目次

  1. 祖父の指名でゼロからの経営
  2. 年間9万本の組紐を生産
  3. 「直売できる商品」の開発に全力
  4. 組紐マスクがヒット
  5. 「組紐の靴紐」への挑戦
  6. 大手メーカーの紐を徹底研究
  7. アスリートに人気が広がる
  8. ピンチの時ほど攻めの姿勢で

 糸伍は、松田さんの祖父が1952年に始めた松田製紐(せいちゅう)が前身です。54年に同じ志を持つ5人で「糸伍商店」として創業。昭和時代に建てた工場に今も50台の機械を備え、染色から組み上げまで一貫して手がけます。現在従業員は12人で年商1億円のメーカーです。

創業時の工場を日本銀行総裁が視察しました。事務所に当時の写真を飾っています

 創業時、伊賀組紐の主流は「手組み」でしたが、松田さんは「生産性向上と商品の均一化を目指し機械織の組紐製造の会社を始めたと聞いています」。

 親戚らとの共同経営だったため、松田さんは後継ぎという認識が薄く、大学卒業後は三重県内の大手家電メーカーへ就職しました。29歳まで商品開発などをしていましたが、結婚を機に伊賀へ戻り、糸伍に入社します。

 「大学も前職も理系でした。だから家業でも何とかなると気楽に思っていましたが、全く違って覚えることが多く大変でした」

工場の入り口には創業時の看板が今も残ります

 製造や営業に従事した松田さんは入社7年目、38歳で4代目社長に就任しました。「当時は和装離れによる売り上げの減少、機械の老朽化、職人の高齢化など課題は山積みでした。テコ入れが必要でしたが、父は独立して手組み紐店を別に経営しており、会長の祖父が私を後継ぎに決めました。それまで経営面はノータッチでゼロからのスタートでした」

 糸伍の主力商品は帯締めをはじめとした和装小物です。コロナ禍前は多いときで年間9万本もの帯締めを作り、問屋を通じて全国の百貨店や呉服店で販売されていました。

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