タンスに眠る着物がサムライアロハに 震災復興へ不屈の思いを込めて
サムライアロハ(仙台市)は東日本大震災を機に古物商の大黒屋を退職し、帰郷した櫻井鉄矢さん(41)が2015年に立ち上げたファッションブランドです。引き取り手のない着物をアロハシャツに仕立て直す――。サステイナブルな時代にふさわしい生産背景をもつサムライアロハには、世界からも熱い視線が注がれています。
サムライアロハ(仙台市)は東日本大震災を機に古物商の大黒屋を退職し、帰郷した櫻井鉄矢さん(41)が2015年に立ち上げたファッションブランドです。引き取り手のない着物をアロハシャツに仕立て直す――。サステイナブルな時代にふさわしい生産背景をもつサムライアロハには、世界からも熱い視線が注がれています。
目次
「古物商の仕事を通して知ったのが、着物の不当とも言うべき扱いでした。日本には2億枚の着物がタンスに眠っていると言われます。引き取り手のない着物がごまんとあり、売りに出せば二束三文で処分される。この着物にもう一度光をあてられないかと悶々としていたとき、アロハシャツの起源を知りました」
アロハシャツはハワイに移り住んだ日本人が着物をほどき、仕立てた開襟シャツがその始まりでした。
これは面白い――。櫻井さんはさっそく行動に移します。
アロハシャツに仕立て直すには、まずは反物に戻す作業が必要になります。地元の呉服店に相談したところ、1枚1万円で納期は1週間と言われました。これでは商売になりません。
いきなりつまずいた櫻井さんの耳に入ってきたのが子どもを抱え、働きたくても働けないお母さんたちの悩みでした。震災の爪痕が残る仙台では、保育園もろくに機能していなかったのです。
彼女たちの内職仕事にすれば一石二鳥だとひらめいた櫻井さん。第一関門はクリアしたものの、さらに大きな壁にはね返されます。縫製を請け負ってくれる工場がみつからなかったのです。
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着物にハサミを入れることはこの業界ではタブーでした。
「近隣の工場を何軒もあたりましたが、ことごとく門前払いされました。打つ手なしと頭を抱えたときに手を差し伸べてくれたのがビジネススクールで出会った福島の縫製工場のオーナーです。わたしがやろうとしていることを意気に感じてくれたようです」
櫻井さんによれば、状態が良くて、いまの時代に耐えうるファッション感度をそなえているものとなると50枚あって1枚あるかどうかとのことです。
えり分けてからの作業にも神経を使います。着物の柄はもとより着物を前提につくられています。しかも反物は幅が9寸5分(36センチ)しかありません。柄が映えるよう裁つのは骨の折れる作業なのです。どんなに工夫しても、1枚の反物からとれるアロハシャツはわずか1枚だそうです。
ボタンはアロハシャツのオリジンに敬意を払い、竹製のものを採用。残念ながら日本では手に入らなかったので輸入物を使っています。縫い代を包む折り伏せ縫いも見どころのひとつ。丈夫で肌触りも柔らかな始末で、シルクでこれができる工場は限られます。
苦心の末完成させたサムライアロハは2019年、フランスのレクレルールや伊勢丹新宿店といったトレンドをリードする店の売り場に並びました。
櫻井さんは仙台市で生まれ育ちました。
「子どものころに父が知人の連帯保証人になってうちは億の負債を抱えました。しばらくは内職で生計を立てていました。世の中はなんて理不尽なんだろうと自暴自棄になりそうな気持ちを必死に押しとどめて、はたと気づいた。頭の中だけは平等じゃないか、と」
「高2のときの偏差値は35。学年で下から8番目でした。でもくじけなかった。しゃかりきに勉強して、一浪して明治大学に合格しました」
卒業後は大黒屋に入社します。 「同級生は銀行や商社から次々と内定をもらっていましたが、せっかく入っても会社の歯車になってしまったらつまらないと考えました」
