「その日暮らしの経営」からの脱却 梅や4代目の組織改善と若手育成
横浜市中区の「梅や」は創業109年の鶏肉専門店で、鶏肉の解体から精肉や総菜の販売まで手がけています。4代目社長の山下大輔さん(41)は周囲から反対されながらも商品を適正価格に上げて、職場環境の改善や若手人材の積極採用にも努めました。老舗の看板を強みにECサイトやチキンブリトー専門店の開業といった多角的な新規事業も進めています。
横浜市中区の「梅や」は創業109年の鶏肉専門店で、鶏肉の解体から精肉や総菜の販売まで手がけています。4代目社長の山下大輔さん(41)は周囲から反対されながらも商品を適正価格に上げて、職場環境の改善や若手人材の積極採用にも努めました。老舗の看板を強みにECサイトやチキンブリトー専門店の開業といった多角的な新規事業も進めています。
目次
横浜市中心部にある「梅や」では、職人が宮崎県などの産地から毎日直送される鶏をすべて手作業でさばきます。ショーケースには地鶏や銘柄鶏、希少部位やアイガモが並び、買い物客でにぎわいます。
手作りの総菜も人気で、15種類の焼き鳥や部位や味付けで変化をつけた8種類以上の唐揚げなどをそろえています。クリスマスにはローストチキンが飛ぶように売れるといいます。
鶏の鮮度を第一に回転よく売り切るため、年中無休で営業しています。
販売先は卸と小売りが6対4の割合です。卸は横浜市内の焼き鳥店を中心に500以上の飲食店と取引があり、毎日200件ほどの注文が入ります。横浜駅前の横浜髙島屋でも総菜店を展開しています。
従業員数は93人(パート・アルバイトを含む)で、平均年齢は38歳と若いのが特徴です。コロナ禍で卸の取引先は減りましたが、小売りの売り上げは上昇しました。
今は卸の売り上げも少しずつ戻り、2022年度の年商は10億8千万円の見込みです。山下さんが入社した05年からおよそ2倍になりました。
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「梅や」は1913年、山下さんの曽祖父・利吉さんが東京・浅草で鶏卵販売の「武蔵屋」として創業しました。2代目の利雄さんが食肉販売に参入し、行商先だった横浜・伊勢佐木町の漬物店「梅屋」の軒先を間借りし「梅屋の鶏肉」と呼ばれたことから、屋号を譲り受けて横浜に本格移転しました。
3代目の父・栄一郎さんの時代は鳥インフルエンザなどの逆風もありましたが、事業縮小で耐え抜きます。母・綾子さんは事務方として店を支えました。
山下さんは両親の働く姿を間近で見て育ちました。「小学生のころは作業をする母の横で勉強をしながら電話番をして、学生時代も梅やでアルバイトに励みました。新鮮な鶏肉をさばくので、鮮度を守るためにも冬は暖房もお湯も使えません。明け方に起き、エプロンと長靴を身につけて働く現場でした」
同級生のアルバイト先がキラキラして見えたといいますが「社員さんは元気で明るい人ばかりで『大ちゃん』とかわいがってもらいました。高校3年生のとき、両親に店を継ぐ意思を告げました」。
ところが大学1年生の12月、栄一郎さんがくも膜下出血で急逝します。43歳の若さでした。
母・綾子さんが栄一郎さんに代わって社長を務めることになり、山下さんも大学を辞めて入社するつもりでした。しかし、ベテラン社員の2人が「店のことは僕たちが頑張るので卒業させてほしい」と母に進言し、山下さんは大学に通い続けることができたといいます。
山下さんは卒業後、宮崎県川南町の「児湯食鳥」に入社します。同社は種鶏飼育を含む養鶏から鶏肉加工まで一気通貫に手がけ、生鳥処理羽数は年間約5600万羽(2022年度計画)、年商はグループ合計で1465億円を誇ります。
「梅やは羽のない状態の鶏しか入荷しておらず、その前の流れは何も知りません。一刻も早く家業へ、という気持ちはありましたが、生産現場を自分の目で見ないと、売るための説得力が出ないと考えました」
1年間、様々な現場を経験。同社での経験が後の営業などでも生きているといいます。
05年、23歳で梅やに専務として入社しました。午前中は鶏の解体や加工、総菜調理を担当し、午後はスーツに着替えて営業に出向きました。
家業の全体像が把握できるようになると「長期的な計画を立てておらず、その日暮らしのような経営状態でした」と痛感します。
「赤字にもかかわらず卸、小売りともに販売価格が安く、採算がまったく取れていない状態でした。原価率は50%を超えていましたが、理由を聞いても誰も答えられないのに値段を上げることに大きな抵抗感がありました」
「作業効率の面でも変えられる部分がたくさんあるように思えました。しかし作業台の位置をずらすだけでも頭ごなしに否定され、無駄だと反対されます。今までかわいがってくれていた社員さんたちともぶつかるようになりました」
山下さんは売り上げ減も覚悟し、焼き鳥1本の小売価格を80円から110円にするなど、仕入れ価格を適正に転嫁しました。商品を並べる器やプライスカードも一新。見せ方に変化を持たせることで、値上げへの抵抗感をやわらげようと考えたのです。
すると予想に反し、お客さんが増えて売り上げも伸びました。「梅やさんの鶏はおいしいから」、「今までが安すぎた」という反応も多かったといいます。
「卸も小売りも、梅やがつぶれれば困るお客さんがたくさんいると実感しました。価格競争は必ずどこかに無理が出ます。味と価格のバランスを大切にしながら、ブランディングの方向性を意識するようになりました」
