目次

  1. 「困っている仲間を助けたい」少年時代
  2. リーマン・ショックの痛手から広げた仕事
  3. 「分業しすぎ」燕三条の課題に気づく
  4. 青年会議所の出会いから生まれた構想
  5. 無人駅をものづくりと関われる「場」に
  6. ものづくりの始発駅「エキラボ」
  7. 「メイド・イン・燕三条」の商品を

 燕三条地域で生まれ育った齋藤さんは、仲間を大切にする少年でした。

 「テレビ番組の影響で、『大人になったらヒーローになる』と本気で思っていました。仮面ライダーやドラゴンボールの孫悟空、直近ではワンピースのルフィのような存在です。困っている仲間をすぐに助けるところに憧れました」

 「仲間を助けたい」という熱が高まるあまり、ケンカも多かったという齋藤さん。工業高校を2年で退学になるも、土木業やガソリンスタンドで働きながら定時制高校を卒業し、家業のストカに入社しました。

高校を卒業後、家業のストカに入社しました(同社提供)

 「ストカは、金属のプレス加工を主に手がける会社です。当時、家業に興味はありませんでしたが、社長である父から『欠員が出たのでしばらく手伝ってほしい』と言われ、2008年に入社しました」

 入社後はプレスの現場に入りつつ、地元の造園会社でトラック運転の手伝いをしたり、溶接の会社でトレーニングを受けたりしたといいます。折しも時代はリーマン・ショック。自動車関連を中心とした発注が急激に減り、仕事の多くが、価格競争力のある中国へ流出しました。

 「父は『これまでの大量生産、薄利多売のままでは立ち行かなくなる。プレスだけでなく、溶接や機械加工の技術を身につけて、付加価値を高めていかなければ』と、ストカの生産体制を大きく見直しました」と齋藤さんは振り返ります。

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