反対を越えて生まれた「高岡ラムネ」 元デザイナーが育む新たな伝統
1838(天保9)年創業の和菓子店「大野屋」(富山県高岡市)は、9代目社長の長女・大野悠さん(44)が代々伝わる菓子の木型を使い、周囲の反対を乗り越えて「高岡ラムネ」という新しい郷土菓子を開発しました。デザイナーや美大講師の経験を生かし、デザインに凝った郷土ラムネは首都圏にも広がり、経産省のプロジェクトにも選ばれるなど、新たな伝統として育ちつつあります。
1838(天保9)年創業の和菓子店「大野屋」(富山県高岡市)は、9代目社長の長女・大野悠さん(44)が代々伝わる菓子の木型を使い、周囲の反対を乗り越えて「高岡ラムネ」という新しい郷土菓子を開発しました。デザイナーや美大講師の経験を生かし、デザインに凝った郷土ラムネは首都圏にも広がり、経産省のプロジェクトにも選ばれるなど、新たな伝統として育ちつつあります。
目次
高岡市の中心街に店を構える大野屋は、明治末期に考案されたとされる高岡銘菓「とこなつ」が看板商品です。白小豆のあんを求肥でくるみ、表面に和三盆をまぶした一口サイズの和菓子で、歌人大伴家持の「立山に降りおける雪を とこなつに
見れども飽かず 神からならし」という歌にちなんで名づけられました。
ケーキ、プリンなどの洋菓子や季節商品なども含め、ワンシーズンで50種類ほどの商品を販売しています。従業員数は14人になります。
大野さんは「和菓子は作りがシンプルだからこそ、質の良いものを丁寧に。それが、長年培ってきた強みです」と言います。
最初は家業を継ぐつもりはありませんでした。子どものころは毎日のおやつも店の商品。ケーキは友達に大人気でしたが、自分自身は「ポテトチップスが食べたい」と思っていました。
「東京でIT関係の仕事をしている兄が継ぐと思っていたので、継ぐことは何も考えていませんでした。親は私にもサインを送っていたようですが、本気にしていませんでした」
大野さんは昔から編み物が得意で、古着を自分でリメイクするなどしていました。布製品に関心を持ち、金沢美術工芸大学に進みます。「糸から布を作ることに興味があり、洋服の布をデザインしたい気持ちが原点でした」
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図書館でドイツ人テキスタイルデザイナー、ヨーガン・レールさんの本に出会い、独特の個性に魅了され、東京のアパレルメーカー「ヨーガンレール」に飛び込みで就職しました。
同社ではデザイナーとして4年間働きました。季節ごとに新作が生まれ、廃棄が繰り返されるアパレル業界の消費スピードに違和感を持ち始めたころ、恩師から声がかかり、母校の金沢美大でファッション学科の講師を務めることになります。
「ヨーガン・レールさんが第一線を退く話もあり、地元に戻るにはちょうどいい機会でした。はじめは家業というより、両親のことが心配だったというのが大きかったです」
大野さんは2006年ごろから美大講師の傍ら、土日は実家に戻り家業を手伝いはじめます。ものづくりを経験し、家業に戻ってみると様々な課題と同時に潜在的な可能性を感じました。まず、ホームページをつくるところから始めたといいます。
「商品パッケージも昔ながらのものでした。地元志向は大切ですが、外にまるで目を向けていないのは、もったいないと感じました」
近所の常連客はいたものの、若い世代の新規顧客は増えず高齢化が進んでいました。大野さんは無地だったパッケージデザインに季節感を出したり、立山に降る雪のイメージを反映したりしましたが、父で9代目社長の隆一さんは「既存客が買いにくくなる」と、難色を示したといいます。
このほか、美大の学生とコラボレーションをして落雁を作り、大学のアンテナショップで販売するなどの取り組みをはじめました。
ホームページやパッケージの刷新で発信力は高まりましたが、県外の顧客や若い世代の注目を集めるには、起爆剤となる新商品が必要でした。大野さんは思案するなかで、家業に代々伝わる「菓子木型」に着目します。
落雁などに使われることが多い木型は、北陸地方の一部地域では祝い事などで飾られる「金華糖(きんかとう)」という大型の砂糖菓子などにも使われています。そのため、大野屋は大小様々な菓子木型を千点近く保管していました。
金沢美大の同級生で、全国のものづくりのプランニングディレクターとして活躍する永田宙郷さん(現TIMELESS代表)に相談しました。永田さんが着想したのが木型を使ったラムネでした。
大野さんが目指したのは駄菓子のラムネではなく、「菓子木型」の技術を用いて高岡の和菓子屋らしいラムネをつくること。現代版の落雁のイメージでした。
「若い人にもなじみがあり、現代的でとても良いアイデアだと思いました。新商品開発で首都圏の新規開拓を目指そうと父に提案しましたが、『?マーク』が頭にたくさん出る感じで、理解はされませんでした」
父の理解は得られぬまま、大野さんは市の助成金を活用し、様々な人とのつながりを使って準備を進めました。
問題は肝心の商品開発です。大野さんは保管された木型を使い夜な夜な試作を繰り返しました。
「最初の試作品はまずくて、何が原因なのかと悩みました。素材はシンプルなので、かけ合わせの相性。一つひとつ吟味して厳選して組み立てようとしました」
