葉
  7. 全社員との対話で理解を求める
  8. 人の強みを引き出せる組織に
  9. 技術継承・人材育成にも注力

 飛騨産業は1920(大正9)年、中央木工として創業しました。町の有力者が資本金を出し合い、活用されていなかったブナの木を使った曲木家具の製作に取り組んだのが始まりです。

 岡田さんの曽祖父・肥吉氏は中央木工が解散に追い込まれたとき、新たな株主となり「飛騨木工」として再起するきっかけをつくりました。

 1945年に飛騨産業となり、岡田家以外が経営を担っていましたが、同社が一番苦しかった時期の2000年、父の贊三さんが社外監査役から再生請負人として社長に就任。生産工程の見直しや家具には不向きとされた杉の活用、若手職人の育成など、大胆な戦略でV字回復を成し遂げました。

 2003年からは一時下火だった海外事業も再開。イタリアの世界的デザイナー、エンツォ・マーリ氏と飛騨の木材を使った家具「HIDA」シリーズを製作します。イタリアの国際家具見本市「ミラノサローネ」に出展し、著名な工業デザイナー川上元美氏による「SEOTO」などを発表。日本のデザインと高い木工技術を表現しました。

川上元美氏がデザインした家具「SEOTO-EX」(飛騨産業提供)

 現在の売上高は約54億円。社員数は440人を超え、国内外から高い評価を得る家具を製作しています。森林資源への探究も重ね、未利用材の素材開発などの技術開発も牽引しています。

 岡田家は飛騨高山の文化を伝承・発展させてきた人たちを指す「旦那衆」と呼ばれてきました。岡田さんも幼少期から「岡田家を継ぐのよ」と言われて育ちました。

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