仏具の将来に不安を感じた高田製作所3代目 反対されても広げた新製品
富山県高岡市の高田製作所は戦後、仏具を真鍮(しんちゅう)で製造して発展しました。3代目の高田晃一さん(49)は、仏具の需要が減り続ける中でアルミニウムを使った加工技術を確立。花瓶などで海外からの高い評価を受け、現在の主力製品となった車止めの開発へとつなげていきました。
富山県高岡市の高田製作所は戦後、仏具を真鍮(しんちゅう)で製造して発展しました。3代目の高田晃一さん(49)は、仏具の需要が減り続ける中でアルミニウムを使った加工技術を確立。花瓶などで海外からの高い評価を受け、現在の主力製品となった車止めの開発へとつなげていきました。
高岡市は江戸時代初期から伝わる「高岡銅器」で知られる鋳物の町です。高田製作所は1947年に高田さんの祖父が創業し、真鍮による仏具の製造を始めました。精密鋳物成型による技巧が買われて時計枠や部品を製造し、後に時計事業部は業務分離して別会社になりました。
2代目の父は工業化を進め、排水金物やドアハンドルの製造を始めました。鋳物の中でも小型サイズ(45センチ×35センチ)を専門にしています。自由な造形が可能なのが強みで、NC旋盤のプログラミングで金属を削る機械操作と、彫刻などの技術を生かした手作業による造形で、仏具製造を支えてきました。
3代目の高田さんは一人っ子で、子どものころから後を継ぐと思っていたものの、「汚くて危ない仕事だな」という印象も持っていたといいます。
小学校1年生で発明の素養が現れ、持ち運べるテレビ電話を描くようなアイデアマンでした。高校3年生のときに考えた救難救護用のアウトドアGPSシステムが、高校生向けのデザインコンペで最優秀賞を取りました。審査委員長で現代建築家の清家清氏からは「お前よう考えたな。でもまだデザインがシャープすぎる、提案内容は面白い」と言われたといいます。
進学した宝塚造形芸術大学(現・宝塚大学)ではプロダクトデザインを学びましたが、就職氷河期に苦しみます。当時、家業の職人の平均年齢は58歳前後。未来を感じられず、すぐに戻る選択肢はありませんでした。
そんな時に叔父から「高田製作所の将来を考えると、色々な工程や人の手を経て完成させる業界に就職することでチームワークを知ることができる」とアドバイスを受けました。
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鋳造から加工、手仕上げを経て完成品にしていくような工程は同じだと思い、就職したのは東京の内装施工会社でした。
高田さんはその会社で内装施工の補佐としてブティックやショールームの店舗を手がけました。しかし、工期が第一の現場では、早朝から現場へ行き帰宅は深夜を過ぎる生活が恒常化。ついに体が悲鳴を上げてしまいます。
結果的には家業に戻らざるを得ませんでしたが、ここでの経験が後に開発する商品のヒントにつながることになりました。
1997年に高田製作所に入った高田さんは鋳物6カ月、研磨4カ月の研修を経てNC旋盤工を8年間務めます。
NC旋盤とは、コンピューター制御技術で材料を回転させて削り出す機械加工技術です。まだ機械工の熟練に頼った手入力や手動操作が主流だった時代に、同社では設計からNCデータ作成までを制御するシステム「CAD/CAM」をいち早く導入します。高精度のNC旋盤機械を14台完備し、短時間で複雑な加工も可能となりました。
自身の技術は磨かれたものの、経営課題は山積みでした。当時20代だった同級生に仏具について聞いても「欲しい」という人は誰ひとりおらず、家業の行く末に違和感を覚えていました。
昔気質の職人には、若手に独自の技術を教えると仕事を取られると思う人も少なくありません。率先して伝承する風習が根付いておらず、高齢化も急速に進んでいました。「今後仏具は衰退する一方」と思った高田さんにとって、技術が伝承されない職人集団をどう雇用し続けていくかが悩みでした。
そんなとき東京時代の内装施工を思い起こし、ふと気付いたことがありました。内装にはアルミニウム素材が多用されており、複雑な形をしたドアハンドルもその一つです。高田さんは社長の父に「真鍮で作る仏具の鋳造をアルミニウム素材に変えて、ドアハンドルを作れないか」と相談します。
これが、後のアルミニウム技術開発への突破口につながったのです。
高田さんは98年からアルミニウムの研究開発に没頭しますが、問題が生じます。高田さんのやり方に賛同できない現場や職人が少なからずいたのです。
「そんなにやりたかったら、株式会社高田晃一でやってくれ」と言われたり、腹を立てた目上の職人が夜中に家に押しかけたりすることもありました。
効率化や新たな変化に抵抗を感じる腕の良い職人たちが次々に退職。当時35人いた従業員のうち、最後に残ったのはわずか3人になってしまいました。
