目次

  1. 「継ぐことは考えていなかった」
  2. 東京でデザイナーとして働く
  3. パッケージの変更に着手
  4. 和菓子屋らしいラムネを着想
  5. 父も職人も反対だった
  6. ストーリーにこそ付加価値
  7. 県外へと広げた販路
  8. 美大での経験を生かして
  9. 若手が働きやすい環境づくりへ
  10. 挑戦が新しい伝統をつくる

 高岡市の中心街に店を構える大野屋は、明治末期に考案されたとされる高岡銘菓「とこなつ」が看板商品です。白小豆のあんを求肥でくるみ、表面に和三盆をまぶした一口サイズの和菓子で、歌人大伴家持の「立山に降りおける雪を とこなつに
見れども飽かず 神からならし」という歌にちなんで名づけられました。

大野屋伝統の和菓子「とこなつ」(同社提供)

 ケーキ、プリンなどの洋菓子や季節商品なども含め、ワンシーズンで50種類ほどの商品を販売しています。従業員数は14人になります。

 大野さんは「和菓子は作りがシンプルだからこそ、質の良いものを丁寧に。それが、長年培ってきた強みです」と言います。

 最初は家業を継ぐつもりはありませんでした。子どものころは毎日のおやつも店の商品。ケーキは友達に大人気でしたが、自分自身は「ポテトチップスが食べたい」と思っていました。

 「東京でIT関係の仕事をしている兄が継ぐと思っていたので、継ぐことは何も考えていませんでした。親は私にもサインを送っていたようですが、本気にしていませんでした」

大正時代の大野屋(同社提供)

 大野さんは昔から編み物が得意で、古着を自分でリメイクするなどしていました。布製品に関心を持ち、金沢美術工芸大学に進みます。「糸から布を作ることに興味があり、洋服の布をデザインしたい気持ちが原点でした」

(続きは会員登録で読めます)

ツギノジダイに会員登録をすると、記事全文をお読みいただけます。
おすすめ記事をまとめたメールマガジンも受信できます。