放漫経営で廃業も経験 一平寿し2代目が感じた「レタス巻き」の限界
「レタス巻き」を創作したことで有名な宮崎市の一平寿し2代目・村岡浩司さん(52)は、タリーズコーヒーのフランチャイズ経営など事業の多角化を進め、今では九州各地に飲食店を展開する「一平ホールディングス(HD)」の社長を務めています。飲食事業は新型コロナ禍で大打撃を受けましたが、事業再編と新たなブランディング戦略で、起死回生を図っています。波瀾万丈といえる村岡さんの事業承継と立て続けに進める事業展開の道のりを前後編でたどります。
「レタス巻き」を創作したことで有名な宮崎市の一平寿し2代目・村岡浩司さん(52)は、タリーズコーヒーのフランチャイズ経営など事業の多角化を進め、今では九州各地に飲食店を展開する「一平ホールディングス(HD)」の社長を務めています。飲食事業は新型コロナ禍で大打撃を受けましたが、事業再編と新たなブランディング戦略で、起死回生を図っています。波瀾万丈といえる村岡さんの事業承継と立て続けに進める事業展開の道のりを前後編でたどります。
一平HDは九州産の食材を使った「九州パンケーキ」の製造販売のほか、「九州パンケーキカフェ」など九州に八つの直営飲食店、国内外に五つのフランチャイズ店を経営。宮崎を拠点に幅広いビジネスを展開しています。HD傘下に二つの事業会社を抱えています。
グループの原点が、村岡浩司さんが2代目として生まれた宮崎市の「一平寿し」です。初代店主で村岡さんの父・正二さんが創作料理として「レタス巻き」を生み出し、宮崎の郷土料理として認知されるなど人気店となりました。
繁盛する店を切り盛りする両親とは「ゆっくり食事をした記憶がほとんどない」という村岡さん。小学生の時、店の2階にあった村岡さんの部屋に酔客が上がり込んで寝ていたこともあったといいます。そんな「職住隣接」の環境が嫌いで、店を継ぐことは「当時は全く考えていなかった」と語ります。
村岡さんは子どものころ吃音(きつおん)症に悩んでいたこともあり、高校時代は「早くここから逃げたい」とも考えていたそうです。
映画「スタンド・バイ・ミー」を見て、米国の自由な雰囲気にあこがれたことから、卒業前に「米国に留学したい」と両親に相談。すると「留学のことなどわからんので、これでなんとかしろ」と正二さんに現金100万円を渡されました。
2年で帰る約束で、コロラド州デンバー近くにある都市グランドジャンクションに旅立ちました。
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最初の半年間は語学学校、その後に地元の大学に編入しました。学費や寮費を支払うと、すぐ100万円が底をつきそうになったので、寮で出会ったアルゼンチン人の友人らとアルバイトを開始。家具や古着を仕入れて週末に「ガレージセール」で売っていましたが、このうちビンテージ・ジーンズの取引で一山当てるのに成功しました。
当時の人気車を買ったり、店を構えたりしたほか、大学の友人らと夜な夜なパーティーをするなど、「すごく羽振りが良かった」と村岡さんは振り返ります。
正二さんとの約束の2年が過ぎ、20歳になった村岡さんは、店の権利をアルゼンチン人の友人に譲り帰国しました。しかし家業を手伝うのではなく、ビンテージ・ジーンズなど古着を扱う店を開きました。
コロラド時代に培ったネットワークもあり、米国でジーンズを大量に買い付け、年に1億円近く売り上げるなど順調に展開。一時は宮崎市内に3店舗展開するほどでした。
金融機関から借り入れをし、扱う衣類を増やして規模を拡大しようとしましたが、過剰な在庫を抱えて収支が悪化。「それまでの放漫経営」(村岡さん)がたたり、3千万円以上の負債を抱えて廃業に追い込まれてしまいました。村岡さんが28歳の時でした。
村岡さんは廃業を手伝ってくれた正二さんに頭を下げ、一平寿しで働くことになります。最初の1~2年はほぼ厨房にこもり、仕込みや皿洗いなどの修業に耐えました。3年目くらいから板場に立つようになり、自ら握ったすしを客に出せるようになると、村岡さんは幼少期は「逃げたい」と思っていたすし屋の仕事の面白さを知ります。
「僕が握ったすしを楽しんで、お酒を飲んで、帰り際に『おいしかったよ、ありがとう』と言ってもらえるんです。こっちこそお代をもらって『ありがとう』なのに。こんなにやりがいのある仕事は他の業種ではないですよ」
2000年代に入ると、宮崎市内にも回転寿司チェーンが進出し、ファミリーレストランでも和食を安価に提供するチェーンが増えてきました。一平寿しも宮崎市中心部から少し離れた立地にあり、村岡さんは「このままでは経営はいずれ厳しくなる」と考えました。
1996年に発生した「O-157」騒動で、発生源とされたカイワレ大根が風評被害で全国的に売れなくなったことでも、危機感を持ちました。万が一レタスに「食の安全」にかかわる問題が起こると、看板商品のレタス巻きにも大きな悪影響が出るからです。