結果的に最後まで味方だった鋳物職人とアルミニウムの研究開発を続け、鋳造に取り組むことができました。
開発に選んだ高純度の「AC7Aアルミニウム」という素材は耐食性に優れています。その半面、他のアルミより粘りがあるため、難易度の高い鋳造技術が求められましたが、仏具で培った鋳造技術で開発に成功し、99年には製品への応用を始めました。
せっかく確立した技術も、使ってもらわなければ意味がありません。アルミニウムの鋳造を始めたことをデザイナーに広く知ってもらうために、デザインコンペ出品を決めました。
2000年、自身でデザインしたソープディッシュが「富山デザインウエーブ」というコンペで、とやまデザイン賞を受賞しました。アルミ素材の洗練された美しさが評価されたのです。
この受賞をきっかけに富山県だけでなく、大都市圏でも同社の技術が知られるようになります。デザイナーと連携した製品開発や東京や大阪のハイブランドのドアハンドルメーカーからの受託など、現在も続くOEM(相手先ブランドによる生産)につながっていきました。
富山県デザインウェーブの受賞をきっかけに出会ったのが、プロダクトデザイナーの加賀武見さんでした。今後の戦略を相談したところ「海外で金属のインテリアといえば花瓶。ミラノサローネに出展しませんか」と誘われたのです。
ミラノサローネはイタリアで開催される世界最大規模の家具見本市です。高田さんは03年に単独で出展しました。町工場に広告宣伝費の予算があるはずもなく、出展料100万円は高田さんのポケットマネーでした。
それでも小規模企業では国際展示会に対応しきれません。高田さんが声をかけたのは、仏具のライバルだった同じ高岡市の藤巻製作所でした。
「このままだと将来、仏具製造で衝突します。それよりは一緒に他の商流を模索して、お互いの強み弱みを共有して開拓しませんか」と持ちかけたといいます。
高田製作所は磨きの技術があり、藤巻製作所は美しい音色のおりんで一目置かれています。同社は快諾し、ともにイタリアに発ちました。今では同じ課題を持つ業界の盟友となっています。
ミラノサローネに出展したのは、仏具製造の技術を生かした花瓶2点です。顔が映り込むまで磨かれた「鏡面研磨」の技術、空洞やピンホールの無い身の締まった逸品を並べました。
上々の評価を受けた高田製作所はフランスのメゾン・エ・オブジェ、ドイツのアンビエンテなどの国際見本市に次々と製品を出展。海外で評価されると、逆輸入の形で日本企業からも受注が入るようになりました。
海外での評価に背中を押された高田さんは、次々に新しい企画や研究開発に取りかかります。
地場産業の高岡銅器は伝統的に分業制が一般的でしたが、同社は内製化していたためワンストップで技術開発がしやすい環境が整っていました。社長の父の理解もあり、反対されることもなく開発を進められました。
高田さんはアルミニウムの鋳造だけにとどまらないアイデアやデザインを生み、社外や大学にも意見を仰ぎながら新しい製品を開発します。13年には3Dプリンターやレーザーマーカーを購入して加工技術を独自で習得し、アルミニウムに複雑な刻印を可能にしました。
高田さんは仏具とアルミ加工で培った独自の技術で次々と新商品を生み出します。評判が広まり大手企業とのコラボが持ち上がったところで、再び問題に直面します。知的財産権の手続きを十分にしていなかったため、安い模倣品が出回ったといいます。シビアな業界の現実を突きつけられた瞬間でした。
リーマン・ショックなどの影響も追い打ちをかけ、海外からの注文も入らなくなってしまいました。
失意の中、14年に再び転機が訪れます。浜松市の浜松地域イノベーション推進機構で、成功も失敗も含めて講演したときのことでした。参加者から「未来のビジョン」について聞かれたのです。
予想していなかった質問に、高田さんの口からは考えるより先に「車が好きだから車止めを作って、将来は浜松のレクサスディーラーに使っていただけたら」という本音が出ていました。
その場で製品名も聞かれ、とっさに出てきたのが「アルデコール」という造語でした。寝る間を惜しんで開発し続けたアルミニウムの元素記号ALから「アル」、デコレーションをもじった「デコール」の組み合わせが由来です。
「ネーミングセンスが良い」と言われ、浜松の講演会場からすぐに特許事務所に電話をかけて商標登録の手配を始めました。翌年に商標登録を取り、後に車止めの技術で特許を取得します。
今までは開発した商品の権利関係やアイデアの所在をあいまいにしていたために生じた挫折や失敗を糧に、高田さんは車止めの開発へと突き進みます。この車止めが後に家業を支えることになったのです。
※後編では、高田さんが注力した車止めの開発秘話やプロモーション戦略に加え、技術継承への対応や家業の未来について掘り下げます。
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