「自分が活躍できるところを選んだ」櫻井さんはそうそうに頭角を現し、大阪、新宿の店長を経て09年、28歳の年にフランチャイズ事業課の課長に抜擢されました。
「この業界でやっていこうと思えばジャンルを問わず鑑定する能力が求められます。わたしは貧乏な家庭で育ったせいか、高級なものに一切興味がなかった。おかげであくまで仕事としてものをみることができました」
鑑定力が買われて順調にキャリアを重ねるも、ある日を境に描いた夢は音を立てて崩れます。2011年3月11日、実家も両親が経営するデイサービスも津波に流されました。
「デイサービスは爪に火をともすようにして手に入れた両親のすべてです。憔悴する母をみて、このままにしておけないと思いました」
「看板を下ろす」と言う母を櫻井さんは励ましました。おれも仙台に戻るから一緒にがんばろう、と。
「故郷の思い出はつらいものばかり。東京に骨を埋める覚悟だったんですけれどね」
混乱する街に帰ったところでなんの保証もありません。生活の基盤とすべく、櫻井さんは古巣の大黒屋とフランチャイズ契約を結びます。
「状況が状況ですから、上司は二つ返事で退社を認めてくれました。わたしは震災で仕事にあぶれた弟と弟の友人を雇って、12年に仙台買取館を起業。古物商で日銭を稼ぎつつ、デイサービスの再興に邁進しました。国や県の支援もあり、震災から1年も経たないうちにオープンにこぎつけることができました。日々ぎりぎりの状態でしたが、このときばかりは胸をなでおろしました」
ほっとしたのもつかの間、櫻井さんに最大の危機が訪れます。経理ミスで仙台買取館が追徴課税を受けたのです。その額、890万円。現金資産は200万円しかありませんでした。
銀行はどこもけんもほろろでした。リストアップした最後の一行に断られたその日の夜、櫻井さんは仙台の街を泣きながらさまよいました。
「翌朝、疲れ切った体で会社に出ると、スタッフがわたしを待ってくれていました。彼らは『これを使ってくれ』と言って通帳を差し出しました。それは自宅の再建資金だったり、学資保険だったり、結婚資金だったりしました。結婚を間近に控えたスタッフは怒った彼女に通帳を投げつけられたと笑っていました」
危機を乗り越えた櫻井さんはいっそう仕事に励み、古物商もデイサービスも軌道に乗せました。古物商は現在、仙台市内に3店舗。22年度の売り上げは前期比30%あまり増え、8億円前後になる見込みです。デイサービスも3事業所を展開します。
「いずれもわたしの努力というよりも運によるところが大きい。ロレックスなどの時計や貴金属は軒並み値上がりしています。とても厳しく辛い現実ですが、(津波で)田畑が流された高齢者は生きがいを失い、ケアを必要とする人が増えました」
謙遜する櫻井さんですが、彼の商才を抜きにしてはこの成功はおぼつかなかったはずです。
仙台買取館の二つの店はメインとなる商店街の入り口と出口に構えます。来街者はかならず、櫻井さんの店の前を通るというわけで、刷り込み効果は申し分がありません。
3店目は中心街から離れた田んぼの中に出しました。こちらはそのエリアに暮らす、外出が億劫になった高齢者の支持を集めています。櫻井さんいわく「日本一立地の悪い」というその店だけで、年商2億円を売り上げるそうです。
土台を固めた櫻井さんはデイサービスを弟に任せ、サムライアロハに注力する方向へかじを切りました。
サムライアロハの推進力になった縫製工場経営者との出会いのように、櫻井さんは少しでも経営にプラスになりそうな機会を逃しません。「実績のない自分が商売を成功させようと思えば、表に出ていくしかありませんから」
この積極的な姿勢はさらなる幸運を引き寄せます。ほほ笑んだ女神は、アイリスオーヤマの大山健太郎会長でした。
会長の講演会があることを知った櫻井さんはおっとり刀で駆けつけます。じつは幼少時の内職の発注元はアイリスオーヤマでした。家族みんなで霧吹きの先端をつくっていたそうです。
