目次

  1. 米国で挫折、見失った目標
  2. 定職に就かず渋々入った家業
  3. 家業で見つけた課題
  4. タワマンに内窓を卸し始める
  5. 北海道でも販売をテコ入れ
  6. ジンの魅力にはまってビジネスに
  7. 工場づくりのノウハウが生きる
  8. 工場近くに蒸留所をオープン
  9. ジンが家業のイメージアップに
  10. 「ダメなら何かを変えないと」

 大信は1949年、中澤さんの祖父が創業しました。プラスチック材料を様々な形に成形する異形押出の技術が売りで、アルミサッシの機密材や交通インフラ系の製品の部品などを、サッシなどの建材メーカーからの委託を受けて生産しています。設計から金型の製作、材料開発、成形、加工まで一括でできるのが強みです。大信グループ4社の従業員は約150人。全体の年商は約20億円にのぼります。

 高い技術力を生かした看板製品の一つが、二重窓の内側に樹脂を使用した「内窓プラスト」です。隙間風がなくなり断熱性・気密性を高めた内窓は北海道を中心に普及し、公営住宅などに使われています。

大信グループの看板製品「内窓プラスト」(大信提供)

 中澤さん自身は中学生のころから吹奏楽に打ち込み、家業には全く興味がなかったと振り返ります。「父から仕事の話は聞いたことがありません。自由にさせてもらいました」

 中澤さんは高校卒業後、米国に留学。語学学校で英語を学び、大学に通ったものの2年で中退してしまいます。「日本以外で生活する感覚に満足してしまったんです。米国の音大を受験しましたが受からず、次の目標を見失いました」

 2001年に日本に帰国すると音楽の専門学校で学び、アパレル関係の会社の事務職を経て、飲食店のウェーターとして働きました。

 「目の前のお客さんに向き合い、お会計を頂く流れに身を置いたことで初めて『仕事』という意識が芽生えました」

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