目次

  1. 大企業から町工場へ
  2. 改革は工場の整理整頓から
  3. 3社を続々とM&A
  4. 33歳で家業を率いる
  5. 半年かけて経営理念をつくる
  6. iPhoneケースが世界へ
  7. 医師と開発したアシストスーツ
  8. 任せられることが成長に

 ニットーは1967年、藤澤さんの父・秀行さんが横浜市内で小さな金型工場として創業しました。自動車関連を中心に様々な金型を手がけ、藤澤さんは1階に工場、2階が自宅という環境で育ちました。

 「父は直接的に継げとは言いませんが、継いでほしいというニュアンスは感じ取っていましたし、父がものを作って母が経理をして一生懸命働く姿を見ていました。いずれは継ぐんだろうと思っていましたね」

ニットーは大きな工場の一角に事務所スペースを併設しています

 藤澤さんは横浜国立大学工学部を経て、横浜市の大手メーカー・ニッパツに就職しました。

 ニッパツのバネは世界の自動車の4台に1台、HDDの半分に使われている世界トップシェアの会社です。藤澤さんは自ら希望し、新事業推進本部に配属されました。

 「セキュリティー関連のシステムを作り、電気関係のソフトウェア基板の仕事をしていました。小さい部署だったので若手でも色々任され、面白かったです」

 就職したとき10年くらいは働くだろうと考えていました。しかし、入社3年目に父親から「一緒にやっていた工場長が退職することになった。人手不足なので家業に来てくれないか」と誘われたのです。

(続きは会員登録で読めます)

ツギノジダイに会員登録をすると、記事全文をお読みいただけます。
おすすめ記事をまとめたメールマガジンも受信できます。