目次

  1. 「材料と品質は下げるな」創業者の教え
  2. 誇らしかった幼少期「将来は社長に」
  3. 父がまさかの急逝、内閣府を辞め家業へ
  4. 売上はピーク時の半分「とにかくお金がない」
  5. 菓子作りの修行は必要? 15代沈壽官の助言は
  6. 休日返上で妻と行商、売上を見て愕然
  7. 販路拡大へ覚悟の値上げ、結果は……
  8. 「ラムドラ」に生かされた値付けの反省

 小麦粉と砂糖、鶏卵だけを合わせた生地に山椒(さんしょう)の葉、青のり、黒ごまがちょこんとのった、素朴なお菓子。これが梅月堂の看板商品「湯之元せんべい」です。

 梅月堂は1921(大正10)年、良さんの曽祖父にあたる石原輿助(よすけ)さんが創業しました。初代の口癖は「材料と品質は絶対に下げるな」。終戦後、同業者が次々と人工甘味料のサッカリンを使って営業を再開する中、「砂糖じゃなかややっせん(砂糖じゃないとダメ)」と言って2代目と共に土木作業に従事し、砂糖が手に入るまで店を開けなかったほどです。

梅月堂の創業者・石原輿助さん(梅月堂提供)

 初代は湯之元せんべいを1951(昭和26)年に開発します。その後、高度経済成長の波にも後押しされ、順調に売上を伸ばしました。

 創業時は間借りでスタートした梅月堂でしたが、1966(昭和41)年に工場を、1978(昭和53)年に店舗を新築します。工場は湯之元の温泉街で初の鉄筋コンクリート2階建ての建物となりました。

戦前から戦後にかけて使用していた配達用の木箱。ふたの裏には初代の謹厳実直さを象徴するような「正直」の文字が見える(梅月堂提供)

 当時の温泉街はにぎわっており、梅月堂には夜になっても温泉のお客さんと芸者さんがお菓子を買いにやって来ました。そのため、営業時間は朝7時から夜10時。お盆や年末年始には店舗の周りが車で渋滞し、店に苦情が来ました。

 「バイゲッドーんしは良かなぁ(梅月堂の人たちはいいなぁ)」。地域の人たちからそう言われるほど、梅月堂には若い従業員が集まり、待遇も良かったのです。

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