「父だけでなく職人も反対していました。今まで外にいた人間がわけの分からないことを言っていたので、プライドが許さないのだと思いました。でも、私自身が和菓子の繁忙期が秋であることも知らず、その時期にいろいろと注文してしまったことも後になって分かりました」
大野さんはラムネに使う材料の相性を吟味した結果、和菓子屋らしい米粉や国産の生姜を使ってほしいと、職人を粘り強く説得しました。約4カ月の開発期間を経て納得のいく味が完成し「高岡ラムネ」と名付けました。
ラムネの形はタイや花、杯など、季節の物や地域の伝統行事といったものがモチーフです。
価格は10個入りで500円(税抜き)に設定。父からは「高すぎる」と反対されたといいます。
「原材料費と職人の人件費に利益を乗せるという従来の和菓子店の考えでは、商品価値は高められないと思いました。開発にかかった時間や労力に加え、高岡の伝統的な和菓子の技法と素材に、現代的なお菓子をかけ合わせた一連のストーリーにこそ、付加価値があると考えたのです」
永田さんの勧めもあり、大野さんは12年10月、テストマーケティングとして東京の商業施設「渋谷ヒカリエ」の催事に出展しました。完売して追加納品するほどの反響があり、相乗効果で「とこなつ」も売れました。
「不安はもちろんありました。でも、目の前でどんどん売れていったので、反対していた父も認めてくれました」
「高岡ラムネ」で新規顧客を掘り起こし、県外からも注文を受けることになりました。ラムネのプロモーションが忙しくなり、大野さんは結婚を機に金沢美大を離れ、家業に正式に入りました。
12年12月から本格的に販売を始めた「高岡ラムネ」は、現在、売り上げの15%を占めるまでになりました。高岡の国吉りんごを使用した「御車山(みくるまやま)」、しょうが味の「宝尽くし」、ゆず味の「貝尽くし」、イチゴ味の「花尽くし」の定番4種類に加え、季節限定商品も販売しています。
15年には、日本の優れた地方産品を集めた経済産業省の「The Wonder 500」にも選ばれ、海外へのお土産としても重宝されるようになりました。
地域とのコラボも進め、高岡市にある世界的な鋳物メーカー「能作」の鋳物10品をモチーフにしたラムネや、富山大学芸術文化学部の学生がデザインした「とやまkawaii」というラムネも生まれました。
高岡駅や富山駅をはじめ、東京の富山アンテナショップでも扱われ、ECサイトでさらに販路を広げています。
コロナ禍で観光客が減少し、会社の贈答品の需要もなくなり、店もダメージを受けました。配達に力を入れ、ECサイトでどら焼きなど定番のお菓子を詰め合わせた「おうち時間セット」を企画するなど、様々な手を打ちました。
大野さんは現在、主に商品企画や営業部門を担いながら洋菓子の製造も手がけています。
金沢美大で学んだり教えたりした経験は、今も生きています。各分野で活躍する同級生には、菓子をのせる皿の制作や商品写真を撮影してもらうなど、様々に支えられています。
「イベント出展による販路拡大などを見据え、外部とのつながりをつくろうとしています。講師時代は国際交流で海外に行く機会も多く、視野が広がりました。はじめから家業で働いていたら、こうした経験はできなかった。大学の先生とは今も連絡を取り合い、最新のデザインなどの情報をもらっています」
10代目の承継を視野に、今後は管理部門にも一層力を入れたいと考えています。
和菓子屋は職人気質の風土が根強く、定休日も週1日。以前は年末年始も連続勤務が続いていたといいます。伝統技術を継ぐ若い職人が働きやすくなるように休日を増やし、有給休暇を取得しやすい環境作りや、年末年始の勤務も交代制にするなどの改善を図りました。
大野さんが家業の仕事を始めたころ、10代の職人が男女1人ずつ入り、今では10年近く働いています。
「時代に合わせた提案をくれる若手職人の意見は貴重です。コロナ前は一般向けのお菓子づくり体験の講師を務めてもらいました。私のネットワークを使って刺激を与えられる機会をつくりたいし、若い同業者とも交流して学んでほしい。(若手職人は)自分から技能試験を受けたいと言ってくれており、ベテラン職人の技術を継いでほしいと思っています」
父とは今でも商品戦略や働き方など経営方針の違いで、たびたび意見がぶつかるといいます。
「従業員の働き方や顧客が商品に求める価値は、昔と大きく変化しています。成長していくためには、その時代の価値観を大事にしていかないといけません」
商品パッケージの変更や「高岡ラムネ」について、古くからの常連客のなかには「昔の方が良かった」という声もあります。それでも、大半が「若い人へのプレゼントができてうれしい」、「新しくきれいになって頑張っているね」などと励ましてくれるそうです。
大野さんは伝統的な技法を守りながら、時代に合わせた形で和菓子文化を承継し、若い世代にも親しんでもらえる店を目指したいといいます。
「挑戦は過去も続けてきました。大ぶりな和菓子が当たり前だった時代に、(一口サイズの)『とこなつ』はとても斬新だったはずです。挑戦を続けることが新しい伝統をつくると思っています」
大野さんは23年には、木型を活用し富山らしさを盛り込んだ新商品発売の準備を進めています。「和菓子はどれも高価な商品ではありません。いかに広がりを求め、ストーリー性を持ち、お客様に愛着をもたれるかが大事です」
地域や文化とのつながりから生まれるストーリーを大切にしながら、大野さんの挑戦は続きます。
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