目次

  1. 子どものころから発明の素養
  2. 内装施工会社で修業
  3. ドアハンドルが突破口に
  4. 従業員の大多数が退職
  5. コンペの高評価で技術が広まる
  6. 海外で高く評価された花瓶
  7. シビアな現実を突きつけられて
  8. 車止めの開発に突き進む

 高岡市は江戸時代初期から伝わる「高岡銅器」で知られる鋳物の町です。高田製作所は1947年に高田さんの祖父が創業し、真鍮による仏具の製造を始めました。精密鋳物成型による技巧が買われて時計枠や部品を製造し、後に時計事業部は業務分離して別会社になりました。

 2代目の父は工業化を進め、排水金物やドアハンドルの製造を始めました。鋳物の中でも小型サイズ(45センチ×35センチ)を専門にしています。自由な造形が可能なのが強みで、NC旋盤のプログラミングで金属を削る機械操作と、彫刻などの技術を生かした手作業による造形で、仏具製造を支えてきました。

高田製作所の仏具は今も看板の一つです

 3代目の高田さんは一人っ子で、子どものころから後を継ぐと思っていたものの、「汚くて危ない仕事だな」という印象も持っていたといいます。

 小学校1年生で発明の素養が現れ、持ち運べるテレビ電話を描くようなアイデアマンでした。高校3年生のときに考えた救難救護用のアウトドアGPSシステムが、高校生向けのデザインコンペで最優秀賞を取りました。審査委員長で現代建築家の清家清氏からは「お前よう考えたな。でもまだデザインがシャープすぎる、提案内容は面白い」と言われたといいます。

 進学した宝塚造形芸術大学(現・宝塚大学)ではプロダクトデザインを学びましたが、就職氷河期に苦しみます。当時、家業の職人の平均年齢は58歳前後。未来を感じられず、すぐに戻る選択肢はありませんでした。

 そんな時に叔父から「高田製作所の将来を考えると、色々な工程や人の手を経て完成させる業界に就職することでチームワークを知ることができる」とアドバイスを受けました。

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