「発言の機会を与えられたわたしはこれまでの顛末をお話ししました。内職で生きながらえたことも。会長は尋ねられました。『いまの君が欲しいものはなんだ』と。わたしは『信用です』と答えました。すると会長は『わかった。サムライアロハに出資しよう』とおっしゃられました。18年のことです」
大山会長の後押しを受けたサムライアロハはほどなく表舞台に躍り出ました。NHKの「美の壷」をはじめ、さまざまな媒体で取り上げられ、その名は全国区になりました。
浮上のきっかけは外部デザイナーを招聘し、デザインを刷新したことにあります。「会長に言われたんです。『お前はサムライアロハが好きか』って。『もちろんです』と答えたら、『だからお前はだめなんだ』とたしなめられました。満足したらその先はないということです」
櫻井さんはデザイナーの意見を採り入れて、パターンを引き直しました。「それまでのサムライアロハはお腹の出たわたしも着やすいゆったりしたものでした。パターンがコンパクトになって、わたしは着られなくなりました」。櫻井さんはおどけて言いました。
サムライアロハの現在の年間売り上げは1千万円弱。そのうち半分が海外です。
「コロナで300着がキャンセルになりました。これを補填しようと目を向けたのが海外でした。そのほとんどがSNSを使ったBtoCです。じつを言うと、レクレルールとの商売は500万円の赤字でした。委託契約ですから売れ残れば返品されます。誤算だったのは、この関税がべらぼうに高かったこと。出荷時の関税は下代(仕入れ価格)にかかります。ところが戻ってくるときには先方がつけた上代(販売価格)から算出されるんです」
ミラノコレクションからも誘いがあったそうですが、時期尚早と断念したそうです。
海外展開を本格化するにあたり、櫻井さんは扱うアイテムを拡大しました。
「あらたにパーカとTシャツを加えました。これらのアイテムは着物生地を部分使いしています。アロハシャツで出た端切れが生かせるのみならず、体の大きな欧米人にも着てもらえます。36センチ幅の反物でつくることのできるアロハシャツはXXLが限度なんです」
当面の目標は5千万円規模のブランドに育てること。「仙台には働きたくても働けないお母さんがまだまだいっぱいいます。彼女たちに継続してお仕事をお願いするにはそれくらいの規模が必要です」
着物文化の価値を向上させたいという思いもいっそう強くなっています。「洋服に生まれ変わらせることで海外の人々の目に留まる。手前みそながら、意義のある試みだと思っています」
ところが今でも年に数回は和装業界の方々から電話がかかってきます。電話の主は口をそろえてこう言うそうです。「着物にハサミを入れるなんて信じられませんわ」
「そういう閉鎖的な考え方が業界をだめにしているとなぜ気づかないのか。それに彼らは伝統、伝統と言うけれど、サムライアロハもきわめて伝統的ですよ。アロハシャツの起源に立ち返ったものづくりをしているんですから」
その先にあるのは東北の復興です。「東北はいま、深刻な人口減に悩んでいます。このままでは消滅しかねません」。櫻井さんは笑って続けました。「東京都民になるつもりだったのに片足どころか両足ずっぽり突っ込んでしまいました」
妻とは帰郷後の仙台で行われた明治大学のOB会で知り合いました。妻は大学卒業後、地元の建設会社に勤めていました。
「あるときふと漏らしたことがあります。『起業するんだったらあんなに苦労して大学にいかなくてもよかったかも知れない』って。そうしたら妻は『あら、わたしと出会えたじゃない』と言いました」
2人のあいだに生まれた男の子は今年、3歳を迎えました。陽太と書いて「はるた」と読みます。
「息子には東北を照らす存在になってほしいと思っています」
櫻井さんは思い出したように付け加えました。
「そうそう、サムライアロハのほうはもちろんサムライにあやかっています。サムライのように(わたしたち東北の人間も)不屈の精神で立ち上がるぞってね」
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