「何かもう一つ柱になるビジネスを興したい」。そう考えるようになった村岡さんが目を付けたのは、当時世界的に広がり始めていたコーヒーチェーンでした。日本にもスターバックスなどのブランドが進出し始め、「新しいカフェカルチャーは日本にも根付いていく」と予感したのです。
子どものころ、喫茶店が好きだった正二さんに週2~3回ほど喫茶店に連れて行かれて、コーヒーが好きだった影響もありました。
東京に行って複数のチェーンを試した結果、村岡さんはスターバックスのライバルだったタリーズコーヒーに的を絞ります。
タリーズ日本法人は当初、首都圏のみ、直営店のみの方針で、フランチャイズも地方展開はしない方針でした。それでも村岡さんは粘り強く交渉し、九州初のフランチャイズ権を獲得しました。
開店にあたって金融機関から融資を受けましたが、担当者は当初「本当に客が入るのか」と懐疑的でした。東京都内にあるタリーズの店で多くの客が並んでいる写真を撮って見せるなどして説得。2002年7月に1号店の「タリーズ宮崎橘店」をオープンしました。
すると、開店前から入店しようとする客の列が数十メートルでき、大勢であふれました。タリーズの日本国内の店舗では、それまでの1日あたりの最高記録を塗り替える売上高を記録したのです。
村岡さんはそもそも古着屋の事業に失敗して一平寿しに入った経緯もあり、父・正二さんには当初、タリーズの件を内緒にしていました。でも打ち明けると、「面白そうだな」と興味を持ってくれたそうです。
そして正二さんは、「(一平寿しのように)看板を上げ続ければ、いずれ地域になくてはならない店になる」とアドバイスしてくれました。
その頃、正二さんは前立腺がんが見つかり、入院しがちになっていました。それまで親子で店の承継をしっかりと話し合ったことはありませんでしたが、自然と村岡さん自身が一平寿しを取り仕切るようになりました。
一平寿しの運営法人の代表を交代することを告げるはがきを出す前の2005年1月、正二さんは72歳で他界しました。村岡さんが35歳の時でした。病床で「あとは頑張りなさい」と声をかけられたのが最後の言葉でした。
正式に一平寿しの代表となった村岡さんでしたが、月曜日から木曜日までの昼間は他の職人に一平寿しを任せてタリーズの経営にあたりました。そして、客数が多い金曜日から日曜日を中心に一平寿しの板場に立つ生活でした。
タリーズはその後、宮崎県と鹿児島県に計6店舗まで拡大。このうち都城店はコーヒー豆の売り上げで日本一になり、別の店も客数で九州一になったこともありました。2010年に村岡さんはタリーズジャパンの最優秀経営者賞を受賞しました。
順調に事業を成長させていた矢先、再び難局が訪れます。それが2010年3月に宮崎県で発生した家畜の伝染病「口蹄疫」です。
畜産県の宮崎は、約30万頭の牛や豚を殺処分に至る大損害が生じました。宮崎ナンバーの車が他県で追い返されるなどの風評被害も深刻で、県内外の人の流れがぱったりと止まってしまいました。
県内の飲食店も大打撃を受け、一平寿しやタリーズの売り上げも客数も激減しました。同じ年に県内で鳥インフルエンザも流行し、翌11年になっても東日本大震災後の「自粛モード」があり、グループの売り上げは低迷したままでした。
今後、地元宮崎だけの商売で戦うのは厳しいのでは――。村岡さんは九州全体で展開できるビジネスについて考え始めました。
この「オール九州」の発想の背景には、村岡さんが米国留学以来、頻繁に海外へ旅をした経験もありました。「宮崎から来た」と言っても外国人には理解してもらえないため、「日本には『九州』という大きな島があって、その南の方から来た」と紹介していたそうです。
スキーやグルメ目的で外国人旅行者の来訪も多い北海道が、「Hokkaido」として世界的にも知られていることも意識しました。
「九州は人口は1300万人を超え、面積も台湾と同じ規模の島です。『Kyushu』としてブランド化したいという思いが強くわき上がりました」(村岡さん)
「また第2の口蹄疫が来るのでは」という考えもあり、飲食店とは別に「売れる」商品を開発することにしました。風評被害で客足が止まった飲食店と違って、家庭でも食べてもらえる商品をつくりたいと考えたのです。
村岡さんはそのころ、東京に出張に行った際に、流行し始めていたパンケーキに注目しました。
いわゆる「ホットケーキ」ではなく「パンケーキ」。タリーズも、単なるコーヒーではなく「カフェ」として日本で普及したのと同じように、パンケーキもいずれ新しい食のスタイルになっていくと思ったのです。それが、その後ヒット商品となった「九州パンケーキ」につながります。
※後編では、九州パンケーキの開発秘話と、新型コロナ禍の苦境を乗り越えて、一平グループがどう新たなビジネスに取り組もうとしているかを紹介します。
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