卸価格は当時の相場や近隣の同業他社と比較し、小売価格を改定した上で改善。自社のブランディング向上に注力した後、黒字化できる適正価格まで徐々に引き上げました。
作業効率については、常態化していた作業をいったん見直し、環境ややり方を変えるようにしました。その後、現場の従業員と本当に変更が必要かを話し合いました。
改革方針に納得できず、辞めていく従業員もいました。山下さんは20代を中心に、食肉加工の経験がなくても意欲があり、柔軟な考えを持つ人材を積極的に採用。入社後、一から丁寧に鶏のさばき方を教えると、前と同じくらいの量をさばけるようになりました。
古くからの慣習も変え、トライアンドエラーを繰り返したといいます。
「若い社員が増えて『まずはやってみよう、ダメだったら変えよう』という考えが根付き、仕事がしやすくなりました。経営も少しずつ黒字化に向かいました」
一方、山下さんが大事にしているのが、入社前からあった「従業員は作ったものを自由に食べられる」という決まりです。もともとはおなかがすいてつまみ食いをした従業員に罪悪感を持たせないためでした。しかし、この決まりのおかげで、従業員が肉の揚げ具合や大きさなど日々の微妙な変化に気づき、すぐに調整できるといいます。
山下さんは職場環境の改善にも取り組みます。衛生面の強化はもちろん、床のはがれを修繕し、更衣室を増やして休憩室を新しくしました。
その背景には、山下さんが拭えなかった劣等感がありました。
「大手企業で働く同級生も多くいます。誰かに何かを言われたわけではありませんが、鶏肉屋の仕事に誇りを持てない自分もいました。しかし、そんな気持ちでいること自体が従業員のみなさんに一番申し訳ないこと。今は『梅やで働いて良かった』と胸を張ってもらえることが僕の目標です」
現場を任せられる従業員が増えたこともあり、30代では横浜青年会議所の地域活動に打ち込みました。それが一段落し、21年に母から社長を譲り受けました。
社長就任と前後し、山下さんはコロナ禍前の18年ごろから、大手のフードデリバリーサービスに参加。新規事業に意欲的で、液体急速凍結機を使った冷凍の焼き鳥や水炊き鍋セットなどをECサイトで販売したり、冷凍焼き鳥セットなどが24時間購入できる自動販売機を設置したりしました。
21年には本店の隣にチキンブリトー専門店「UMEYA KITCHEN(ウメヤキッチン)」を開業しました。
ブリトーとは、小麦粉などで作った薄い生地に肉や野菜、チーズなどを巻いたメキシコ発祥の料理です。同店ではオーダーに応じてその場で包み、ファストフード感覚で食べられます。
タイの鶏肉料理「カオマンガイ」なども用意し、梅やとは異なるマーケットを開拓しました。
開業のきっかけは、本店でのフードデリバリーでした。焼き鳥丼や親子丼などの注文が安定して入っていたものの、総菜売り場でお客さんが並んでいるところに配達員がやってくるなど、スムーズな導線確保が難しくなり、従業員の生産性低下も課題になっていました。
隣の物件が空いていたこともあり、山下さんが店舗の開設を構想。鶏肉を卸している飲食店と競合しにくいジャンルを考え、ブリトーにたどり着きました。
店の厨房ではブリトーのほか、梅やのデリバリー、さらに低温調理の鶏むね肉をメインにしたデリバリー専門の「パンプアップチキン ウメヤ」の計3業態を手がけ、本店の業務とは導線を分けています。
メニュー開発は管理栄養士の友人に助言を受けながら、調理スタッフと試作を繰り返しました。夜中までかかるときは、山下さんと友人と2人で取り組んだといいます。
事業再構築補助金の申請やコロナ支援融資などの活用で、意欲的なチャレンジを続けていますが、まだ課題は多いといいます。
「梅やのお客さんはご近所の方が中心です。今後は全国に商圏を広げ、“町場の鶏肉店”からの脱却が必要だと考えています」
新規事業の立ち上げに伴い、22年度は初めて新卒採用に乗り出しました。
「どんどん引っ張る人と着実に仕事を進める人が共存しないと、会社はうまく回りません。梅やの従業員は後者が多く、中途採用の求人誌面では『老舗』や『安定感』がうたい文句でした」
様々な事業に挑戦する上で、自由な発想で会社を引っ張る人材が欲しいと新卒採用に踏み切りました。
大卒者が鶏肉専門店を選択肢に入れてくれるのか――。そんな不安も抱きながら会社説明会を開くと10人以上が参加しました。山下さんはありのままを見てもらおうと、現場見学や串刺し作業の体験を採り入れます。
「挑戦の裏には毎日コツコツと行う作業があることを伝えなければならないと思いました。理想と現実のギャップを少しでも埋めることができたのか、3人が内定しました」
23年2月には横浜ベイクォーター内に新店舗を開業予定で「毎日楽しめる鶏料理」をコンセプトに、焼き鳥や唐揚げ、ブリトー、カオマンガイなどを提供します。
山下さんはさらなる飛躍を求め、コンサルティング会社の支援も仰いでいます。
「会社経営には(年商)10億円の壁があると言われています。これまでは500件もある取引先との連絡も自分で抱え込んでいましたが、今は従業員に任せたり委ねたりすることも大切と考えるようになりました」
父が急逝した時、大学卒業を勧めてくれたベテラン社員のうち、1人は現場をまとめる重要なブレーンとして今もお店を支えています。もう1人は焼き鳥店を開業し、梅やの取引先になりました。
鶏肉専門店として従業員が誇れる会社に。山下さんの挑戦は続きます。
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